毎日新聞 女の気持ち 2本の投稿

女の気持ち:友達たくさん 群馬県板倉町・匿名希望(主婦・49歳)
毎日新聞 2012年04月13日 東京朝刊
卒業おめでとう。この6年間よく頑張りましたね。君が小学校に入学する時、障がいを理由に、バスで30分かかる特別な学校を薦められました。
でも、障がいがあるからこそ、父と母は地域の学校で皆と一緒に普通に生活させてあげたかった。社会はひとつだから。
たくさんの人とかかわることで、社会性や生きるすべを身につけてほしかったし、他の人にも君のことを、少しでも早いうちから理解してもらいたいと思ったから。
だから、卒業式での君の堂々とした態度を見て、私たちの考えは間違っていなかったと思いましたよ。
勉強は難しかったけれど、たくさんの友情を育むことができましたね。
友達が、君のできないところを分かってくれて、優しく時には厳しく接してくれる場面に出合うと、母はうれしくて、いつも涙ぐんでいました。
学校が好きで、一度も「休む」と言ったことがない君。毎日のように友達の名前を呼びながら、絵を描いていた君。
本当に楽しい学校生活だったんだね。そんなふうに君にかかわってくれた、すべての人に心から感謝します。
今月から中学生。環境が変わり戸惑っているかもしれないけれど、君のスマイルで、また友達をたくさん作っていこうね。
これからも、君の周りに優しい気持ちが集まってきてくれますように。温かい友情が、ずっと続きますようにと、母は願うばかりです。
女の気持ち:母の気持ちは 東京都世田谷区・宮本寿子(主婦・75歳)
毎日新聞 2012年04月14日 東京朝刊
今月末、私は76歳の誕生日を迎えます。特に今年は、母が亡くなった年齢でもあり、いつもの年より感慨深いものがあります。
若々しく活動的な母でしたが、末期のがんが見つかって、わずか3カ月でこの世を去ってしまいました。
それから23年、いまだに心に引っかかっていることがあります。
母は「もしがんだったら、死ぬ前にやっておきたいことがあるので、必ず教えてね」と折に触れて言っていました。
しかし、母が望んでいたがんの告知は、6人の子どもたちの意見が合わず、実現しませんでした。
日ごとに悪化する病状の中で、死期が近づいたことを知った母。病院のベッドで、やり場のない悔しさに耐えながら、沈黙のまま息を引き取りました。
死後、生前母がやりたかったことを考えてみました。母の性格からして、その一つは、お世話になった人や、親しかった人へのお別れのあいさつだったのではないか。そう考え、特に親しかった方たちを後日家に招いて、しのぶ会を開きました。
76歳といえば、まだ気力体力とも充実し、やりたいこと、やらなければならないことがいろいろあります。
果たして母は、最後に何がしたかったのでしょう。大勢の子や孫に囲まれながら、誰一人として母の体の異常に気づかなかったふがいなさ。
がんの早期発見の難しさを、改めて感じています。

友達たくさん 群馬県板倉町・匿名希望(主婦・49歳)

毎日新聞 2012年04月13日

卒業おめでとう。この6年間よく頑張りましたね。君が小学校に入学する時、障がいを理由に、バスで30分かかる特別な学校を薦められました。

でも、障がいがあるからこそ、父と母は地域の学校で皆と一緒に普通に生活させてあげたかった。社会はひとつだから。

たくさんの人とかかわることで、社会性や生きるすべを身につけてほしかったし、他の人にも君のことを、少しでも早いうちから理解してもらいたいと思ったから。

だから、卒業式での君の堂々とした態度を見て、私たちの考えは間違っていなかったと思いましたよ。

勉強は難しかったけれど、たくさんの友情を育むことができましたね。

友達が、君のできないところを分かってくれて、優しく時には厳しく接してくれる場面に出合うと、母はうれしくて、いつも涙ぐんでいました。

学校が好きで、一度も「休む」と言ったことがない君。毎日のように友達の名前を呼びながら、絵を描いていた君。

本当に楽しい学校生活だったんだね。そんなふうに君にかかわってくれた、すべての人に心から感謝します。

今月から中学生。環境が変わり戸惑っているかもしれないけれど、君のスマイルで、また友達をたくさん作っていこうね。

これからも、君の周りに優しい気持ちが集まってきてくれますように。温かい友情が、ずっと続きますようにと、母は願うばかりです。

母の気持ちは 東京都世田谷区・宮本寿子(主婦・75歳)

毎日新聞 2012年04月14日

今月末、私は76歳の誕生日を迎えます。特に今年は、母が亡くなった年齢でもあり、いつもの年より感慨深いものがあります。

若々しく活動的な母でしたが、末期のがんが見つかって、わずか3カ月でこの世を去ってしまいました。

それから23年、いまだに心に引っかかっていることがあります。

母は「もしがんだったら、死ぬ前にやっておきたいことがあるので、必ず教えてね」と折に触れて言っていました。

しかし、母が望んでいたがんの告知は、6人の子どもたちの意見が合わず、実現しませんでした。

日ごとに悪化する病状の中で、死期が近づいたことを知った母。病院のベッドで、やり場のない悔しさに耐えながら、沈黙のまま息を引き取りました。

死後、生前母がやりたかったことを考えてみました。母の性格からして、その一つは、お世話になった人や、親しかった人へのお別れのあいさつだったのではないか。そう考え、特に親しかった方たちを後日家に招いて、しのぶ会を開きました。

76歳といえば、まだ気力体力とも充実し、やりたいこと、やらなければならないことがいろいろあります。

果たして母は、最後に何がしたかったのでしょう。大勢の子や孫に囲まれながら、誰一人として母の体の異常に気づかなかったふがいなさ。

がんの早期発見の難しさを、改めて感じています。

懐かしき

ある日のこと

「地震で大皿が全て割れてね・・・・」「よかったら使って・・・亡くなった母がしまっておいたものだけど・・・」

有難う

さっそく、その日から使わせていただきました

薄型の食器棚には入らないような大きなお皿でした

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