河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第

こころナビ:松本サリン事件被害者・河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第
毎日新聞 2013年01月08日 東京朝刊
松本サリン事件の被害者、河野義行さん(62)は、4年前に妻をみとり、現在は鹿児島市で「第二の人生」を生きている。数々の苦難に直面してきた河野さんだが、周囲にはいつも友人らが集い、笑い声が絶えない。困難との向き合い方や、「幸せ」について聞いた。【山寺香】
◇恨み持って楽しく生きられない 相棒ががんでも前向きに
−−自宅で一緒に事件に遭遇し、以後意識が戻らなかった妻澄子さん(享年60)が08年に亡くなりました。
河野さん 妻が亡くなる1週間くらい前に脳のMRI(磁気共鳴画像化装置)を撮ったら、脳が萎縮しわずか厚さ2・7ミリの皮になっていました。医師も「こんな状態で生きている人は見たことがない」と驚いていた。
意識が戻らない14年間、私は妻に「ベッドで寝ているだけで僕や子どもたちは元気をもらっているんだよ」と言い続けました。それが分かっていたから、妻は頑張って生きてくれたのだと思います。
だから、妻が亡くなった時は3人の子どもたちに「これはもう感謝するしかない。悲しむことは失礼だよ」と言いました。葬儀はごく親しい9人だけで行い、音楽を流し、ワイワイと妻のことを語り合いました。当時の写真を見るとみんな笑っているんです。
(妻に)できることは全てやらせてもらったという気持ちもあり、死んだことを悔やむことはありませんでした。
−−事件や加害者を憎まなかったのですか。
河野さん 日本は法治国家ですから、罪を犯した人には裁判所が相応の罰を与えるのがルール。こちらがそれ以上罰を与える必要もないし、加害者に憎しみや恨みを持ち続けて生きることが自分にとって楽しいかと考えた時、楽しくないと思いました。
きれいごとではなく損得勘定です。私は自分のために、与えられた人生を楽しく生きていきたいんです。
−−その後、第二の人生をスタートされました。
河野さん 妻の三年祭を迎えた10年9月、妻が愛用していたハモンドオルガンを使って追悼コンサートを開きました。友人たちと至福の時を過ごし、もう松本でやり残したことはないと思いました。還暦を迎えたこともあり、今までの人生は一度リセットし、スローライフが送れる南の島への移住を決めました。
−−なぜ鹿児島ですか。
河野さん 知人から「鹿児島に最後の楽園がある」と聞き、屋久島の西の離島に興味を持ちました。釣りざんまい、温泉ざんまいの生活も悪くないと心引かれましたが、交通アクセスが極端に悪く、講演活動との両立が難しいことが分かった。そんな時、以前に鹿児島での講演で世話をしてくれた児玉澄子さんが「うちに住めばいいじゃない、使ってない部屋があるから」と言ってくれ、居候生活を始めました。偶然にも妻と同じ名前でした。
−−どんな生活ですか。
河野さん 長野と違い、車で10分走れば海がある。児玉さんとは束縛し合うことなく、話がまとまれば山や海へタケノコやヒジキを採りに行ったり温泉に行ったりする。人生を楽しむ相棒という表現が一番しっくりきます。
警察やマスコミ関係者、オウム真理教の元信者も含め、多くの友人が遊びにきます。なぜそんな人間関係を作れるのかと聞かれますが、人間関係の基本は自分を大切にすることだと思います。自分が幸せでなければ人を幸せにはできません。「私は不幸でつらいんです」とばかり言っていたら、一時は同情されても、いずれ人は離れていきます。
移住1年後の11年9月、児玉さんにがんが見つかりました。肺腺がんで、脳に転移もあった。ステージ4、いわゆる末期ですが、児玉さんは「へえ」と笑っている。10段階の4だと勘違いしたんですね。私が指摘しても、「治せばいいじゃん」と動じない。
−−奥様を亡くし、相棒にもがんが見つかる。自分だったら「なぜ私ばかり……」と思ってしまいそうです。
河野さん 今の年まで生きられたのも、結構大変なことなんですよ。死はいつも隣にある。例えば60歳でがんになった時、60歳の若さでと思うか、60年も生きてこられたことに感謝するかによって見える景色が違ってくる。
最初、医師は「余命3カ月」と思ったそうです。それなのに1年3カ月も余分に生きられたと思えば、ありがたく思える。児玉さんは「先生、名医じゃない!」って笑っていました。その間に悔いが残らないように、死ぬための準備ができたんだから、今は「がんも悪くないね」って言っています。
受け止め方なんですね。がんになったことすら幸せに感じられたら怖いものはないでしょう。嘆くよりも、死を意識して一日一日を楽しく生きる方がいいと思うんです。
思いの方向をちょっと変えるだけでかなり楽に生きられます。人間の行動の原点は「思うこと」。「幸せになりたい」「楽しく生きたい」とひたすら思うことで、自分なりの幸せへの道が開けていくと思います。
1950年、愛知県生まれ。94年にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」の被害者で、第一通報者。事件直後から警察の事情聴取を受け、マスコミも容疑者のように報じた。現在は講演活動や犯罪被害者支援を行う。著書に「『疑惑』は晴れようとも」「今を生きるしあわせ」など。

