播磨坂満開に誘われて
ほんとのさくら色
3月 28th, 2009さくら色
3月 28th, 2009さくら色のはずが、、、
- 清瀧院
間もなく満開のシダレザクラ
- 清瀧院
さくらを保護しています 柵の中には入らないでください
- 清瀧院
でも、、、どうしてみどりなの???
- 清瀧院
今にもせまってきそうなさくら
- 清瀧院
みごとなシダレ
- 清瀧院
さくらに酔いそうです
何故に妖怪桜になってしまったのでしょうか?
昨夜から試験点灯が始まった
7~8分咲きと言ったところでしょうか
清瀧院のさくらと出会って3年目
シダレさんは、静かにさくら姫を迎えてくれた
忙しくてもゆったりと…
3月 28th, 2009さくらの日
3月 27th, 2009今日はさくらの日
いばらき春秋
桜前線が北上、水戸市でも桜の枝先がぐっと色づいてきた。今日、明日にでも水戸地方気象台や日立市天気相談所から、桜の開花発表があるだろう
▼ちょうど、今日は「さくらの日」。さくらと咲く(3×9=27)の語呂合わせに加え、72候の一つ「桜始開」が重なる時期として、日本さくらの会が制定。桜を通して日本の自然や文化に関心を深める日としている
▼県内に桜の見どころが多い中、同会の「日本のさくら名所100選」に選ばれているのは、日立市のかみね公園と平和通り、那珂市の静峰公園。このうち、平和通りはソメイヨシノが美しく、約1キロの通りの両側に、123本が植えられている
▼車道にまで枝が張り出し、満開になると、まさに花のトンネルだ。ライトアップされた夜桜も、雪が積もったように白く、幻想的で素晴らしい
▼各地のソメイヨシノは来週末ごろ、満開になるのが予想される。有名な花見スポットでは、イベントも行われる。夜に入ると、うたげも繰り広げられる
▼寒さも手伝い、アルコールのメートルも上がりそうだ。桜は散り際が美しいといわれる。花見もほどほどにして、去り際を美しくしたい。
突然「草餅つくったからそっちに行くから」
毎年、彼岸になると餅草を摘んでお米を粉にして草餅を作っている母
今日は亡くなった父の誕生日でした
元気でいる頃は、毎年我が家でお誕生会をしていました
母には、折込作業を手伝ってもらい
母を送りながら、般若院のさくら見
新しい三脚バッチグー(笑)
昨年までと違い、できるだけさくらに負担がかからないように観覧場所に縄が張られていました
ずっと雨だったらしいのですが、この瞬間だけ雨があがっていました!さすがさくら姫の^ ^*
明日から3日間桜祭りのようです
きっと明日の紙面はさくら一色でしょう!
