Posts Tagged ‘毎日新聞’

女の気持ち

土曜日, 1月 30th, 2021

さらに悪知恵?

毎日新聞 20210130

食事中に足りなくなったものを取りに行きたくないと悩む18日の本欄「悪知恵」に、なるほどと感心した。・・・

今日の女の気持ち~
続きも読みがいがあるので・・どうぞ

リサイクル率日本一の町

火曜日, 1月 12th, 2021

毎日新聞 20210112

鹿児島県曽於郡大崎町は、リサイクル率日本一の町です。

こちら

20210112-m

 

さくらまやさん、一日取手署長に

火曜日, 1月 12th, 2021

さくらまやさん、一日取手署長に 「適切な110番を」

毎日新聞 20210112

取手市在住の演歌歌手、さくらまやさん(22)が、取手署の一日署長を務めた。制服姿のさくらさんは「寒さに負けずに元気よく活動します」とあいさつ。署を訪れた市民にファイルや反射材を手渡して110番の適切な利用を呼びかけた。

同署によると、2020年1~11月に県内で受けた110番通報で、いたずらなどを除いた有効受理件数15万7373件のうち、約13%が電話番号の問い合わせなど急を要さない通報だった。岡田宗久署長は「不適切な110番通報で回線が塞がることで、緊急の連絡が取れない場合もある。適切な利用で警察も最大限の力を発揮できる」と呼びかけた。

毎日新聞日曜版 タサン志麻さんレシピ

日曜日, 1月 10th, 2021

毎日新聞日曜版

日曜くらぶ 往復食簡 今が旬、冬の味に紹介されていた

タサン志麻さんの「白菜とハムのグラタン」を作ってみました。

S__16605273

新型コロナ 時短営業協力金受付

水曜日, 12月 9th, 2020

新型コロナ 時短営業に協力金 県、きょうから受け付け 12市町 

毎日新聞 20201209

 県は8日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、時短営業を要請した県南西地域12市町の飲食店に支払う協力金の支給申請を9日から受け付けると発表した。受け付けは1月31日まで。

 県は12市町の飲食店計約1950店舗に12月13日までの時短営業を要請。全期間に協力した店を対象に、1店舗当たり最大28万円の協力金を支給する。

 支給額は要請期間によって異なり、11月30日までに協力要請した土浦、古河、取手、牛久、つくば、かすみがうら、つくばみらい、阿見、境の9市町の店舗には28万円。12月2日に要請した鹿嶋、坂東の2市の店舗には24万円。同月3日に要請した常総市の店舗には22万円。

 書面申請は12市町の役所と商工会、商工会議所で受け付ける。県のホームページで電子申請も可能。問い合わせは協力金問い合わせダイヤル(029・301・5393)へ。

オンラインで委員会 取手市議会県内で初開催

火曜日, 12月 8th, 2020

オンラインで委員会 取手市議会、県内で初開催 第4回定例会  茨城

毎日新聞 20201208

取手市議会は開会中の第4回定例議会で、委員がオンラインで出席しての常任委員会などを県内で初めて開催している。今年9月の関連条例などの改正で可能になった特例措置で、7日の福祉厚生委員会でも委員8人中5人がオンラインで参加した。会期中、三つの常任委員会と一つの特別委員会がオンラインで議案質疑などを行う。

オンラインによる地方議会の委員会開催は、総務省が今年4月、新型コロナ感染拡大防止のために参集が困難な場合は認める見解を各都道府県などに通知した。同市議会の改正条例も同様の開催条件を定めている。

市議会では感染者の増加に伴い、11月24、28両日の議会運営委員会をオンラインで開催。さらに県から27日に「感染拡大市町村」の一つに認定されたため、同30日からの定例会会期中の委員会もオンライン開催とした。

