毎日新聞 時代を駆ける 「鈴木直道」さん

10 マイナスからプラスへ
《夕張市の明日は数字で見る限り、厳しい。人口は7月末現在で1万466人。直近の国勢調査では、人口減少率は全国の市の中で最も高い。一般会計の予算規模約95億円に対し、借金322億円。13年度から元金の返済が始まるが、財政再生計画によると、利子を含め年間約26億円の返済が26年度まで続く》
計画には市営住宅再編やバス路線見直しなど、市民生活に必要な74事業が追加されました。再生団体とはいえ、市民が住み続けられる形を模索し、必要な事業は実施しなければいけない。でも、公民館の補修など21項目は盛り込まれなかった。
借金の返済期間を短くしたい。企業誘致など税収を上げる努力は続けますが、期間短縮は揺るがず訴えていきたい。あと十数年もこの厳しい状況が続けば、まちは疲弊し切ってしまう。人口が減り、医療、交通など、まちの機能を維持できなくなる。国依存も強まり、自治のあり方としてもおかしい。
《65歳以上の高齢化率は44%。こちらも市ではトップ。一方、若年人口は6%。厚生労働省が予測する50年後の日本の平均的な姿でもある》
夕張は日本の縮図です。夕張が消えれば、日本全体もそうなりかねない。大げさではありません。他にも大変な自治体があります。東京のような大都市が強くなることも重要ですが、日本の多くは「それ以外」です。
他の自治体にとって夕張はマイナスのモデルですが、現在、国と北海道と一緒に再生へ向けて課題を話し合える全国唯一の自治体です。アイデアを出すことでプラスのモデルに転換できます。
再生に向け、職員にも積極性が出てきました。8月30日に各課の目標をホームページに掲載したばかりです。市議会とも目指すものは同じです。
今後、夕張の人口が激増することはないでしょう。しかし、市民が「住んでて良かった」と誇れるようになれば、夕張にとっての勝利です。その指標は利便性や人口では決してありません。メロンや美しい自然、炭鉱の歴史、何より温かい人びと。夕張には宝がたくさんあります。
■人物略歴
◇すずき・なおみち
11年4月、夕張市長に初当選。31歳。全国最年少市長。元東京都職員。趣味は映画鑑賞と温泉巡り。肉料理が好物。AB型。

1 夕張再建、逆風下の始動 2012年08月21日

北海道夕張市が財政破綻し、財政再建団体(当時)に指定されてから5年以上過ぎた。再生の先頭に立つのは全国最年少市長の鈴木直道さん(31)。人口は1万人割れ目前で、高齢化率は44%と全国の市で最も高い。「日本一元気なまちに変えたい」と市長に就任して約1年4カ月。奮闘の日々は続く。

《最初に手掛けたのが市役所内部の改革。11年7月、146人の市職員の6割を異動させた》

国の同意がなければ予算を変えられず、庁内は「どうせ何もできない」という思考停止に陥っていました。風穴を開けたかった。やる気のある若手を積極的に登用しました。公約実現のための「まちづくり企画室」や、企業誘致に取り組む「産業課」を新設しました。

でも、ハレーションは大きかったですね。もともと厳しい人員の中で、職員の負担がさらに増えましたから。

《職員の間には「マスコミに目立つ部署に人が増え、地道な仕事がある部署は減らされた」との不満がくすぶった》

遅かれ早かれやらなければならないことでした。前例主義から脱却してほしかった。今年3月に道内外2社の工業団地への誘致にも成功しました。財政破綻後は初めて、道外企業は14年ぶりです。市民から「市役所は明るくなった」との声も寄せられました。

《副市長を置かずに北海道と東京都から理事を派遣してもらった》

副市長の報酬は財政破綻後に64%削減されて月額24万円。これでは引き受けてくれる人はいません。「(理事の2人は)どうせ派遣期間の2年で戻るんでしょう」という冷ややかな声も庁内にはありました。でも、私も含めて「よそ者」の視点が求められています。

私が最初に「おかしい」と感じたことは今も変わらない。例えば、26年度まで322億円の返済が続く財政再生計画です。こんなに長ければ計画が終わった時には夕張から人がいなくなってしまう。今、計画短縮を目指して国や道と交渉していますが、これまでは「短縮なんて無理」という意識が支配していました。

2 古巣の東京都、強い味方 2012年08月22日

《東京都は強い味方だ。石原慎太郎・都知事はエールを送る》

10年11月、東京都を退職し、夕張市長選への立候補を報告した時、知事から「とんでもない勘違い野郎だ」と言われました。怒られているのかなと思いましたが、最後に「裸一つで挑戦する若者をおれは殺しはしない」と言われました。

