明日「とりで太鼓の祭典」で初舞台の難病の中学生

難病の中学生が太鼓演奏に挑戦
視力低下、音楽で誰かに勇気を
昨年春、急に目が見えなくなる難病を発症した取手市立藤代中学3年、山口凌河君(15)が8月末から、地域の太鼓愛好団体に加わり演奏に挑戦している。21日には、同市東の取手市民会館で開かれる「とりで太鼓の祭典」に出演し、初舞台を踏む。凌河君は「自分もいろいろな人に勇気づけられたので、自分ができることをやることで、誰かを勇気づけられれば」と話す。
凌河君は昨年6月まで同中野球部の主将を務め、捕手か三塁を守る4番打者だった。昨年3月、バッターボックスに立つと目の前で球が見えなくなる症状に突然襲われ、その後、視力が急激に低下、5~6月ごろにはほとんど見えなくなり、光を感じるだけになったという。治療を続けたが良くならず、8月に10万人に一人といわれる視神経が萎縮する難病「レーベル病」と診断された。
学校に行かなくなり、自宅に引きこもる日々が続いたという。この間、友人が自宅に遊びに来て「学校に行かなくていいから、おれんち来いよ」と声を掛けてくれた。友人の誘いをきっかけに外出できるようになり、再び学校にも通えるようになった。まだ視力が残っていたころ、自転車で外出する際は友人が両脇を併走するなどして危険から守ってくれた。「友達が優しくしてくれたことが、立ち直るきっかけになった」と振り返る。
凌河君は保育園の年長から小学4年まで5年間、太鼓クラブ「小貝川子ども太鼓」に所属し、地域の祭りや音楽祭などで太鼓をたたいてきた。5年になって少年野球クラブに所属したのをきっかけに太鼓を辞め、野球に打ち込んだ。
中学3年になったばかりで視力を失い、すべてにやる気を無くす一方、「何かやらなくては自分の将来が何もなくなってしまう」とあせる中、「以前やっていた太鼓だったらできるかな」と思い立ち、昨年8月、地域の社会人太鼓愛好団体「太鼓の衆 風舞(かざまい)」(根本和彦代表)に入会した。「太鼓が新たな目標になった」と凌河君は話す。
同会は母親の文子さん(49)も活動している団体だ。文子さんは凌河君が保育園で太鼓を始めたのをきっかけに、自身も太鼓を始め、凌河君が野球に打ち込んでからもずっと太鼓演奏を続けてきた。
昨年8月末から凌河君は毎週1回、母親らと一緒に練習を続けている。演奏する前に太鼓を触り大きさを測ってからたたく。最近は自宅のパソコンで太鼓演奏のDVDを聞きながら練習している。「風舞」の根本代表は「基本的な打ち方ができているので、他のメンバーと遜色ない」と話し、「明るい性格の凌河君が太鼓に打ち込む姿に、逆にメンバーが励まされている」と語る。
21日の「太鼓の祭典」では2曲を演奏し大太鼓とやぐら太鼓をたたく。凌河君は「上手にできれば」とし「野球をやっていたので大きな声を出したい」と意気込みを話す。舞台では母親とも初共演する。
卒業後は全寮制の筑波大付属盲学校(東京都文京区)に進学する予定だ。「点字を学び歩行訓練を習得したい。大学に進学し、音楽が好きなので将来は歌手になることを目指している」と夢を語る。

難病の中学生が太鼓演奏に挑戦  ~常陽新聞20110120~

視力低下、音楽で誰かに勇気を

昨年春、急に目が見えなくなる難病を発症した取手市立藤代中学3年、山口凌河君(15)が8月末から、地域の太鼓愛好団体に加わり演奏に挑戦している。21日には、同市東の取手市民会館で開かれる「とりで太鼓の祭典」に出演し、初舞台を踏む。凌河君は「自分もいろいろな人に勇気づけられたので、自分ができることをやることで、誰かを勇気づけられれば」と話す。

凌河君は昨年6月まで同中野球部の主将を務め、捕手か三塁を守る4番打者だった。昨年3月、バッターボックスに立つと目の前で球が見えなくなる症状に突然襲われ、その後、視力が急激に低下、5~6月ごろにはほとんど見えなくなり、光を感じるだけになったという。治療を続けたが良くならず、8月に10万人に一人といわれる視神経が萎縮する難病「レーベル病」と診断された。

学校に行かなくなり、自宅に引きこもる日々が続いたという。この間、友人が自宅に遊びに来て「学校に行かなくていいから、おれんち来いよ」と声を掛けてくれた。友人の誘いをきっかけに外出できるようになり、再び学校にも通えるようになった。まだ視力が残っていたころ、自転車で外出する際は友人が両脇を併走するなどして危険から守ってくれた。「友達が優しくしてくれたことが、立ち直るきっかけになった」と振り返る。

凌河君は保育園の年長から小学4年まで5年間、太鼓クラブ「小貝川子ども太鼓」に所属し、地域の祭りや音楽祭などで太鼓をたたいてきた。5年になって少年野球クラブに所属したのをきっかけに太鼓を辞め、野球に打ち込んだ。

中学3年になったばかりで視力を失い、すべてにやる気を無くす一方、「何かやらなくては自分の将来が何もなくなってしまう」とあせる中、「以前やっていた太鼓だったらできるかな」と思い立ち、昨年8月、地域の社会人太鼓愛好団体「太鼓の衆 風舞(かざまい)」(根本和彦代表)に入会した。「太鼓が新たな目標になった」と凌河君は話す。

同会は母親の文子さん(49)も活動している団体だ。文子さんは凌河君が保育園で太鼓を始めたのをきっかけに、自身も太鼓を始め、凌河君が野球に打ち込んでからもずっと太鼓演奏を続けてきた。

昨年8月末から凌河君は毎週1回、母親らと一緒に練習を続けている。演奏する前に太鼓を触り大きさを測ってからたたく。最近は自宅のパソコンで太鼓演奏のDVDを聞きながら練習している。「風舞」の根本代表は「基本的な打ち方ができているので、他のメンバーと遜色ない」と話し、「明るい性格の凌河君が太鼓に打ち込む姿に、逆にメンバーが励まされている」と語る。

21日の「太鼓の祭典」では2曲を演奏し大太鼓とやぐら太鼓をたたく。凌河君は「上手にできれば」とし「野球をやっていたので大きな声を出したい」と意気込みを話す。舞台では母親とも初共演する。

卒業後は全寮制の筑波大付属盲学校(東京都文京区)に進学する予定だ。「点字を学び歩行訓練を習得したい。大学に進学し、音楽が好きなので将来は歌手になることを目指している」と夢を語る。

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