今定例会中のオンライン委員会は4日、7日、8日に開催。7日にあった福祉厚生委員会では委員8人中5人がオンラインで、石井めぐみ委員長と委員2人が議会棟大会議室から参加。定例会提出議案について大会議室にいる職員に質問するなどした。

石井委員長は「音声はよく聞こえたし、各委員は以前と同じように質問できた。オンラインでもできる手応えは得た」と話した。

ただ、同市議会がオンライン参加を可能にした議事は「説明聴取・質疑・委員間討議」までで「表決」は除いており、今定例会でも各委員会の採決は9日に対面で行う。

市議会事務局によると、表決を除く理由には、本会議のオンライン開催は地方自治法上、いまだ認められてない状況を考慮しているという。同事務局は「議決は議会にとって最重要事項のため、本会議のオンライン開催が認められない状況では慎重に対応すべきと考えている」と説明する。

毎日新聞 オピニオン 時の在りか 伊藤智永

日曜日, 12月 6th, 2020

毎日新聞 2021205

20201205-m

次回掲載 2021/01/09

鬼滅の刃 全面広告

金曜日, 12月 4th, 2020

毎日新聞 20201204

20201204-m (1) 20201204-m (2)

毎日 こんなに新聞が売れたらいいのに(笑)

木内幸男氏オンライン記帳 12/4

木曜日, 12月 3rd, 2020

取手市名誉市民 木内幸男氏を追悼する記帳はオンラインで(12月4日から)
令和2年12月4日(金曜日)から令和2年12月11日(金曜日)まで

各日午前8時30分から午後5時15分まで

 

通夜のニュース 20201203

茨城新聞 いばらき春秋

記者としてかなわなかったことの一つに「木内幸男番」がある

高校野球取材の応援に駆り出され、常総学院の試合に関わった時だけ、「ぶら下がり」や「囲み」ができた。木内さんは、稚拙な問いにもサービス精神たっぷりに答えてくださり、本当に勉強になった

よりお世話になったのは、木内さんが監督を退任し、こちらがスポーツ報道の責任者に就いてからだ。当時、茨城新聞社には木内さんの映像がなかった。2015年にロングインタビューを企画し、土浦市営球場で収録させていただいた

記事は2回に分けて掲載。社の宝と言える映像は、ユーチューブで今も視聴できる

16年に常総学院がセンバツに出場した際には、甲子園に行かずテレビで見るという木内さんに観戦記をお願いした。快諾してくださったが、「原稿料」は固辞された。「茨城新聞は仲間だから、取材を受けるのは義務。お礼なんていい。社長が俺のことを見掛けたら、声を掛けてくれればいいんだ」と笑った。好物の甘味を差し入れさせていただいた

先月24日に亡くなった木内さんの告別式が、きょう取手市内で行われる。木内さんの大いなる「遺産」を、常総学院はじめ高校野球関係者に連綿と継承し発展させていってもらいたい。(仁)

スポニチ

肺がんで11月24日に死去した元常総学院監督の木内幸男氏(享年89)の通夜が2日、茨城県取手市の「やすらぎ苑」で営まれた。取手二、常総学院の監督として春夏通算3度甲子園で優勝し、甲子園通算40勝の名将。雨が降る中で参列した約2400人が故人との別れを惜しむ中、常総学院時代の教え子で来季はDeNA2軍監督となる仁志敏久氏(49)は「木内イズム」の継承を誓った。3日に同所で葬儀・告別式が行われる。
祭壇は野球のダイヤモンドをかたどって花が飾られ、棺の上には故人が愛用したグラウンドコートと3つの甲子園優勝メダル。そしてサインボールが一つ置かれていた。巨人時代に仁志氏が贈った思い出の品だ。故人が大切にしていたもので、3日に棺に入れられて一緒に天国へ持って行くという。

