女の気持ちファンです^ ^*
6月21日掲載
負けるもんか
両胸にがんが見つかった。親族に2人、乳がん罹患(りかん)者がいるので、「私もきっとそのうち」と覚悟はあった。
けれど、いきなり両胸全摘の宣告。検診は毎年欠かさなかったけれど、見つかりにくいタイプの、おとなしいがんらしい。
グレー判定から宣告までの2カ月間は、今まで意識したことのなかった「自分の死」と真正面から向き合う日々だった。
そんな中、私が何を一番失いたくないのかがよく分かった。
突然泣き出す私の手を「大丈夫だよ」と握ってくれる主人との平凡な時間だ。雨が降った、花が咲いた、暑いよ、寒いよ、腹減った……。
2人で交わすこんな会話の時間が、この上ない幸せなんだと、今は心底そう思う。
この試練は、このところ不平不満が多かった私に「小さな幸せ」を再確認させるためだったのかもしれない。
子どもには恵まれなかった。だから私のおっぱいは本来の役目を果たせぬまま捨てられてしまうことになる。
ごめんね。せめて、こんなふうに語りかけている。
ママのおっぱいはね、すごく甘くておいしいから、悪魔が「欲しい、欲しい」って言うんだ。
「くれないならママを全部食べちゃうぞ」って脅かすんだ。
だから怖い悪魔が二度と来ないように、おっぱいはふたつとも悪魔にあげちゃうことにしたよ。
そんなに欲しいんならくれてやる。そう言ってね。
負けるもんか。来月5日、手術を受けます。
6月19日掲載
牛の涙
子どものころ、車で30分くらい離れた市内の実家では、2頭の和牛を飼っていた。
夏の早朝、母は草刈りに行き、背負いかごいっぱいに草を刈ってきた。
その草を庭全面に広げて干し、牛の餌にした。
夏休みの昼下がり、その干し草の上で遊ぶのが好きだった。
何とも言えない干し草のいい香りが、夏休みの思い出とともによみがえってくる。
私のお手伝いに牛の餌やりがあった。
牛はよだれを垂らしながら真っ黒い大きな目で見つめるので、ちょっと怖かった。
ある夜のこと、牛が庭で跳びはねていたのに驚き、慌てて父を呼び、牛小屋に戻してもらった。
牛は入り口をふさいでいた3本の棒を角で持ち上げて外し、狭い牛小屋から脱走していたのだった。
牛が成長すると、博労(ばくろう)が来て、牛を連れて行く。
牛は本能で殺されると分かっていたのだろうか、トラックになかなか乗らず嫌がっていた。
ある時、そんな牛の真っ黒い大きな目からポロッと大きな涙がこぼれたのを見た。
「連れて行かないで」と訴えていたのだろうか。私はその光景が忘れられない。
家畜の伝染病、口蹄疫(こうていえき)の問題で、宮崎県では多くの牛や豚が処分されています。
その陰で、たくさんの牛や豚、たくさんの畜産農家が涙を流していると思うと心が痛みます。
人間は他の生き物の命をいただいて生きていることを忘れず、たくさんの涙を無駄にしてはいけないと思います。