昨夜はあまりにもドラマチックな夜でした。
沢山の感動をもらい、ありがとうをいいました。
地元出身の美馬君について・・・
スポニチより
原動力となったのは、茨城に住む母・明美さん(58)の存在だ。
9月に内臓にがんが発見され、千葉県内の病院に入院。
10月7日に大きな手術を受けた。
数日後、右肘痛で2軍落ちしていた美馬は休日を利用して見舞うと、わずか数カ月で体重が激減した姿に衝撃を受けた。
元気づける言葉も出ない息子に母は言った。
「お母さんも頑張る。だから、学も頑張って」。
逆に勇気づけられた。涙をこらえるのに必死だった。
明美さんは手術後も予断を許さない状況が続いた。
第7戦にもつれることが決まった前夜、美馬は「あしたはテレビを見られる体調ではないかもしれないけど、好投で母を元気づけたい」と語った。
決戦のこの日、明美さんが退院し、茨城の自宅に戻ったという朗報が届いた。
球場入りした美馬は「テレビも見てくれると思います」と笑顔で話していた。
母のためにも絶対に勝ちたかった。・・・・
茨城新聞20131104
取手市出身。藤代町立藤代中学校(現:取手市立藤代中学校)時代は軟式野球部に所属し、第23回全国中学校軟式野球大会ベスト8の成績を残す。
藤代高校進学後は1年からレギュラーとして活躍。2年春にはセンバツに出場するも、夏からはケガを繰り返し、一塁手として起用されたこともあった。高校の2年先輩には井坂亮平がおり、後の中央大学進学はその繋がりで「なんとか入れた感じでした」と後に語っている[1]。
中大進学後は硬式野球部に所属。球速をのばし、最速153km/hをマーク。大学でもケガに悩まされ、2年時と4年時には肘の手術を経験した。4年春には13試合中10試合の登板で2部優勝に貢献し、MVPを受賞する。野球部の2年後輩には澤村拓一がいる。
東京ガスに入社後もケガのためスタートが遅れるも、都市対抗予選ではクローザーとして4試合を無失点に抑える投球で本選出場に貢献。榎田大樹は同期で、プロ入り後も自主トレを一緒に行う仲である[1][2]。
2010年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから2位指名を受け、入団。背番号は「31」。同年11月、広州アジア大会日本代表に選ばれ銅メダルを獲得した。
美馬君は、取手市出身。
現在の取手市立藤代中学校時代・・・第23回全国中学校軟式野球大会ベスト8
藤代高校進学・・・1年からレギュラーとして活躍し2年春にはセンバツに出場したが夏からはケガが多く・・・
中大・・・ケガに悩まされ手術を経験
東京ガス・・・ケガに悩まされ都市対抗予選では本選出場に貢献
2010年のドラフト会議・・・東北楽天ゴールデンイーグルスから2位指名