風化させない 震災3年
当事者編 5 福島県双葉町から取手市に避難、田村和子さん 毎日新聞 20140327
◇この状態いつまで続くの 田村和子さん
自宅の福島県双葉町は東京電力福島第1原発に近く、構内放送や作業員のラジオ体操も聞こえました。震災当日、孫の萌ちゃん(9)の幼稚園バスが家の前に着いた時、大地震に見舞われ、腰が抜けました。その夜は、夫、長女夫婦、孫3人で双葉中学校体育館で過ごしました。
その後、「放射能が漏れているから家に戻れない」と言われ、避難先を転々としました。震災前、東電は「原発は安全。事故は起きない」と言っていました。それがこんなことになるなんて。東電にはおごりがあったのではないでしょうか。
「放射能はどこまで飛ぶのか」「この先どうなるのか」と恐怖で泣くしかありませんでした。震災直後の3月下旬には妹のいる取手市に避難しましたが、長女の夫は福島県南相馬市に単身赴任しています。
取手では避難者交流団体の「取手・南相馬・双葉・浜通りの集い」に参加しています。震災鎮魂イベントで、たまたま孫の萌が書いたキャンドル入りの紙袋を見つけました。「みんなで力を合わせて、みんなの声を東北にとどけたい」と書かれていました。当時はすごくおびえていたのに、子どもなりにいろいろ考えていたのだと思いました。
3年がたっても原発事故は収束していません。それなのに、なぜ原発再稼働の議論が出てくるのかが分かりません。双葉町では地区の町民大会に参加したり、湯治に行ったりしました。まとまりのあった町がバラバラになってしまった。古里に戻りたくても戻れません。この状態はいつまで続くのでしょうか。