しあわせのトンボ 毎日新聞3月25日夕刊~

後輩が彼女を連れてやって来た。なれそめは友だちを介してのグループ交際だったようで、「彼女とはたまたま出会ったんですよ。幸運でした」と照れくさそうに言う。

 彼の話を聞きつつ、ある人が出会いについて次のようなことを言っていたのを思い出した。

 「地球上にいる60億人の中で、男女それぞれが恋人や夫婦になるといった特定の人と出会う確率は30億分の1でしかないわけです。しかも出会いというのは、1年365日のうちの1日のある時間をふたりが共にしたということだ、と考えると、これは偶然というより出会うべくして出会った、つまり必然とみるべきではないでしょうか」

 数字上の巧みなレトリックに富む話ではあるが、ぼくはなんとなくうなずきながら聞いていたわけで、その時、こんなことも思っていた。

 仲の良いAとBの人間関係はA、Bそれぞれにとっては、向こう側とこっち側にいた双方がたまたま歩み寄って出会ったという関係にしか思えないだろう。しかし人間の行動を上から見ることができる、それこそ何事もお見通しのおてんとう様の目でみれば、AとBの生きてきた歩みとその軌跡は丸見えだから、ふたりは交わるべくして交わったということがわかるはずだ。

 で、ぼくが「偶然出会ったと言うけど、お互い出会う運命にあったのかもしれないよ。似た者同士とか、類は友を呼ぶなんて言葉もあるしね」と言うと、後輩は「あっ、そうなんです。似た者同士のところ、いろいろあるんですよ」と彼女とのエピソードをひとつふたつ挙げながら笑った。

 人と人が出会って人間関係ができる。状況的にはどうあれ、自分がこんなふうに生きてきたから、あの時あの人と巡り合えたんだ。おそらく相手の側からも同じようなことが言えるのではなかろうか、とぼく自身も思ってみることがある。またそうとしか説明のつきにくい友人も何人かいるのだった。

 いささか強引な言い方になったかもしれないが、出会いも必然と思えば両者の人間関係もさらに良好に保てるのは確かなことだろう。

 春--出会いと別れの季節である。「さよならだけが人生だ」と日本人の心性は「さようなら」に傾くところがあるが、別れに際しては出会ったというそのことを大切に思って見送りたいものだ。

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