こころナビ 松本サリン事件被害者・河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第

毎日新聞 2013年01月08日

松本サリン事件の被害者、河野義行さん(62)は、4年前に妻をみとり、現在は鹿児島市で「第二の人生」を生きている。数々の苦難に直面してきた河野さんだが、周囲にはいつも友人らが集い、笑い声が絶えない。困難との向き合い方や、「幸せ」について聞いた。

恨み持って楽しく生きられない 相棒ががんでも前向きに

−−自宅で一緒に事件に遭遇し、以後意識が戻らなかった妻澄子さん(享年60)が08年に亡くなりました。

河野さん 妻が亡くなる1週間くらい前に脳のMRI(磁気共鳴画像化装置)を撮ったら、脳が萎縮しわずか厚さ2・7ミリの皮になっていました。医師も「こんな状態で生きている人は見たことがない」と驚いていた。

意識が戻らない14年間、私は妻に「ベッドで寝ているだけで僕や子どもたちは元気をもらっているんだよ」と言い続けました。それが分かっていたから、妻は頑張って生きてくれたのだと思います。

だから、妻が亡くなった時は3人の子どもたちに「これはもう感謝するしかない。悲しむことは失礼だよ」と言いました。葬儀はごく親しい9人だけで行い、音楽を流し、ワイワイと妻のことを語り合いました。当時の写真を見るとみんな笑っているんです。

(妻に)できることは全てやらせてもらったという気持ちもあり、死んだことを悔やむことはありませんでした。

−−事件や加害者を憎まなかったのですか。

河野さん 日本は法治国家ですから、罪を犯した人には裁判所が相応の罰を与えるのがルール。こちらがそれ以上罰を与える必要もないし、加害者に憎しみや恨みを持ち続けて生きることが自分にとって楽しいかと考えた時、楽しくないと思いました。

きれいごとではなく損得勘定です。私は自分のために、与えられた人生を楽しく生きていきたいんです。

−−その後、第二の人生をスタートされました。

河野さん 妻の三年祭を迎えた10年9月、妻が愛用していたハモンドオルガンを使って追悼コンサートを開きました。友人たちと至福の時を過ごし、もう松本でやり残したことはないと思いました。還暦を迎えたこともあり、今までの人生は一度リセットし、スローライフが送れる南の島への移住を決めました。

−−なぜ鹿児島ですか。

河野さん 知人から「鹿児島に最後の楽園がある」と聞き、屋久島の西の離島に興味を持ちました。釣りざんまい、温泉ざんまいの生活も悪くないと心引かれましたが、交通アクセスが極端に悪く、講演活動との両立が難しいことが分かった。そんな時、以前に鹿児島での講演で世話をしてくれた児玉澄子さんが「うちに住めばいいじゃない、使ってない部屋があるから」と言ってくれ、居候生活を始めました。偶然にも妻と同じ名前でした。

−−どんな生活ですか。

河野さん 長野と違い、車で10分走れば海がある。児玉さんとは束縛し合うことなく、話がまとまれば山や海へタケノコやヒジキを採りに行ったり温泉に行ったりする。人生を楽しむ相棒という表現が一番しっくりきます。

警察やマスコミ関係者、オウム真理教の元信者も含め、多くの友人が遊びにきます。なぜそんな人間関係を作れるのかと聞かれますが、人間関係の基本は自分を大切にすることだと思います。自分が幸せでなければ人を幸せにはできません。「私は不幸でつらいんです」とばかり言っていたら、一時は同情されても、いずれ人は離れていきます。

移住1年後の11年9月、児玉さんにがんが見つかりました。肺腺がんで、脳に転移もあった。ステージ4、いわゆる末期ですが、児玉さんは「へえ」と笑っている。10段階の4だと勘違いしたんですね。私が指摘しても、「治せばいいじゃん」と動じない。

−−奥様を亡くし、相棒にもがんが見つかる。自分だったら「なぜ私ばかり……」と思ってしまいそうです。

河野さん 今の年まで生きられたのも、結構大変なことなんですよ。死はいつも隣にある。例えば60歳でがんになった時、60歳の若さでと思うか、60年も生きてこられたことに感謝するかによって見える景色が違ってくる。

最初、医師は「余命3カ月」と思ったそうです。それなのに1年3カ月も余分に生きられたと思えば、ありがたく思える。児玉さんは「先生、名医じゃない!」って笑っていました。その間に悔いが残らないように、死ぬための準備ができたんだから、今は「がんも悪くないね」って言っています。

受け止め方なんですね。がんになったことすら幸せに感じられたら怖いものはないでしょう。嘆くよりも、死を意識して一日一日を楽しく生きる方がいいと思うんです。

思いの方向をちょっと変えるだけでかなり楽に生きられます。人間の行動の原点は「思うこと」。「幸せになりたい」「楽しく生きたい」とひたすら思うことで、自分なりの幸せへの道が開けていくと思います。

*1950年、愛知県生まれ。

94年にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」の被害者で、第一通報者。

事件直後から警察の事情聴取を受け、マスコミも容疑者のように報じた。現在は講演活動や犯罪被害者支援を行う。

著書に「『疑惑』は晴れようとも」「今を生きるしあわせ」など。

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