当選した翌日、知事は庁議で「夕張市長に絶対に協力しろ。しないやつはクビだ」と言ったそうです。就任後のあいさつでも、「お前はもう都職員の代表じゃない。日本の若者の代表として頑張れ」と激励されました。

《東京都との連携を公約に掲げた。市長就任1カ月後、都政策部政策課内に夕張専用の窓口が設置された》

夕張は豊かな自然や広大な土地がある。その強みをアピールして、東京都に集中している人・金・物を夕張に導きたい。

就任後、東京都などに夕張への修学旅行を働きかけました。今年は昨年より10校も多い26校が道外から来ます。この夏、東京都の高校生134人が夕張を訪れ、スポーツやメロンの出荷体験などを通じて交流しました。東京の若い世代に未来の夕張の応援隊になってもらいたいからです。

既に、消防職員の人事交流や、都職員の短期研修、都庁舎での夕張物産展なども行っています。水道など滞納公共料金の徴収方法など、都のノウハウを学びました。逆に、高齢化した夕張の事例は、東京でも生かすことができます。組織の枠組みも形も違うからこそ、お互いに学び、スキルを高め合えます。

これまで夕張には14自治体から延べ66人の職員が派遣されています。東京都にとどまらず、他の自治体とも連携したい。

《猪瀬直樹・都副知事の影響も受ける》

夕張への職員派遣を発案したのが猪瀬さんです。派遣時代から頻繁に電話で相談にのってもらっています。今も2カ月に1度は会っています。

猪瀬さんがよく口にするのが「複眼思考」。いろいろな視点から同時に物事を見ることの大切さです。夕張再生のため、東京から夕張を見ることもあるし、夕張から東京を見ることもあります。

3 再生支援、首相に直談判 2012年08月23日

《東京の永田町や霞が関を歩き、夕張への支援を要請する》

国会議員だけではなく総務省の職員さえも、夕張の問題は財政再生計画を作った時点である程度整理されたと認識している人が少なくありません。

しかし、直接会って、一般財源に占める交付税は70%前後とか、借金の返済スケジュール、高齢化率、年少人口など、数字を出して説明すると、「それは大変だね」と驚かれます。夕張はこれからが本当に大変だという意識を持ってもらうことが必要だと感じました。

東京には2カ月に1回ほど足を運んでいますが、市長の旅費は限られています。本州の大学や企業から講演依頼を受けた時などは交通費や宿泊費を出してもらえるので、空き時間を利用していろいろと回ります。

《今年1月、野田佳彦首相に財政再生計画の期間短縮への支援を求める要望書を手渡し、直談判した。一部の側近しか知らない隠密作戦だった》

夕張で実施した被災地の子どもたちの受け入れ事業を国に報告する時、首相に会えるとわかり、あいさつだけで帰ってくることはできないと考えました。

財政再建団体となって以降、首相と市長が直接話をする機会はありませんでした。夕張の実情を訴えることができたのは大きな成果。首相には「しっかり対応していきたい」と言っていただいた。

《その成果もあって、7月には、国と北海道、夕張市がまちの課題について話し合う3者協議が実現した》

全国の自治体を相手にしている総務省が、夕張まで足を運んでくれたのはすごいことです。

築40年以上経過し約4割が空いている市営住宅や、老朽化して今冬の大雪で倒壊した美術館など、実際にまちの現状を見てもらい、課題を共有できました。これを前提に、夕張再生のために前向きに議論したい。

26年度までに322億円を返済するという計画の短縮は簡単ではありませんが、何もなければ始まりません。

「一点突破、全面展開」。3者協議は期間短縮に向けた議論のスタート地点です。

4 昼は都職員、夜は大学生 2012年08月24日

《順風の人生を歩んできたわけではない。自ら道を切り開いてきた。高校2年の時、両親の離婚で生活が一変した》

母と姉と3人で、家賃の安いボロボロの家に引っ越しました。母は仕事をかけ持ちして、昼も夜も働いていました。よくアルバイト先のギョーザの残りを持って帰ってきました。いつ寝てるのかわからないほど働いて、つらかったと思います。姉も短大を中退しました。私はアルバイトをしながら県立高校に通わせてもらえましたが、大学進学はあきらめました。

