生きている限り

70歳の准看護師が誕生 土浦市 3月25日産経新聞

 茨城県土浦市中央の主婦、久松(旧姓・菊地)セツ子さん(70)が今月4日、土浦市医師会附属准看護学院を卒業し、准看護師の試験に合格した。知事認定の准看護師の免許取得者としては県内で最高齢となる。耳鼻咽喉(いんこう)科の開業医でもある夫の仕事を見守るうちに、看護師になりたいという思いを抱くようになったという久松さん。「悔いのない人生を送りたいと思って挑戦した」と話している。
 久松さんは昭和63年春、元日本大総合科学研究所教授の夫、建一さんの両親の世話をするため夫と子供らを東京に残し、同市に転居。子供や義父母の世話が一段落した平成12年ごろから、「いつか看護学校に入りたいと思っていた」という。
 そういう思いを最初に抱いたのは約30年前。建一さんが手術をしていた際、「看護師として夫の手術を手伝えたら」と漠然と考えた。ただ、当時は幼い子供を抱える身。「その時からずうっと心の隅に看護師になりたいという思いはあった」と笑顔をみせた。
 18年秋、一念発起(いちねんほっき)し、同看護学院へ入学を決意。「『生老病死(しょうろうびょうし)』という言葉がありますが、誰もが死に向かうのでやり残したことを一つでも少なくし、悔いのない人生を送りたいと心に決めた」と心の内を明かした。
 19年春、待望の看護学院に入学。同級生からは「若さ」をもらったという。「若い人たちは迷惑だったかもしれないが、教務の先生方がよくしてくれた。その人たちの励ましがなかったら中退していたかもしれない」を周囲に感謝した。
 建一さんは「同じ屋根の下で暮らす家族の中で、看護や医学を勉強するだけでもうれしい。年齢(とし)をとっても志を持って何かを試みることはよいこと」と賛辞を贈っている。

105歳女子アナが活躍 熊本のネット放送、92歳も  3月16日茨城新聞

熊本県天草市のインターネット放送局「天草テレビ」で、森シノさん(105)と黒川ツルエさん(92)が自ら取材しリポートする“女子アナ”として活躍。「100歳以上の人を取材することはあるが、100歳以上の人が取材しているのは聞いたことがない」と海外メディアが相次いで取り上げ、注目されている。
 天草テレビは2001年、東京の広告会社を辞めて地元に戻った金子寛昭さん(51)が始め、「豊富な知識と経験を持つお年寄りに身近な話題を伝えてもらいたい」と森さんらを起用した。
 2人はいつもピンクのジャンパー姿で、ほぼ毎週、地元の名所や名物を天草弁で紹介。森さんはタコの煮物、黒川さんは塩ゆでにしたヒトデの試食など体当たりのリポートが話題になった。
 2人は昨年12月、遊説で天草市を訪れた麻生太郎首相にもインタビュー。森さんは「緊張したけど、みぞか(かわいい)顔じゃった」。
 森さんは、自宅裏のデコポンの畑まで草取りのため急坂を歩いて上るのが日課で、好物は焼酎。04年に脳梗塞で入院中にアナウンサーを頼まれ「人のためになるなら」と引き受けた黒川さんも、今は元気いっぱいだ。
 2人の活躍ぶりに06年にはドイツや韓国のテレビ局が取材に訪れ、昨年から今年にかけてもスペインやフランス、中東のメディアで相次いで取り上げられた。

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