撞舞神事

会場掲示の解説板によれば

 撞舞は、龍ヶ崎市内の八坂神社祭礼中に行われる雨乞いと五穀豊穣無病息災を祈願する神事で、

400年以上の伝統をもつ。

 根町通り中央に、舞台と紺と白の木綿を巻いた14mの撞柱が立てられ、

頂上に鉄の轡(くつわ)と紺の麻紐の尾を垂らした横木の上に直径80㎝の円座が乗せられる。

 柱は水神の竜の昇る様を、円座は水神を乗せる馬を表していると思われる。

 午後6時ころ、唐草模様の衣装に雨蛙の面を被り、

顔に赤い布を垂らした舞男がお囃子に合わせて撞柱を登って行く。

頂上では円座の上に立ち四方に向かって矢を放つ。

矢の落ちた家ではその一年間災厄を免れるという。

 その後、円座で逆立ちや、綱を滑り降り途中でぶら下がるなどの離れ業が披露される。
 
撞舞は龍ヶ崎のほか千葉県旭市、野田市、多古町でも行われており、

起源については明らかではないが、京都・奈良で行われていた神事の祭の散楽の流れをくみ、

室町時代、村の形成とともに地方に伝えられ、庶民の生活と密着した行事になったものであろう

「つく舞」の芸能史的研究によれば、「つく舞」とは何か

つく舞は、主に利根川流域に分布している。

茨城県では「龍ヶ崎の撞舞(つくまい)」、

千葉県では「野田の津久舞(つくまい)」「多古のしいかご舞」「旭のエンヤーホー(陰陽法)」

が行われている。つく舞は櫓に高い柱を立て、その柱と綱を用いて軽業を行う民俗芸能である。

 

八坂神社から抜粋

撞舞神事が終わると若い衆が青竹をたたいて神馬を走らせる。

これは貝原塚の八坂神社からご神体を奪って馬を走らせ、

根町に迎え一時般若院境内に祀ったという故事・・・・

  ^ ^*それで般若院前で撞舞が行われていたのですね

  ^ ^*地域の歴史を読んでいくと「なるほどそーだったのか」ということばかり

 

ここも分かりやすい

 

お祭りの様子がYouTubeで観られます

八坂神社祇園祭は全国で行われています

平家物語』の冒頭

『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、

盛者必衰(じょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。

おごれる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、

偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ』

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の正式名称樹給孤独 精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ)

略して祇園なのだとか

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