《猛勉強して、難関だった東京都の採用試験に合格した》

東京都は努力・実力次第で、学歴に関係なく昇進します。母子家庭になり、行政サービスの支援を受けた経験からも役所に興味がありました。最初は模試も最低ランク。公務員試験の専門学校に行きたかったけれど、そんなお金はない。参考書を買い、寝る間も惜しんで勉強しました。字を書きすぎて手がけいれんしたこともありました。

高卒や専門学校卒などの受験者192人のうち上から3番目の成績で合格しました。うれしくて、そのはがきは今でも取ってあります。

《入庁2年目の00年に法政大学法学部(夜間部)に入学した》

公務員を目指す人たちがどんな勉強をしているのか知りたかった。当時の上司は大学の夜間部に通っていた経験があり、理解がありました。

働きながらの通学は大変でした。当初は埼玉県三郷市から通勤していたので、朝5時に起きて新宿の職場に向かい早めに仕事を始めました。午後5時半に仕事を終わらせ、6時半から9時半まで授業です。興味のあったボクシング部に入ったので、練習もあります。電車の中や授業中に夕食の菓子パンを食べました。何でこんなにつらい生活をしてるんだろうと思うこともありました。

ゼミは地方自治。宮崎伸光先生とは今でも大切なつながりがあります。先生は以前から夕張で調査研究しており、私が夕張派遣中の09年に実施した市民アンケートにも協力してくれました。選挙の時も相談に乗ってもらいました。

5 派遣初日から残業 2012年08月25日

《26歳だった07年11月、東京都から夕張市への派遣職員に選ばれた》

財政破綻のニュースで夕張の存在は知っていましたが、特別な興味を持っていたわけではありませんでした。しかし、派遣を打診され、行政サービスの最低ラインを学ぶことで東京都政に生かせるのではないかと考えました。

この年のクリスマスに、下見のため初めて夕張に足を踏み入れました。新千歳空港にマスコミの人がたくさん来ていて、すごく緊張したのを覚えています。マスコミに囲まれるなんて人生で初めてでしたから。夕張の第一印象は、雪が多くて人が少ないこと。木々に囲まれた山あいのまちで、自然豊かで美しい所だと思いました。でも、知っている人もいないし、うまくやっていけるのか不安もよぎりました。

《正式な着任は真冬の08年1月21日だった》

初日だし、歓迎会でもあるのかな、なんてのんきに考え、声がかかるのを待っていましたが、そんな様子はありません。夕方5時が過ぎ、庁内の暖房が切れ、みんなが手袋をしてベンチコートやスキーウエアを着始めました。私もとりあえずコートを着ました。

どんどん寒くなって、パソコンを打つ手が痛くなり、指の感覚もなくなってきました。通用口からすきま風が入ってきて、室温は0度以下になりました。夜10時ごろ、もう限界と思い、「初日なので早退させていただきます」と言って帰りました。

アパートの一室で、東京都から一緒に派遣されていた職員と電子レンジで温めたコンビニ弁当を食べながら、「おれたちこれからどうなるのかな」「少なくとも明日からちゃんと着込んでいこう」などと話しました。

《当時は、全員が毎日午後11時ごろまで残業し、土日も出勤した》

市役所の雰囲気も暗く、誰もが自分の仕事をこなすのに必死でした。周りを助ける余裕もない。下見の時に名刺交換した人は辞めていました。目の前で働いている人が、いついなくなるかわからないのです。担当者が頻繁に代わるので、書類にも一貫性がありません。当時は本当に厳しい状況でした。

6 自ら希望し派遣延長 2012年08月28日

《夕張市派遣は当初1年の予定だった》

財政悪化で05年から中止の「寒太郎まつり」という冬祭りを復活させるなど、イベントに携わるうちに、多くの人とつながりができました。2年目はその経験や人間関係を生かせると思い、期間延長を希望しました。

《財政健全化法の施行に伴い、09年、新たに財政再生計画を策定した。この際に、市民アンケートを発案した》

以前の財政再建計画は、「最低の行政サービス」「最高の住民負担」という単純に財政赤字を減らすという切り口で作られ、どうすればこのまちを維持できるのか、個々の事業がどれだけ必要か、という議論はなく、市民の声も反映されていませんでした。

しかし、市側から市民に「何をやってほしいですか」とは聞きにくい。聞くと実行しなければならない。市役所の中にいながら第三者的な立場の自分にしかできないと思いました。おごりかもしれないですが……。

