「ひよっこ」6大ポイント

「ひよっこ」舞台・茨城が熱い!ロケで活気 過疎地から「可愛さ」発信

1⃣ スポニチ 20170425

NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(月〜土曜前8・00)の舞台は茨城県。19年ぶりの日本出身横綱となった稀勢の里の故郷でもあり、全国魅力度ランキング最下位の“ジミケン”がいま大いに沸いています。今週末から主人公が上京する“第2章”が始まる中、知って楽しいドラマの隠れた魅力を6日間にわたって紹介します。心地よい春の朝が毎日待ち遠しくなりますよ。

見渡す限り、山と田んぼと畑が広がっていた。日本の原風景が今も残る茨城県高萩市の山間部。入り組んだ山道を分け入っていくと、ヒロイン・みね子の実家のモデルとなった農家がポツンとある。近くに住む鈴木直登さん(69)は「50年前から景色は変わらんねぇ。電柱が木から鉄になったくらい」と田んぼの方へ目を向けた。

一方で利便性とはほど遠く、山間部の人口流出は止まらない。直登さんは「60年代は小中学校でも1学年30人以上いたのに、この前も小学校が廃校になってしまってね」と話すように、若い世代はほとんど都会へ向かい、過疎化は深刻だ。

そこにやって来た朝ドラのロケ。地域は一気に活気づいた。住民は撮影に全面協力し、エキストラとしても積極的に参加した。直登さんは「通院の約束をほったらかして撮影に来るじいさんもいたよ」と苦笑い。放送が始まると、放送時間中は誰も外出しない。直登さんの同級生で同じくロケ地近くに住む鈴木勝一さん(69)は「みんなBS、朝、昼と3回見てるからこの付近では視聴率300%だわ」と笑顔だ。さらに茨城出身の稀勢の里が今年1月の初場所で初優勝&横綱昇進。勝一さんは「なんか茨城に盆と正月がいっぺんに来たみたい」と喜んでいる。

舞台が茨城となったのは、脚本の岡田惠和氏と制作スタッフが話し合い「東京へ行ったヒロインが帰りやすそうだけど帰れない、ほどよい距離感」から決まった。高度経済成長期の1960年代でも東京からそれほど遠くはなく、都会の喧騒(けんそう)に疲れたヒロイン・みね子がいざとなったら英気を養うために帰ってこられる、そんな設定にしたかった。

そして大切な場所である実家の雰囲気も「みね子に共感する視聴者が思わず笑顔になるような、現在で言う“可愛い”を表現したかった」(ドラマ美術担当)という。番組スタッフは360度見回しても現代の建物がない場所を前提に、20軒程度を下見。中でもモデルとなった高萩市の農家は赤い屋根がとてもキュートで「スタッフのほとんどが、あれしかない!イメージにぴったり!と感嘆した家だった」という。

小粋なポストや玄関先の風見鶏、子供たちが遊ぶ手作りの鉄棒などを美術スタッフが用意して、実家の可愛らしい外観は出来上がった。しかし、クランクイン当初は朝ドラヒロインの重圧からか、有村架純(24)の表情が硬いときもあった。それを解きほぐしたのが実際に農家に住む老夫婦。近くで採れた山菜料理を振る舞い、会話を重ねていると、有村から自然と笑顔がこぼれるようになった。ある日、有村は宿舎があるにもかかわらず夫婦に「きょう一人でここに泊まっていい?」と聞いた。みね子と同化した瞬間だった。

有村は田舎の健康的な高校生になりきるために約5キロ増量した。ビジュアルも重要な女優にとってはちょっとした決意。共演する宮本信子(72)も「みね子ちゃん、いいわねえ」と絶賛。地元では「稀勢の里のようにみね子も粘り強く頑張るはず」と期待の声が上がっている。

