女の気持ち 一つ屋根の下で
毎日新聞 20141106
今年5月に義母が亡くなった。30年弱一つ屋根の下に暮らしたが、生まれも育ちも違うゆえ、なじめないところもあった。お互いに。
母は最後の4年ほど認知症、交錯の症状が出て、デイサービス、ショートステイにお世話になりながら、ほとんどベッドの上にいた。朝のおむつ交換、デイサービスの準備など、夫がしてくれた。初めの頃は、私は息子の弁当作りなどがあるため分担していたが、弁当作りがなくなっても、夫が担当してくれた。ありがとう。
他人だった者同士が同じ屋根の下に暮らす努力は並大抵ではない。生活の細かい部分が重要になってくるし、生理的な要素もある。
母は戦時中、東京の空襲で家が焼け、祖父の故郷である栃木県南摩村(現鹿沼市)に疎開し、疎開先のバラックで終戦を迎え、1947年5月に祖父が病死した。母は地元で代用教員を17歳から務め、後に教員資格を取った。リタイアした後、書道教室、短歌、太極拳の師範も取り教えていた。
10月8日、母の誕生日に、母が好きだったワインを仏壇に供えた。もう親孝行をしなくて済むようになったので、のんきにワインなんかあげられるのだと思う。葛藤の日々は長かったが、それは30年一つ屋根の下に住み通せた誇りでもある。
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