からくに便り ~産経新聞2011.04.28~
ソウル支局長・黒田勝弘 「迷惑をかけない」日本人
日本での大震災に際し、被災者たちの冷静で秩序ある姿が国際社会で
あらためて関心の対象になり、称賛された。阪神・淡路大震災の時もそうだった。
とくに韓国人たちは、日本に近く、姿かたちもよく似ているためことさら
「われわれと違って日本人はなぜ?」と思う。
現地取材のある韓国人記者は「日本人はガマンせずもっと悲しんではどうか…」と書いていた。
韓国人にとって激しく悲しまない日本人は、もどかしく、じれったく、歯がゆいのだ。
事故、事件を含め災難や悲劇に際しての韓国人の嘆き悲しみ方はことのほか激しい。
とくに家族の死にはあたりかまわず感情を爆発させ時には失神さえする。
関係者など相手があるときは決まって食ってかかり、つかみかかり、もみ合いになる。
「冷静な被災者」をめぐって韓国では、メディアはもちろん街の声を含めあらためて
“日本人論”が盛んに語られた。筆者もたくさん問いかけられた。
とりあえずは「韓国と違って日本は自然災害が多い。
これは人間の力ではどうすることもできない。
誰の責任でもないし、誰かを非難するわけにもいかない。ひたすらガマンし、耐えるしかない。
日本人の災難観にはあきらめ、つまり“諦念”がある」などと答えたのだが、
これでよかったかどうか。
韓国人を感心させた例のひとつに、何日かたって救助されたおばあさんの第一声だった
「ご迷惑をおかけしてすみません」がある。命からがら助けられても
「すみません」という他者への配慮が、いかにも日本人的であり、
日本人の“美徳”として話題になった。
この件をふくめ、今回の韓国での日本人論のキーワードは
「人に迷惑をかけない」になっていた。
日本では昔からこれが家庭教育や学校教育の基礎になり、
人々の人生訓にもなってきたというのだ。
秩序意識や感情の抑制はそのせいであり、
とくに人前で泣いたりわめいたりしないのはそのためだという。
この「人に迷惑をかけない」は他者への配慮だが、
一方で他者を過剰に意識することにもなるとして、
結果的に横並びや画一主義につながり、
そこから横並びに従わないと“村八分”や“いじめ”が出てくるといった解説もあった。
ところで「人に迷惑をかけない」と「遠慮」は関係がある。
今回の大震災では日本人の遠慮も目立ったように思う。
たとえば原発対策を含め海外からの支援受け入れを、
日本はかなり遠慮したような印象を持たれている。
ある韓国人は「あれは理解できない、日本人の自尊心だろうか」といっていたが、
それよりも日本人的な遠慮だったのではないか。
日本人は日常的に助けや手伝いの声がかかると、まず「いやとりあえず結構です、
何とか自分でやってみます」という。相手に負担をかけないように配慮するのだ。
この「遠慮」も日本人の美徳のひとつと思うが、
ただその裏には「借りをつくりたくない」という心理がある。
今回の国際的支援は善意のものではあるが、
日本人としてはやはり「国際的な借り」と思う。
「借り」をつくりたくなければ最高の地震対策、最高の原発安全策をたてることだ。
称賛と国際協力に甘えているわけにはいかない。
迷惑をかけたくない・・・自分自身のことのよう^ ^*