遺影を見つめ、静かに手を合わせた仁志氏は言った。「思い出はたくさんあり過ぎて何か一つを思い出すことはできない。元気に大きな声でしゃべって歩き回っている姿が焼き付いてます…」。87年に常総学院に入学し、すぐに素質を認められた。1年春からレギュラーで夏の甲子園で準優勝。まさに木内野球の申し子だ。試合中は常にベンチで隣に座って監督の言葉に耳を傾け、3年になると監督よりも先にチームへ指示を出すようになったという。「木内さんがいなかったら今の自分はない。親以上の存在です」と懐かしむように話した。

来季からはDeNAの2軍監督に就任し、恩師と同じ指導者の道を歩む。故人が入院する前日の10月28日に87年準優勝時のエースで常総学院・島田直也監督と取手市の自宅を訪れ、就任を報告。それが最後の機会だと分かっていたようで声がほとんど出せない状態でも、喜んでいる様子だったという。「元気だったらどんな話をしてくれたんでしょうね」。でも、故人の教えは心に焼き付いている。

「(木内監督の教えは)考えて野球をすること。状況を考え、状況に応じた答えを出しなさい、と。プレー前に考えて準備する」。育成、チーム力の底上げを担う2軍監督として、その教えを着実に生かす。この日、厳しくも優しかった故人を思い、意を強くした。

遺影の写真は優勝した01年センバツ当時のもの。甲子園で野球ができる喜びにあふれた表情で、教え子の門出にほほ笑みかけていた。(秋村 誠人)

《戒名に「常光」と「摂取」》木内氏の戒名は「常光院摂取球誉幸叡清居士(じょうこういんせっしゅきゅうよこうえいせいこじ)」となった。「常光」は常総学院で「常に光り輝いていた」、「摂取」は取手二で「選手を集め、新しいものを取り入れた」、「球誉」は「野球で茨城県民栄誉賞、取手市名誉市民など名誉を得た」という意味。「叡」には「考え深い」の意があり、故人の球跡をたどり表すものとなった。

◆主な参列者 中島彰一(日本製鉄鹿島監督)、仁志敏久(DeNA2軍監督)、島田直也(常総学院監督)、小菅勲(土浦日大監督)、松沼雅之(解説者、茨城トヨペット投手コーチ)、金子誠(日本ハム野手総合コーチ)、前田三夫(帝京監督)、内田靖人(楽天) =順不同、敬称略

毎日新聞

仁志さん「死ぬまで原点に」 2400人が別れ惜しむ 常総学院・木内元監督通夜

11月24日に89歳で亡くなった取手二高や常総学院の元監督で、甲子園で3度の優勝経験がある木内幸男さんの通夜が2日、茨城県取手市内で営まれ、球界関係者や両校のOBら約2400人が木内さんとの別れを惜しんだ。

木内さんのひつぎの上には、常総学院の監督時代に着ていたジャンパーや、甲子園優勝のメダルが置かれた。

1987年夏の甲子園で同校で準優勝し、来季からDeNA2軍監督を務める仁志敏久さん(49)は、「現役を引退して指導者という立場になってから思い返したのは木内さんのこと。死ぬまで原点になると思う」と話した。同校から3季連続で甲子園に出場した日本ハム野手総合コーチの金子誠さん(45)は、「亡くなる2日前にノックを受ける夢を見た。『元気かな』と思った矢先で、言葉が出ない」と話した

茨城新聞

「天国でも野球を」

高校野球監督として取手二と常総学院を計3回甲子園優勝に導き、89歳で先月死去した木内幸男さんの通夜が2日、取手市内の斎場で執り行われた。プロ野球DeNAの仁志敏久2軍監督ら教え子や野球関係者が数多く参列し、偉大な功績をたたえながら名将をしのんだ。告別式は3日正午から、同所で行う。

同市市之代のやすらぎ苑会場入り口付近には、両校のユニホームと、1984年夏の取手二全国制覇の優勝盾が置かれた。祭壇は野球グラウンドを模して飾られ、常総学院が2001年春と03年夏を制した際の優勝旗レプリカも添えられた。夏の甲子園大会歌「栄冠は君に輝く」が流れ、参列者が焼香し別れを告げた。

