女の気持ちの素敵な人たち

女の気持ち:義母の感謝 20130530 中部朝刊
義母が亡くなって1年がたった。義母は昔から子供たちに頼ることなく、何でも自分でこなす働き者だった。
義兄が7年前にがんで亡くなってからも気落ちする間もなく働く嫁に代わり、孫娘の保育園、塾への送り迎えなど目まぐるしく家庭を守ってきた。
憩室炎で入退院を繰り返していたというのに、つらい検査や治療を歯を食いしばって弱音を吐くこともなく頑張っていた義母。
そのため健康には特に気をつけ、健康診断も積極的に行っていたが、発見できなかった部分にがんが見つかり、80歳を過ぎてから手術に挑んだ。
しかし、摘出しきれず余命半年と告知され、家族たちに看取(みと)られながら亡くなった。義母は最後まで孫娘の名前を呼び続けていた。
それからは、義姉が夜勤の時は私たち夫婦がおいとめいの食事の支度などを手助けしている。
女の気持ち:最後の仕事 埼玉県鶴ケ島市・三品麻衣(家事手伝い・28歳)
毎日新聞 2013年05月28日 東京朝刊
先日、祖父が突然亡くなってしまいました。今年1月に米寿のお祝いをしたばかりで、驚き悲しみました。
けれど、大変なのはここからでした。父や母は、お通夜や告別式のことで走り続けました。分からないことだらけでした。お坊さんへのお布施はいくら包めばいいのか、どのように葬儀の準備を進めるべきなのか。初めてのことばかりで、父や母は、悲しむ暇もありませんでした。
でも、私たちを担当してくださった福祉会館の方がとてもよくしてくださって、トラブルもなく、よいお通夜と告別式になりました。
私たちの気持ちに常に寄り添ってくださり、細かい気配りもありました。その女性はたぶん私の妹と同じくらいの年ごろだと思いますが、こんなことを言っていたそうです。
「つい最近厳しいご遺族を担当して、自分はこの仕事に向いていないのではないかって悩んでいたんです」。それに対して「私たちは本当によくしていただいて、感謝の気持ちしかないんですよ」と返すと、女性ははらはらと涙を流したそうです。
ねぇ、おじいちゃん。おじいちゃんは、この世で最後のお仕事として、あの女性の心を癒やしてくれたんだね。
立派な最期だね。本当にありがとう。私も頑張って生きていくよ。天の国で楽しく暮らしてね。時々遊びに来てね。私もおじいちゃんのように、誰かの心を癒やせる人間になれますように。

義母の感謝 20130530 中部朝刊

義母が亡くなって1年がたった。義母は昔から子供たちに頼ることなく、何でも自分でこなす働き者だった。

義兄が7年前にがんで亡くなってからも気落ちする間もなく働く嫁に代わり、孫娘の保育園、塾への送り迎えなど目まぐるしく家庭を守ってきた。

憩室炎で入退院を繰り返していたというのに、つらい検査や治療を歯を食いしばって弱音を吐くこともなく頑張っていた義母。

そのため健康には特に気をつけ、健康診断も積極的に行っていたが、発見できなかった部分にがんが見つかり、80歳を過ぎてから手術に挑んだ。

しかし、摘出しきれず余命半年と告知され、家族たちに看取(みと)られながら亡くなった。義母は最後まで孫娘の名前を呼び続けていた。

それからは、義姉が夜勤の時は私たち夫婦がおいとめいの食事の支度などを手助けしている。

^ ^*

最後の仕事 毎日新聞 20130528

先日、祖父が突然亡くなってしまいました。今年1月に米寿のお祝いをしたばかりで、驚き悲しみました。

けれど、大変なのはここからでした。父や母は、お通夜や告別式のことで走り続けました。分からないことだらけでした。お坊さんへのお布施はいくら包めばいいのか、どのように葬儀の準備を進めるべきなのか。初めてのことばかりで、父や母は、悲しむ暇もありませんでした。

でも、私たちを担当してくださった福祉会館の方がとてもよくしてくださって、トラブルもなく、よいお通夜と告別式になりました。

私たちの気持ちに常に寄り添ってくださり、細かい気配りもありました。その女性はたぶん私の妹と同じくらいの年ごろだと思いますが、こんなことを言っていたそうです。

「つい最近厳しいご遺族を担当して、自分はこの仕事に向いていないのではないかって悩んでいたんです」。それに対して「私たちは本当によくしていただいて、感謝の気持ちしかないんですよ」と返すと、女性ははらはらと涙を流したそうです。

ねぇ、おじいちゃん。おじいちゃんは、この世で最後のお仕事として、あの女性の心を癒やしてくれたんだね。

立派な最期だね。本当にありがとう。私も頑張って生きていくよ。天の国で楽しく暮らしてね。時々遊びに来てね。私もおじいちゃんのように、誰かの心を癒やせる人間になれますように。

Tags:

Leave a Reply