偕楽園「左近の桜」再生不可能

茨城新聞 2019年10月1日

偕楽園「左近の桜」再生不可能
県、意見聞き別の道検討

台風で倒壊する以前の開花シーズンの「左近の桜」=水戸市常磐町(県提供)台風で倒壊する以前の開花シーズンの「左近の桜」=水戸市常磐町(県提供)
台風15号で倒木した偕楽園(水戸市)の象徴の一つのヤマザクラ「左近の桜」について、同園を管理する県は再生への望みを託して残った根などを樹木医に診断してもらっていたが、30日までに「再生できない」との結果が出たことが分かった。京都御所の紫宸殿の左近の桜の系統の苗木を宮内庁からもらい、1963年に植樹された偕楽園の左近の桜。再生断念となり、県都市整備課は「歴史的背景があり、シンボルの存在だった桜。色々な人の意見を聞き、別の道を検討したい」と話した。

同課によると、台風15号が通過した9月9日、委託業者が午前8時すぎに点検した際に倒木が発見された。ほかに、梅の木など19本の倒木も確認。その後、倒木した幹と枝は除去されたが「根が生きていればそれを生かす方向で考えたい。元のようになるには何十年もの時間がかかるが、再生への望みをつなぎたい」(同課)と、根から再生可能かどうかを樹木医に診断依頼した。残った根から新芽が出る例があることや、ヤマザクラの寿命がソメイヨシノなどより長い「100年から200年」で余命がまだ長く残っていることなどから期待を寄せていた。

何人かの樹木医に診断依頼したが、全て「再生不可能」の結論。木は腐朽菌に冒され、仮にひこばえ(芽)が出たとしても再生はできないという回答だった。

左近の桜があった場所の今後について、同課は「今の人の思い、植樹した時の人の思いなどさまざまな思いを考え、多くの人の意見を聞いて検討しなければいけない」と話す。再び宮内庁に苗木の提供を求めるか、別な木を植えるか、その場所に木を植えずに全く別の活用法を探るか-など「選択肢は色々あるが、今は決められない」と語った。

また、除却した幹と枝は園内の倉庫に保管されており、二次利用が検討されている。同課は「さまざまなご意見が市民などからきており、その声を整理し、文化庁などにも相談しながら検討を進めたい」と話す。

偕楽園の左近の桜は樹齢63年で樹高16メートル、幹周3・84メートル。5月のゴールデンウイークに満開を迎えていた。水戸における左近の桜の歴史をたどると、初代「左近の桜」は、有栖川宮織仁親王の吉子女王登美宮が徳川斉昭に嫁ぐ際、仁孝天皇から紫宸殿の左近の桜と右近の桜の苗木を下賜され、水戸藩上屋敷に移植した。

2代目「左近の桜」は、弘道館が1841年に開館した際に植えられたが、弘道館の昭和の大修理が完成した1963年、2代目が枯死していたため、宮内庁に依頼して左近の桜の系統の苗木3本(樹齢7年)をもらった。そのうちの1本が同年に偕楽園見晴広場に植樹され、3代目となった。

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