いもりの里で田植え体験が行われました

5月 20th, 2012

綿毛 わたげ ワタゲ

ヤナギ?ハルジオン?

綿毛吹雪でした ↓

田植えの後は、水シャワーやアウトドアクッキングで楽しみました

自然満喫!素晴らしい

いもりの里で田植え体験

いもりの里で田植え体験

いもりの里で田植え体験

いもりの里で田植え体験

いもりの里で田植え体験

いもりの里で田植え体験

いもりの里協議会 イモリネットワーク

本日の田植え風景はこちら

さあこれからだ 新聞記事より

5月 20th, 2012
さあこれからだ:/30 あったかな心、つながる=鎌田實
毎日新聞 2012年05月19日 東京朝刊
心温まる話をしよう。
福島県石川郡平田村に、一般財団法人「震災復興支援放射能安全研究所」が設立された。田舎には場違いの研究所だが、次の世代を担う子どもたちを守るため、全身の内部被ばくを測定できるホールボディーカウンターや、食品や母乳の放射線量を検出できる高機能の検査機器が設置されている。
研究所は昨年10月中旬から今年3月末までの約5カ月半で、1万4111人の内部被ばくを検査してきた。来月には2台目のホールボディーカウンターを導入する。これまで日本では検査できなかった、小さな子どもの検査をできるようにしたいという。
ホールボディーカウンターは、1台で1億円を超す高額な機器だ。ぼくが21年間支援を続けているベラルーシ共和国のベトカという放射能汚染地域では、人口1万9000人の町にホールボディーカウンターが2台あったが、福島県には約200万人の県民がいるのに、ホールボディーカウンターはわずか10台ちょっとしかなく、ケタ違いに少ない。
そんななかで、民間の小さな研究所が2台ものホールボディーカウンターを設置した。18歳以下の子どもの内部被ばくの検査料は、なんと無料という。なかなかできることではない。
何でこんなことが、田舎の研究所でできるのか。実は、小さな、あったかな「気持ち」が、次々に連鎖を起こした結果なのだ。
研究所を設立したのは、医療法人誠励会。ひらた中央病院をはじめ、老人保健施設や老人ホーム、四つのデイサービスセンター、二つの診療所を経営している。福島第1原発事故以降、原発から30キロ圏内の施設や病院にいた寝たきりのお年寄りを、総力を挙げて受け入れてきた。
グループの病院には当時、120人近い患者が入院していたが、さらに169人、行き場所のない病気や障害をもったお年寄りを受け入れたのである。
昨年7月までの5カ月間は、戦場のようだった。リハビリ室などを仮の病室にし、待合室にベッドを置いたりした。もう限界と思いながらも、次から次へとやってくる患者を受け入れた。ピーク時は、スタッフの睡眠時間は1日2〜3時間という過酷な状態になった。
「困難に直面している人がいるのに、自分たちが手を差し伸べないわけにはいかない」
地域貢献のための、純粋なボランティアのつもりだったという。
この窮状をマスコミが報じた。医師や看護師や介護の専門家、一般の市民がボランティアとしてはせ参じた。その数は約400人。3カ月間もボランティアを続けてくれた看護師もいた。近隣の住民たちもお米や野菜を持ってきて、食事の手助けを買って出た。
「人の手が欲しいと思っているときに、全国から多くの人が応援に駆けつけてくれた。忘れることができない感動だった」という。全国から義援金も集まった。
これに対して、病院側がとった行動はすごい。
「30キロ圏内の障害老人たちを支えることができたのは、全国のたくさんの人たちの応援のおかげ。私たち医療法人の収入にしてはいけない」
あったかい。なかなかできないことだ。高額なホールボディーカウンターなどの機器を導入し、研究所を設立した熱い志に、ぼくは心を揺さぶられた。
財団の名誉理事長になってほしいと依頼された。通常はこういう話はお断りしているのだが、ぼくにできることなら一肌脱ぎたいと思った。忙しいぼくの健康を気づかう妻は「これ以上ボランティアするのは無理よ」と心配してくれた。それでも、一肌でも二肌でも脱ぎたいと思ったのだ。
これまで研究所で内部被ばくの検査をした人のうち、1キログラム当たり20ベクレル以上の内部被ばくが認められた人の割合は、10月1・24%、11月1・64%、12月1・84%、1月1・13%、2月0・45%、3月0・06%と、著明に減少している。
軽度の内部被ばくがあって再検査をした人は、18歳以下では92人いた。干し柿や山菜やイノシシの肉などが原因として考えられた。干し柿はチェルノブイリにはないので、新たに注意が必要だと思った。
食事の注意をすると、90人は明らかに放射線量が減少し、このうち84人は検出限界を下回った。ほぼゼロと考えていい。2人は横ばいだが、生活環境や習慣を見直しながら、3回目の検査を予定している。大人で20ベクレルを超えた14人は全員、再検査で放射線量が明らかに減った。
内部被ばくをしても、汚染されていない食品を食べていると、チェルノブイリでは90日で正常化すると言われた。この研究所には福島全県から患者が受診に来ているが、その多くは1〜2カ月間で正常化している。結果を怖がって検査を避けようとする人がいるが、見えない放射線に対処するためには、きちんと測定することが大切だ。
放射線とのつきあいは長期戦になる。放射線の「見える化」が大事だ。健康診断、内部被ばくの測定、食品の放射線測定を徹底しながら、子どもの命を守っていかなければならない。
民間の志のある研究所の取り組みは、原発事故という絶望のなかにともった、小さな明かりだ。この小さな明かりをともし続けるには、人の力も、資金も必要だ。次世代の子どもたちを守るためにも、この明かりを絶やさぬよう、多くの人たちに応援してほしい。