≪6市町合同で推進協議会≫行政も「ひよっこ」とともに町を盛り上げようと躍起だ。高萩市内では至るところに「ひよっこのロケ地」をアピールするのぼりが立つ。また高萩市や常陸大宮市など県北6市町は合同で「茨城県北ひよっこ推進協議会」を発足した。観光者向けの土産品に貼る「ひよっこ」ロゴマークを作成するなどロケ地であることをPR。担当者は「観光促進や地域活性につなげたい」と話すとともに、「いずれはロケ先を巡るツアーなども立ち上げたい」と話している。

2⃣ スポニチ 20170426

朝ドラを変える!?小ネタ満載 増田明美さんの応援解説ナレーション

「ひよっこ」に体育教師役でも出演した増田明美さん。聖火トーチを持って健脚を披露

【ひよっこ6大ポイント(2)】NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(月〜土曜前8・00)のナレーションを担当するのはマラソン解説者の増田明美さん(53)。その心地いい語り口はネット上でも話題になっています。小ネタ満載の独特の解説手法と同様に、ユニークな語りを披露しています。起用の狙いは何だったのか?NHKに取材し、増田さんにも意気込みを語ってもらいました。

増田さん特有の柔らかな声色が心地よく耳に響く。「みね子さん、頑張ってね」などとヒロイン有村架純(24)ら出演者を見守るような口調も特徴的だ。

物語の舞台となっている1960年代の理解に一役買う。第1週の放送では「この頃、奥茨城から東京へ電話するのに30分かかるのは当たり前でした」と当時の電話事情を説明。ポール・マッカートニーが日本武道館で公演を行った25日放送分では「ビートルズは日本でも前年(63年)にレコードが発売されて、名前が知られるようになっていました」と紹介。SNSなどには「声がこんなにハマるとは」「視聴者目線も新しい」と賛美の声が続々。増田さんは「そう言ってもらえて安心しました」とホッとした笑顔を見せた。

企画段階で、制作サイドと脚本の岡田惠和氏はナレーションにルールを決めた。「“みね子はこの時、こう思った”などの心情を入れるのは禁じ手にしよう」。安易な語りによる人物描写はやめて、役者の演技とストーリー展開でドラマを見せることを確認した。とはいえ50年前の話。時代背景の解説は必要だった。スピーディーな展開の妨害をせず、かつドラマへの興味を失わせない語り。白羽の矢が立ったのが増田さんだった。

増田さんのマラソンの解説はとにかくユニーク。「先頭の小崎まりさんですが、今日も子供に母乳をあげての出場です」「ヌデレバさんは大好きなカボチャをお母さんに食べさせたいとケニアに種を持って帰ったんですが、うまく育たなかったんです」。そんな発言がレースを見ている視聴者の邪魔にならない。

むしろ走っている選手への興味につながるのは、優しげな語り口だけではなく増田さんのポリシーのためだろう。「私のは応援解説なの。頑張っている選手を見ると、こんな子なんですと紹介したくなるんですよね」

オファーを受けてから1カ月間、スタッフから借りた60年代のニュース映像のDVD数枚を、1日何時間も繰り返し見続けた。図書館で60年代に関する資料に目を通したこともあった。

「あの頃のニオイを私の中にたくさん取り込もうと思ったの。そうしないと、解説の時のように自然と小ネタを話せないと思ったんです」

好みのランナーは自らレースを打開しようとするタイプ。「失踪したお父さんを捜すみね子ちゃんは、まさに私の大好きなランナー」。その“応援解説”が半年の長丁場を支えてくれるに違いない。

≪演技挑戦も…増田さん「全然駄目」≫増田さんはヒロインの体育教師の役で演技にも挑戦している。第3週目で村の聖火リレーの場面で出演。元トップランナーらしく年齢を感じさせない健脚を披露する。演技の方は「全然駄目。セリフも棒読みで」と苦笑い。ただ出演者と交流したのはナレーションの仕事の糧となった。「(有村)架純ちゃんも(佐久間)由衣ちゃんも、本番になると表情が一瞬で切り替わるんです。役者さんは凄いですよね。彼女たちを心底応援したいと思いました」と話していた。