《人手と資金がネックだったが、北海学園大学や、法政大在学中に所属していたゼミに協力を依頼した。学生計80人が2週間、ボランティアで調査に参加した》

市民に困っていることや計画に反映してほしいことを聞き、市内の約25%、1600世帯から回答を得ました。最も多かったのが除雪体制の改善です。救急医療体制への不安も多かった。約150ページの調査報告書を当時の渡辺周・副総務相に届けた結果、除雪基準が積雪15センチ以上から10センチ以上になり、市立診療所の建て替えも計画に盛り込まれました。

《半年間、仕事とアンケートをかけ持ちし、帰宅は深夜だった》

疲れて仕事中も意識が遠のくし、肌もボロボロ。派遣の都職員がここまでやっていいのかという葛藤は常にありました。でも、みんなで声をあげれば、夕張は変わることを知ってほしかった。

10年3月に夕張を離れる時のことは忘れられません。約50人が市役所前で黄色いハンカチを振って見送ってくれました。

たった2年2カ月の派遣でしたが、こんなに泣けるのかというくらい、泣きました。

悩んで、悩んで、出馬 2012年08月29日

《東京都に戻り約8カ月後の10年11月、夕張市の若手グループから、市長選出馬を要請された》

よく冗談で「市長になりなよ」と言われていたので、最初はどこまで本気なのか分かりませんでした。市長になりたい気持ちがあったのでは、とよく言われますが、考えてもみなかったです。

結婚を控え、婚約者と新居に住み始めたばかりでした。夕張市長の報酬は月約26万円ですから、年収は200万円近く減ってしまう。生活できるか、選挙に勝てるか、不安がありました。

《当時は東京都から内閣府地域主権戦略室に出向していた》

国会対応の資料作りなど事務作業が大半で、夕張派遣のころのように市民の顔が見えず、物足りなさを感じました。

夕張での経験は強いインパクトがありました。以前は東京や埼玉といった大都市だけで生活していて、地方の大変さを知りませんでした。全国一律で行政サービスを提供しているといいつつ、格差がある。東京23区よりも広い夕張には、財政破綻後は図書館もない。水道料金は東京の2倍。ゴミ処理手数料も高い。

価値観も変わりました。人から必要とされるありがたさを強く感じるようになりました。悩んで、悩んで……。「夕張のため人生を懸けてみよう」と思ったんです。

《昨年4月の夕張市長選では元衆院議員ら3人を破った》

10年11月に東京都を退職、12月に夕張に転居しました。人生で初めて味わう無職、無収入の怖さ。ご飯を食べればお金が減る。不安だらけでしたが、まず市内の全世帯、約6000世帯を一軒一軒回りました。「鈴木です」と言っても分かってもらえませんでしたが、だんだんと「知ってるよ」「応援してるよ」と声がかかるように。告示日に選挙カーで回ると、市民が次々と家の中から出てきて、手を振ってくれました。感動しました。

財政破綻で、市民の意識は変わりました。行政への関心は高く、市長選では82%もの有権者が投票しました。夕張が破綻から得た教訓は大きい。このままじゃいけないという思いが若い私を選んだと思います。

8 「生まれて、良かった」 2012年08月30日

《夕張市長に就任して1カ月後の11年5月に麻奈美さん(30)と結婚。11月には、一戸建てを購入した》

「よく思い切ったね」と言われましたが、子どもを育てるためにも夕張を何とかしないといけない。そういう覚悟がなければ市長はできません。市長が住みたいと思えるまちでなければ。

妻と知り合ったのは東京都職員時代で、私のことを一番客観的に見てきています。夕張への派遣を2年に延ばすし、帰ってきたら今度は市長選に出る。いろいろと振り回して迷惑をかけていますが、私のやりたいことを尊重してくれています。

《午前6時半に起床して、8時に出勤。9時からミーティングや庁議。来客対応や行事に出席し、帰りは午後9時ごろ》

市長になって気を抜く時間がほとんどないせいか、人生で初めて肩こりを経験しました。寝言で演説していることがあるらしく、気づかないうちにプレッシャーを感じているんだと思います。

帰宅後は妻と食事をしながらたわいもない話をしますが、仕事の話は一切しません。心のバランスを保つ上で大切な時間です。週末もイベントなどで丸1日休みだったのは1年間で20日間ほど。2人でゆっくり過ごす時間は取れませんが、2カ月に1回くらいは一緒に札幌などに映画を見に行きます。

《埼玉県にいる母、長峯光子さん(57)からも時々メールが来る》

両親の離婚後に生活が苦しくなり、高校に通いながらアルバイトをしていたころ、私が「どうしてこんな思いをしなければいけないんだ。生まれてこなければ良かった」と言ったそうです。覚えていないのですが、母はとてもショックを受けて、泣いていたようです。