さあこれからだ あったかな心、つながる=鎌田實 ~毎日新聞20120519~

心温まる話をしよう。

福島県石川郡平田村に、一般財団法人「震災復興支援放射能安全研究所」が設立された。田舎には場違いの研究所だが、次の世代を担う子どもたちを守るため、全身の内部被ばくを測定できるホールボディーカウンターや、食品や母乳の放射線量を検出できる高機能の検査機器が設置されている。

研究所は昨年10月中旬から今年3月末までの約5カ月半で、1万4111人の内部被ばくを検査してきた。来月には2台目のホールボディーカウンターを導入する。これまで日本では検査できなかった、小さな子どもの検査をできるようにしたいという。

ホールボディーカウンターは、1台で1億円を超す高額な機器だ。ぼくが21年間支援を続けているベラルーシ共和国のベトカという放射能汚染地域では、人口1万9000人の町にホールボディーカウンターが2台あったが、福島県には約200万人の県民がいるのに、ホールボディーカウンターはわずか10台ちょっとしかなく、ケタ違いに少ない。

そんななかで、民間の小さな研究所が2台ものホールボディーカウンターを設置した。18歳以下の子どもの内部被ばくの検査料は、なんと無料という。なかなかできることではない。

何でこんなことが、田舎の研究所でできるのか。実は、小さな、あったかな「気持ち」が、次々に連鎖を起こした結果なのだ。

研究所を設立したのは、医療法人誠励会。ひらた中央病院をはじめ、老人保健施設や老人ホーム、四つのデイサービスセンター、二つの診療所を経営している。福島第1原発事故以降、原発から30キロ圏内の施設や病院にいた寝たきりのお年寄りを、総力を挙げて受け入れてきた。

グループの病院には当時、120人近い患者が入院していたが、さらに169人、行き場所のない病気や障害をもったお年寄りを受け入れたのである。

昨年7月までの5カ月間は、戦場のようだった。リハビリ室などを仮の病室にし、待合室にベッドを置いたりした。もう限界と思いながらも、次から次へとやってくる患者を受け入れた。ピーク時は、スタッフの睡眠時間は1日2〜3時間という過酷な状態になった。

「困難に直面している人がいるのに、自分たちが手を差し伸べないわけにはいかない」

地域貢献のための、純粋なボランティアのつもりだったという。

この窮状をマスコミが報じた。医師や看護師や介護の専門家、一般の市民がボランティアとしてはせ参じた。その数は約400人。3カ月間もボランティアを続けてくれた看護師もいた。近隣の住民たちもお米や野菜を持ってきて、食事の手助けを買って出た。

