みらい蔵の門を潜る
まるで異空間
と思ったら、レンガソーコcaféは、2014年7月末日で閉店ですって
リニューアル後は、どんなショップになるのかしら?
こちらのオーナーは、オチャノバ さん
オチャノバのラテアートも美味しかったなぁ
築100年?の塩蔵
隣町で明治時代に作られたレンガ壁
cafe内にトロッコとレールが残されています。
旧下野煉化製造会社煉瓦窯 栃木県下都賀郡野木町大字野木字大手箱3324-1
日本で唯一現存する円形(16角形)のホフマン式レンガ焼成輪窯の国指定重要文化財です。
ホフマン式レンガ焼成輪窯は、他には
深谷市の旧日本煉瓦製造㈱
滋賀県近江八幡の旧中川煉瓦製造所
京都府舞鶴の旧神崎煉瓦
岡山県笠岡市の旧西山煉瓦製造所
なかでも、歴史が最も古いこと 煉瓦窯として最大であること 形状をほぼそのまま残しているのが旧下野煉化製造会社煉瓦窯です。
煉瓦の製造場所として野木町が選ばれたのは、隣接する渡良瀬川から煉瓦の原料となる粘土や川砂が採取できたこと
製品となった煉瓦の輸送に渡良瀬川の水運を利用できたこと・・・とありました。
赤煉瓦は、東京駅の駅舎建設や銀座の煉瓦建造物等、多い時で月に408000本も作られていました。
旧下野煉化製造会社煉瓦窯.は、保存修理のため、平成23年10月15日から見学出来ませんが
2016年から一般公開予定です。
東京新聞 20140708
“幻の図面”見つけた 関東大震災で倒壊 旧下野煉化の西窯位置詳細に
国の重要文化財に指定されている栃木県野木町の「旧下野煉化(れんが)製造会社煉瓦(れんが)窯」(野木町煉瓦窯)にかつて存在し、
関東大震災で倒壊した西窯の詳細な位置を示す図面を古河市の郷土史研究家山田直弘さん(33)が発見した。
町や当時の運営会社などにも、資料が残されていなかった。
専門家は「煉瓦窯の歴史を知る上で貴重な資料の一つになる」としている。
野木町煉瓦窯は一八九〇(明治二十三)年の建築で、当時は東西に窯があった。
現存する東窯は、国内で四基しか残っていない屋根の形が十六角形の通称「ホフマン窯」。
四基の中で、当時の原型を最もとどめているとされる。
東京駅駅舎の煉瓦を製造するなど、野木町煉瓦窯は日本の近代化を支え、東窯は一九七一年まで操業が続いた。
一方で、西窯は二三(大正十二)年の関東大震災で倒壊。
残された写真などから、東窯から百メートルほど離れた位置にあったと推定されていた。
今回、見つかった図面は、横二メートル七十センチ、縦七十七センチで、縮尺二千分の一。
国土交通省利根川上流河川事務所(埼玉県久喜市)の書庫にあった。
明治政府が、町を流れる思川の治水工事を前に、一九一一(明治四十四)年前後に作成したとみられる。
窯で製造された製品は各地に舟運で運ばれており、船着き場の場所も記されていた。
野木町史の編さんにも携わった産業考古学が専門の元高校教諭熊倉一見さん(59)は
「当時の測量技術はかなり発達しており、西窯があった標高などが細かく示され、貴重な発見だ」と話す。
東窯は老朽化が進み、今年末まで町教育委員会が修復作業を進めている。
二〇一六年度から一般公開される予定だ。
野木町に隣接する古河市民にも煉瓦窯はなじみが深く、山田さんは蔵を改修した市内の飲食店兼ギャラリー「みらい蔵」で
今秋、関連資料と一緒に地図を展示する。