常総学院OBの仁志さんは「特に会うでもなく連絡するでもなかったが、いつも気にしながら野球をしていた。寂しいとか悲しいというより、不思議な感じがしている」と心境を述べた。

同じく母校の監督を務める島田直也さんは、来春の甲子園出場が濃厚なことを踏まえ「采配を見てもらいたかった」と残念がった。03年優勝時の主将で現在は部長を務める松林康徳さんは「熱を持って子どもたちに接する姿勢を受け継ぎたい」と誓った。

取手二優勝メンバーも顔をそろえた。常総学院前監督の佐々木力さんは「残念。これまでも大病を克服していたので…。天国でも野球をするのではないか」と語った。土浦日大監督の小菅勲さんは「子どもの目線まで下げて野球を教えてくれた指導者だった」と振り返った。社会人・日本製鉄鹿島監督の中島彰一さんは「監督のおかげで今、監督ができている」と感謝した。

木内さんと幾度も名勝負を繰り広げた霞ケ浦監督の高橋祐二さんは「大会のたびにお話を聞き、一球の大切さを学んだ」と悼んだ。

 

サンスポ

木内幸男さん通夜に2400人が別れ 仁志敏久氏「常識で考える野球を学んだ」

高校野球の監督として茨城の取手二高、常総学院高を計3度の甲子園大会優勝に導き、11月24日に肺がんのため89歳で亡くなった木内幸男さんの通夜が2日、茨城県取手市の斎場で営まれ、雨が降る中、教え子ら約2400人の参列者が別れを告げた。

入り口には優勝盾やユニホームが飾られ、夏の甲子園大会歌「栄冠は君に輝く」が流された。常総学院高OBで来季DeNA2軍監督に就く仁志敏久さん(49)は「形式ではなく常識で考える野球を学んだ」と振り返り「プレーの前に考え準備する。それを教えるのはこれからも変わらない」と語った。

産経新聞

高校野球で茨城県の取手二と常総学院両校の監督として甲子園で春夏計3度の優勝を果たし、11月24日に肺がんのため89歳で死去した木内幸男さんの通夜が2日、取手市市之代のやすらぎ苑でしめやかに営まれた。高校球界に多大な足跡を残した名将の旅立ちを悲しむような氷雨が降る中、市民や教え子ら約2400人が木内さんとの別れを惜しんだ。

常総学院が昭和62年夏の甲子園で準優勝したときのエースで、プロでも横浜(現DeNA)などで活躍。今夏、母校の監督に就任した島田直也さん(50)は「常総に恥はかかせられない。頑張ります」と霊前で奮闘を誓った。

チームは今秋の関東大会で準優勝し、来春予定される選抜大会への出場が有力視される。「こういうケースではどうすればいいのかといったことを聞きたかった」と恩師の死を惜しんだ。

島田さんと同じ準優勝メンバーで今秋、DeNAの2軍監督に就任した仁志敏久さん(49)は10月下旬、木内さんの入院前日に本人と対面。「だいぶやせて、会話も苦しそうだった」と回想する。「木内さんと出会わなければ今の自分はいない。親以上の存在だった」としみじみ。

取手二の優勝メンバーで、社会人・日本製鉄鹿島監督の中島彰一さん(54)は「普通の高校生だった自分たちがあんな舞台(甲子園)に立てたのは木内さんのおかげ」と感謝。同じく取手二で優勝し、現在は土浦日大監督の小菅勲さんは54歳を迎えた誕生日が偶然、木内さんの死去した翌日だった。「もう一度生まれ変われるように」と気持ちを新たにチームの指導に当たっていくという。

 

 

ユーチューバー 渋谷真子

火曜日, 12月 1st, 2020

毎日新聞 20201201

ユーチューバー 渋谷真子

ポジティブさは どこから?
20201201-m