友人の指導のもと『新聞エコバック』作り方を習得した
「どんな風に活用していったらよいか」今後の課題です
何かに役立てそうな気がするんです
皆さんの知恵を貸して下さい
「^ ^*ちゃん 家にいる?」友人から電話
「水海道のアンパンを食べてもらいたいから、これから持っていくね」
「午前中仕事だったのに?ありがとう」
美味しいね荒井パン!久しぶりだぁ
とりでつるし飾り祭り
明日埼玉から友人がきます
友人の友人がつるし飾りを観たいと言うことで案内人ですって
『茨城ひな街道も名が知れてきたのでしょうか?』
明日の『おはよう茨城』(フジTV)楽しみだなぁ
今日は常北町だったと思うが、県北から大型バスでとりでつるし飾り祭りを見にきた
新六本店さんや田中酒造さんで買い物をしたと聞いた
とりでつるし飾り祭りがもっと進化し楽しいイベントや物産の販売もできるようになればと、願う
第2陣は25日 やはり大型バスで見に来てくれるらしい
HappyRecipeにリンクさせたとりでつるし飾り祭りが携帯サイトでも見られることを確認した
http://happyrecipe.net/?page_id=3186
女の気持
今日の女の気持を読まれた方は「凄い!」と思ったはず
[98歳母のメール]
携帯に母からメールが届いた。絵文字入りだ。「風邪の具合は?」「雪が降ったようだが」と、離れ住む娘夫婦を案じている。
大変な時代に6人の子育てをし、もろもろの思いを日記代わりの短歌に託してノートにつづってきた。自分の時間が持てるようになってからは、短歌や茶道を本格的に勉強し、短歌の仲間との年1度の歌集も10冊を超え、茶道でも良いお弟子さんに恵まれた。
そんな母の耳が遠くなった。補聴器もあまり役立たなくなり、特に電話での会話が難しくなってきた。自立を旨とし、社会との接点を求める母には痛手である。
そこで一念発起、携帯メールを提案した。
もともと勉強好き、好奇心旺盛な母は、やる気満々、5年ほど前のことである。
私は同機種を購入、お互いに左手に携帯、右手で回線電話を耳に当て、猛特訓の日々が続いた。
あちこちの孫娘たちの応援、協力と、なにより母自身の努力があって半年後にはメールが行き交うようになった。
その後も母のメールは漢字変換、絵文字、長文、写真と進化し続け、今では子供たちや孫たちとの貴重なコミュニケーションツールとなっている。
母、明治44年生まれ、今年の夏には98歳になる。