「人の手が欲しいと思っているときに、全国から多くの人が応援に駆けつけてくれた。忘れることができない感動だった」という。全国から義援金も集まった。

これに対して、病院側がとった行動はすごい。

「30キロ圏内の障害老人たちを支えることができたのは、全国のたくさんの人たちの応援のおかげ。私たち医療法人の収入にしてはいけない」

あったかい。なかなかできないことだ。高額なホールボディーカウンターなどの機器を導入し、研究所を設立した熱い志に、ぼくは心を揺さぶられた。

財団の名誉理事長になってほしいと依頼された。通常はこういう話はお断りしているのだが、ぼくにできることなら一肌脱ぎたいと思った。忙しいぼくの健康を気づかう妻は「これ以上ボランティアするのは無理よ」と心配してくれた。それでも、一肌でも二肌でも脱ぎたいと思ったのだ。

これまで研究所で内部被ばくの検査をした人のうち、1キログラム当たり20ベクレル以上の内部被ばくが認められた人の割合は、10月1・24%、11月1・64%、12月1・84%、1月1・13%、2月0・45%、3月0・06%と、著明に減少している。

軽度の内部被ばくがあって再検査をした人は、18歳以下では92人いた。干し柿や山菜やイノシシの肉などが原因として考えられた。干し柿はチェルノブイリにはないので、新たに注意が必要だと思った。

食事の注意をすると、90人は明らかに放射線量が減少し、このうち84人は検出限界を下回った。ほぼゼロと考えていい。2人は横ばいだが、生活環境や習慣を見直しながら、3回目の検査を予定している。大人で20ベクレルを超えた14人は全員、再検査で放射線量が明らかに減った。

内部被ばくをしても、汚染されていない食品を食べていると、チェルノブイリでは90日で正常化すると言われた。この研究所には福島全県から患者が受診に来ているが、その多くは1〜2カ月間で正常化している。結果を怖がって検査を避けようとする人がいるが、見えない放射線に対処するためには、きちんと測定することが大切だ。

放射線とのつきあいは長期戦になる。放射線の「見える化」が大事だ。健康診断、内部被ばくの測定、食品の放射線測定を徹底しながら、子どもの命を守っていかなければならない。

民間の志のある研究所の取り組みは、原発事故という絶望のなかにともった、小さな明かりだ。この小さな明かりをともし続けるには、人の力も、資金も必要だ。次世代の子どもたちを守るためにも、この明かりを絶やさぬよう、多くの人たちに応援してほしい。

取手市役所  環境対策課から配信

5月 19th, 2012

水道中に検出されたホルムアルデヒドについて、取手市内に水道を供給している利根川浄水場では水道法で定められた基準値(1リットル当たり0.08ミリグラム)内となっておりますので、飲用に問題ありません。なお、小堀地区については我孫子市水道局から給水されていますが、給水が停止された地区とは配水の系統が違うため、通常通り使用できます。

一人の小さな行動に心打たれて

5月 19th, 2012

取手市内で

運転中目にした光景です

道路脇に植えられた矢車草に混じった草取りをしている方がいました

一人一人がちょっとだけ草取りをしたら

そんな町だったら

草取りに使われる前金が別のことに使われるのかもしれないな・・・

手をつないだ人と同じ気持ちになるって素晴らしいこと

ホゥっと一息かわまちMAP 完成

5月 18th, 2012

20120518毎日新聞

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ホゥっと一息かわまちMAP

ホゥっと一息かわまちMAP

5月27日「ようこそとりで」で配布デビューですm(__)m

map設置個所については、後日ご報告いたします

取材等でお世話になった皆様 有難うございました

取手駅東口「ようこそとりで」ポスター

ようこそとりで

ようこそとりで

大大的ポスター貼付は

取手市取手駅の協力があってこそ!

