茨城新聞 いばらき春秋 20180406
雑誌「青鞜(せいとう)」創刊の辞に「元始、女性は太陽であった」と書いたのは、女性運動の先駆者、平塚らいてうである。そのらいてうが戦時中、取手市小文間の地に疎開し5年間暮らしたことを、県南を担当して初めて知った
東京から小文間に移り住んだのが1942年。日米開戦の翌年のことで、すでに言論・思想は統制されていた。小貝川の土手下に小さな2階家を借り、農耕生活を始めた
小文間は小貝川と利根川に挟まれた地域で、「ことに大利根の河原をおおう夕焼雲の変化の美しさはここに来てはじめて知る雲の美しさでした」と自伝に書いている
心血を注いだ婦人参政権運動は戦後になって結実する。46年4月10日に行われた総選挙で、初めて女性の参政権が行使され、39人の女性代議士が誕生した。これを記念して49年、国はこの日を「婦人の日」と定め、後に「女性の日」と改めた。今年も記念日が巡ってくる
らいてうは小文間の地で新憲法公布を見届け、47年春に帰京する。〈花近き梅をのこして居をうつす〉。小文間での生活は充電期間になったのかもしれない
戦後は一貫して平和と民主主義を希求したらいてう。改ざん、隠蔽と劣化する政治を見たならば、どんなメッセージを発しただろう。