3⃣ スポニチ 20170427

「ひよっこ」登場人物の内面伝える「生歌」 懐かしの昭和歌謡

農作業をしながら「いつでも夢を」を歌うヒロインの母親役の木村佳乃(左)、羽田美智子

【ひよっこ6大ポイント(3)】有村架純(24)が「高校三年生」(舟木一夫)を歌い、木村佳乃(41)らが「いつでも夢を」(橋幸夫、吉永小百合)を歌う。NHK連続テレビ小説「ひよっこ」の見どころのひとつが出演者たちの歌唱シーンだ。

制作統括の菓子浩チーフ・プロデューサーは「いつもの朝ドラより、登場人物が歌う場面が多い」と話す。その目的は歌によって「時代」と「心情」を表現すること。菓子氏は「当時生まれていた視聴者には、曲を聴くことで当時の自分に戻ってもらえるようにしたかった。登場人物が歌う曲は、ストーリーの中での心情と重なり合うものを選んでいる」と説明する。

有村は歌うことについて「得意じゃない。たまにお風呂で歌ったりするくらいで、カラオケには行かない」と語るが、関係者の間では「実は上手」と評判。しかし、歌の巧みさよりヒロインみね子の心情を表現することを優先し、例えばヒロインが浮かれた気分になっている場面などではあえて調子を外して歌っている。視聴者は歌唱シーンによってヒロインらの素朴で純な内面をうかがい知ることができる。

物語で描かれるのは東京五輪が開催された1964年からの約10年間。若い有村らは当然、当時の曲を知らないが、撮影前に、その曲が録音された音声データなどを聴いて覚えている。

今後、ヒロインは故郷の茨城県から上京。就職先の課外活動として行う合唱で「トロイカ」(ロシア民謡)や「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)などを歌い、見どころはさらに増える。

毎回オープニングで桑田佳祐(61)が歌う主題歌「若い広場」も人気。NHKが「昭和を歌える人」(菓子氏)として桑田に依頼したもので、古き良き昭和の香りが漂う名曲だが、桑田もラジオ番組で「(ドラマを)毎日見ている」と明かしている。番組で桑田は有村を「いい!」と称賛。リスナーに「毎日“ひよっこ”を見てください」と呼び掛けている。

ヒロインが実在すれば現在70歳になっている昔の物語。昔を知る人は懐かしさに浸れ、知らない人は古き良き時代の香りをかぐことができる。

4⃣ スポニチ 20170428

【ひよっこ6大ポイント(4)】時代を表現“かまどと炊飯器”

かまどの上に電気炊飯器が。60年代を象徴するセット

ヒロイン・みね子(有村架純)の実家には“象徴的な混在”が潜んでいる。かまどの上にあるのは電気炊飯器。ご飯を炊くための新旧の道具が一堂に会する場面に、新鮮な驚きを感じた人も少なくなかっただろう。

制作統括の菓子浩氏は「1960年代は電化製品が急激に家庭に入った過渡期。それを表現したくて、このようなセットにしました」と説明する。

ドラマの舞台は東京五輪を迎えた1964年。テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」と呼ばれて普及していた時期だ。中でもテレビは、1959年の皇太子さま(現天皇陛下)ご結婚パレード中継がきっかけで、64年の世帯普及率は90%に届く勢いだった。みね子の家にもテレビはあったが、電話はない。菓子氏は「テレビはほとんどの家にありましたが、電話は広まっていなかった。みね子の家もそのような状況です」と話す。

65年には冷蔵庫の世帯普及率は50%にもなったが、みね子の実家は裕福ではなかったため、家に冷蔵庫は置かれていない。その代わりに家具タイプの蠅帳(はいちょう)がある。