参加される皆様が取手を好きになってくださいますように・・・

自然に感謝

5月 18th, 2012

東屋

東屋

かたらいの郷近くにある東屋から見えた夕日

おっきな太陽でした

太陽と言えば数日後に控えた金環日食ですね

東京で173年ぶりと聞けば 燃えます(笑)

手づくりピンホール装置を作ってみました

晴れますように・・・

金環日食グッツ

最近の特技?

無くしものが増えた・足がつる・こけやすい・目がかすむ

昨夜寝違えたらしく1日辛かったぁ(笑)

懐かしい友人から次の日曜日ホテルランチのお誘いあり

都合がつかなくてごめんなさいm(__)m

どなたでもご利用になれる「福ふく亭」

5月 18th, 2012

20120518読売新聞

20120518読売新聞

数年前から使用しているバックの劣化

5月 17th, 2012

ショック

春色バックに衣替え

・・が、なんか変

バックに入れた小物が異常にべた付く

内側についている袋が劣化してゴムのようになっているではありませんか

ショック!

修理するか処分するか

悩める^ ^*

茨城新聞 いばらき春秋

5月 17th, 2012
2012年5月16日(水)
佐藤順一さん、今はどの辺りでしょうか。告別式から5日、まだ極楽浄土への旅の途中ですね。わが社に40年近く勤務し、最後は激務の販売局長。お疲れさまでした
59歳での旅立ちはあまりに早すぎました。急性心筋梗塞による突然の死。荼毘(だび)に付される直前、ひつぎの小窓からあなたの顔を拝んだ時、声を上げて泣きました
残された奥さんと3人の息子の悲しみの深さは、想像も及びません。告別式で歯を食いしばってあいさつした長男は、立派でした。さすが、あなたのせがれです
あなたを思うと、「雨ニモマケズ」が浮かびます。東ニ病気ノコドモアレバ、西ニツカレタ母アレバ…東奔西走して皆の世話を焼く。それを苦にもせず、イツモシヅカニワラッテイル誠実な人でした
あなたほど信頼の厚い人間を他に知りません。人と人を結ぶ懸け橋となり、地域の幸福と繁栄を願う。全国紙とはひと味違った地方紙の、新聞人としての一つの理想型でした
あなたのような人間がわが社にいたことを、誇りに思います。あなたが大切にした読者にお誓いします。郷土へ傾けた順ちゃんの思いを引き継ぎ、日々の紙面作りに努めると。

茨城新聞より引用 ~茨城新聞201205156

佐藤順一さん、今はどの辺りでしょうか。告別式から5日、まだ極楽浄土への旅の途中ですね。わが社に40年近く勤務し、最後は激務の販売局長。お疲れさまでした

59歳での旅立ちはあまりに早すぎました。急性心筋梗塞による突然の死。荼毘(だび)に付される直前、ひつぎの小窓からあなたの顔を拝んだ時、声を上げて泣きました

残された奥さんと3人の息子の悲しみの深さは、想像も及びません。告別式で歯を食いしばってあいさつした長男は、立派でした。さすが、あなたのせがれです

あなたを思うと、「雨ニモマケズ」が浮かびます。東ニ病気ノコドモアレバ、西ニツカレタ母アレバ…東奔西走して皆の世話を焼く。それを苦にもせず、イツモシヅカニワラッテイル誠実な人でした

あなたほど信頼の厚い人間を他に知りません。人と人を結ぶ懸け橋となり、地域の幸福と繁栄を願う。全国紙とはひと味違った地方紙の、新聞人としての一つの理想型でした

あなたのような人間がわが社にいたことを、誇りに思います。あなたが大切にした読者にお誓いします。郷土へ傾けた順ちゃんの思いを引き継ぎ、日々の紙面作りに努めると。

とりでお散歩絵地図 ホゥっと一息いっぷくMAP

5月 16th, 2012

ホゥっと一息かわまちMAP

5月27日の発行に向けて

「ホゥっと一息かわまちMAP」の仕上げにはいっているゆめまっぷの会です

取手駅東口で40年

自家焙煎珈琲アポで打ち合わせ

ダッチ珈琲

マスターに、手軽にできるダッチ珈琲の作り方を教えていただきました

って訳でダッチ珈琲を我が家でもつくっています