兵学校最後の卒業生取手の皆川さん回想録出版

戦後70年 兵学校最後の卒業生取手の皆川さん 平和と教育の力に 教員40年、回想録出版
毎日新聞 2015年09月10日 

 海軍兵学校最後の卒業生で、県内の小中学校教員を40年間務めた取手市白山の皆川二郎さん(89)が、回想録「戦後七十年」を書き終えた。退職後、主に教育論の著作を年にほぼ1冊のペースでつづり、今回が24冊目の自費出版となる。現在はいじめ問題について執筆中で、「まだ伝えたいことがある」と意気盛んだ。

 回想録は150ページで、これまで同様、すべて手書き。自らの生い立ちを振り返りながら教育の重要性を説く。「集大成」のつもりで、1カ月かけて書き上げた。特に力を込めたのは、兵学校時代に受けた、英語をはじめとする「教養教育」について。戦後、教職を続ける原動力になったという。

 東京都中野区出身の皆川さんは1943年に広島県・江田島の海軍兵学校に入学した。「陸軍の学校教練が大嫌い」だったので海軍を志望した。そこで出会ったのが、井上成美校長だった。井上校長は敗戦の覚悟を決め、英語学習を重視。皆川さんら75期生全員に英英辞典を支給し、英語力を身に着けさせた。

 江田島では死につながりかねない体験もした。戦争末期、近くに停泊していた軍艦が空爆された。低空で来襲する米軍パイロットの顔が見えた。機銃掃射はなかったが、防空壕(ごう)に入り込むと、近くに何かの大きな破片が飛んできた。幸いけがはなかった。

 在学中に終戦を迎え、45年10月に繰り上げ卒業した。兵学校最後の卒業生だった。東京の自宅は同年5月の空襲で全焼したため、自分や家族の写真はない。

 戦後は母親の実家がある茨城県に移住し、父と同じ教職の道を進んだ。「荒れた学校」といわれた中学に校長として赴任したときは、自ら道徳の授業や家庭訪問を行い、生徒と人間関係を築いたという。

 海外での教育視察の経験も踏まえて「視野を広げる」重要性を強調。「学校教育は地域の協力、側面援助が必要だ」と結んだ。

 7月に50冊限定で刊行。元教員仲間や教え子に配った。「隠居はしたが、平和・国際教育のため側面から協力していきたい」と意気盛んだ。岩手県で起きたいじめを苦にしたとみられる中学生の自殺に心を痛め、原稿を書き始めた。「やることはいっぱいある」とペンを走らせている。

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