今も家庭で使われる、食器の上から覆いかぶせる折りたたみ式は簡易版。家具タイプは食器戸棚の扉が網目になったもの。料理監修を務め、当時の食生活を調べた住川啓子さんは「各家庭では食べ残したものなどをここで常温で保存し、足の早い食材は1日で食べきるようにしていた」と話している。

今後も実家はみね子のホッとできる場所として描かれる。高度経済成長期でフルスピードで発展していく東京と、昔ながらの姿を残す実家との“混在”も時代の象徴として視聴者の目に映りそうだ。

≪上野駅撮影は浜松オートで≫上野駅は静岡・浜松オート場に時代に合った看板やポスターをはり、撮影を行った=写真。美術担当者は「大きなスケールで東京の玄関口を表現するため、ロケ地をいろいろ探してここにしました」と説明。当時、東京の街でよく見られたという集団就職の学生を歓迎する横断幕があったり、東海道新幹線開業10月1日の看板があるのが特徴だ。

5⃣ スポニチ20170429

 
【ひよっこ6大ポイント(5)】道具は「本物」にこだわり

奥茨木村の聖火リレー大会のシーンで聖火トーチを持つ有村架純

 登場する道具は、本物にこだわっている。それゆえに撮影現場で展開されているのが、異色の光景だ。

 第3週(4月17〜22日)で放送された、奥茨城村の独自の聖火リレーのシーンでは、NGが出るとスタッフが火の付いたトーチを持ち、とにかく遠くへ走り去った。時には「風向きが変わった!別の方向へ走れ!」という無線の声が響き、急いで方向を変えたことも。

 この聖火トーチは“本物”。1964年の東京五輪で使用された弾薬メーカー「日本工機」(本社・東京都港区)が製造したもの。同社では「改良はしていますが、当時のトーチと基本同じです」と話している。

 制作統括の菓子浩氏は「聖火トーチは火薬を扱うこともあり、独自で作るのが難しいので、実際作っている会社に問い合わせました。すると当時と同じモデルが残っていることが判明し、使用させていただきました」としている。

 東京五輪では、当時の組織委員会が「雨でも風でも絶対に消えないトーチを作ってほしい」と依頼した。撮影現場では「点火すると勢いよく炎が上がり、5秒ぐらいで煙が立ち上った」(ドラマ制作側)。途中では消せず、リンなどの含有物が空気に触れると発火する恐れがあるため、完全燃焼させないといけないが、火の付いたトーチが近くにあると、画面に煙が入ってしまう。「そのため、風向きを見ながらできるだけ遠くに走っていました」と菓子氏は話す。関係者は「その場では真剣なので普通のことと思っていましたが、後から思うと面白いですよね」と笑顔だ。

 宗男おじさん役の峯田和伸(39)が乗っているバイクは1962年に発売開始され、64年に製造中止された「ホンダ ポートカブ」。峯田は「エンジンをかけるのが難しいんですよ」と苦笑い。ロケ地を報道陣が取材した時も「キュルルキュルキュル…ブスッ」と音を立ててエンスト。照れくさそうな笑みで場を和ませた。

 撮影用の400台近い車両がそろう「マエダオート」(東京都世田谷区)から制作側が借りたもの。峯田は「(乗っていて)自分の加減と機械が合致する時がある。そういうのが昔の国産バイクの良いところかなと思いますね」と操縦を楽しんでいる。

 放送はされないが、裏側にある和やかなムードが作品を支えている。

 <バスも当時のまま>村の人々が利用するシーンで登場するバスは「NPOバス保存会」(茨城県つくば市)のもの。1967年から1970年代まで実際に山形交通で路線バスとして走り、その後、観光路線などでしばらく使われた「いすゞTSD40型ボンネットバス」。走っていた状態のままで保存されており、塗装も当時のままだ。担当者は「年配の山形出身の方には懐かしいと思われているようです」と話している。

 

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