母は市長当選後、「今でも生まれてこなければ良かったと思ってる?」と聞いてきました。「生まれてきて良かった」と答えると、とてもうれしそうでした。十数年前のことを、ずっと引きずっていたんです。

実父は今どこで何をしているのか分かりませんが、新聞やテレビに出ている私の姿をどこかで見てくれているのかな、と思うことがあります。

9 市民との対話、大切に 2012年08月31日

《市民との対話を最も重視する。夕張市長選での主要公約の一つが「市長と話そう会」。11年9月から計19回開催。延べ約330人と向き合って意見を交わした》

結果として住民に情報を提供する機会が少なかったという過去への反省もあります。夕張市が財政破綻した時に、市がどういう状況に置かれていたのか、市民は何も知らされていなかった。市民も情報を取ろうという意識が弱かった。

また、国や道と交渉するためには、市民の声が何よりも大切です。だから、市民のニーズを制度として吸い上げようと考えました。要請があれば、どこへでも足を運びます。

参加者からは「市長が来てくれるなんて考えられなかった」「市長と直接話せるのはとてもいい」という言葉をもらいました。「人工透析が市内で受けられない」「眼科がほしい」「市営住宅の公衆浴場の回数を増やして」などの具体的な要望がありました。ただ、住民は日常生活で感じる厳しさには目がいっても、長期的な財政の厳しさまでは分かりません。そこは誠心誠意説明するようにしています。

《41項目の公約のうち、企業誘致や健康診断の無料化など7項目を達成し、24項目に着手している。一方で、前市長によって予算計上されていた市立診療所基本設計費約2000万円は凍結した》

市立診療所の改築は財政再生計画に盛り込まれていますが、診療科目数もベッド数も今と変わらない。どういう医療体制が必要なのか、中身の議論が十分にされていないのに、箱の話だけが先に決まってしまった。建設費は約13億円。無い袖の中で金を絞り出すのだから、しっかり議論しなければなりません。

財政破綻の要因の一つになった「石炭の歴史村」やスキー場など多くの観光施設も、市民が議論し、「これがほしい」と声を上げて、つくったわけではありません。

診療所については医療関係者や市民が参加する医療保険対策協議会で検討しています。絶えず市民と共に議論し、決断を下していく。それが私のやり方です

10 マイナスからプラスへ 2012年09月01日

《夕張市の明日は数字で見る限り、厳しい。人口は7月末現在で1万466人。直近の国勢調査では、人口減少率は全国の市の中で最も高い。一般会計の予算規模約95億円に対し、借金322億円。13年度から元金の返済が始まるが、財政再生計画によると、利子を含め年間約26億円の返済が26年度まで続く》

計画には市営住宅再編やバス路線見直しなど、市民生活に必要な74事業が追加されました。再生団体とはいえ、市民が住み続けられる形を模索し、必要な事業は実施しなければいけない。でも、公民館の補修など21項目は盛り込まれなかった。

借金の返済期間を短くしたい。企業誘致など税収を上げる努力は続けますが、期間短縮は揺るがず訴えていきたい。あと十数年もこの厳しい状況が続けば、まちは疲弊し切ってしまう。人口が減り、医療、交通など、まちの機能を維持できなくなる。国依存も強まり、自治のあり方としてもおかしい。

《65歳以上の高齢化率は44%。こちらも市ではトップ。一方、若年人口は6%。厚生労働省が予測する50年後の日本の平均的な姿でもある》

夕張は日本の縮図です。夕張が消えれば、日本全体もそうなりかねない。大げさではありません。他にも大変な自治体があります。東京のような大都市が強くなることも重要ですが、日本の多くは「それ以外」です。

他の自治体にとって夕張はマイナスのモデルですが、現在、国と北海道と一緒に再生へ向けて課題を話し合える全国唯一の自治体です。アイデアを出すことでプラスのモデルに転換できます。

再生に向け、職員にも積極性が出てきました。8月30日に各課の目標をホームページに掲載したばかりです。市議会とも目指すものは同じです。

今後、夕張の人口が激増することはないでしょう。しかし、市民が「住んでて良かった」と誇れるようになれば、夕張にとっての勝利です。その指標は利便性や人口では決してありません。メロンや美しい自然、炭鉱の歴史、何より温かい人びと。夕張には宝がたくさんあります。

◇すずき・なおみち

11年4月、夕張市長に初当選。31歳。全国最年少市長。元東京都職員。趣味は映画鑑賞と温泉巡り。肉料理が好物。AB型。

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