さくらはクリックしてでご覧ください
生きている限り
3月 26th, 200970歳の准看護師が誕生 土浦市 3月25日産経新聞
茨城県土浦市中央の主婦、久松(旧姓・菊地)セツ子さん(70)が今月4日、土浦市医師会附属准看護学院を卒業し、准看護師の試験に合格した。知事認定の准看護師の免許取得者としては県内で最高齢となる。耳鼻咽喉(いんこう)科の開業医でもある夫の仕事を見守るうちに、看護師になりたいという思いを抱くようになったという久松さん。「悔いのない人生を送りたいと思って挑戦した」と話している。
久松さんは昭和63年春、元日本大総合科学研究所教授の夫、建一さんの両親の世話をするため夫と子供らを東京に残し、同市に転居。子供や義父母の世話が一段落した平成12年ごろから、「いつか看護学校に入りたいと思っていた」という。
そういう思いを最初に抱いたのは約30年前。建一さんが手術をしていた際、「看護師として夫の手術を手伝えたら」と漠然と考えた。ただ、当時は幼い子供を抱える身。「その時からずうっと心の隅に看護師になりたいという思いはあった」と笑顔をみせた。
18年秋、一念発起(いちねんほっき)し、同看護学院へ入学を決意。「『生老病死(しょうろうびょうし)』という言葉がありますが、誰もが死に向かうのでやり残したことを一つでも少なくし、悔いのない人生を送りたいと心に決めた」と心の内を明かした。
19年春、待望の看護学院に入学。同級生からは「若さ」をもらったという。「若い人たちは迷惑だったかもしれないが、教務の先生方がよくしてくれた。その人たちの励ましがなかったら中退していたかもしれない」を周囲に感謝した。
建一さんは「同じ屋根の下で暮らす家族の中で、看護や医学を勉強するだけでもうれしい。年齢(とし)をとっても志を持って何かを試みることはよいこと」と賛辞を贈っている。
105歳女子アナが活躍 熊本のネット放送、92歳も 3月16日茨城新聞
熊本県天草市のインターネット放送局「天草テレビ」で、森シノさん(105)と黒川ツルエさん(92)が自ら取材しリポートする“女子アナ”として活躍。「100歳以上の人を取材することはあるが、100歳以上の人が取材しているのは聞いたことがない」と海外メディアが相次いで取り上げ、注目されている。
天草テレビは2001年、東京の広告会社を辞めて地元に戻った金子寛昭さん(51)が始め、「豊富な知識と経験を持つお年寄りに身近な話題を伝えてもらいたい」と森さんらを起用した。
2人はいつもピンクのジャンパー姿で、ほぼ毎週、地元の名所や名物を天草弁で紹介。森さんはタコの煮物、黒川さんは塩ゆでにしたヒトデの試食など体当たりのリポートが話題になった。
2人は昨年12月、遊説で天草市を訪れた麻生太郎首相にもインタビュー。森さんは「緊張したけど、みぞか(かわいい)顔じゃった」。
森さんは、自宅裏のデコポンの畑まで草取りのため急坂を歩いて上るのが日課で、好物は焼酎。04年に脳梗塞で入院中にアナウンサーを頼まれ「人のためになるなら」と引き受けた黒川さんも、今は元気いっぱいだ。
2人の活躍ぶりに06年にはドイツや韓国のテレビ局が取材に訪れ、昨年から今年にかけてもスペインやフランス、中東のメディアで相次いで取り上げられた。
岡神社
3月 26th, 2009水曜日
3月 25th, 2009しあわせのトンボ 毎日新聞3月25日夕刊~
3月 25th, 2009後輩が彼女を連れてやって来た。なれそめは友だちを介してのグループ交際だったようで、「彼女とはたまたま出会ったんですよ。幸運でした」と照れくさそうに言う。
彼の話を聞きつつ、ある人が出会いについて次のようなことを言っていたのを思い出した。
「地球上にいる60億人の中で、男女それぞれが恋人や夫婦になるといった特定の人と出会う確率は30億分の1でしかないわけです。しかも出会いというのは、1年365日のうちの1日のある時間をふたりが共にしたということだ、と考えると、これは偶然というより出会うべくして出会った、つまり必然とみるべきではないでしょうか」
数字上の巧みなレトリックに富む話ではあるが、ぼくはなんとなくうなずきながら聞いていたわけで、その時、こんなことも思っていた。
仲の良いAとBの人間関係はA、Bそれぞれにとっては、向こう側とこっち側にいた双方がたまたま歩み寄って出会ったという関係にしか思えないだろう。しかし人間の行動を上から見ることができる、それこそ何事もお見通しのおてんとう様の目でみれば、AとBの生きてきた歩みとその軌跡は丸見えだから、ふたりは交わるべくして交わったということがわかるはずだ。
で、ぼくが「偶然出会ったと言うけど、お互い出会う運命にあったのかもしれないよ。似た者同士とか、類は友を呼ぶなんて言葉もあるしね」と言うと、後輩は「あっ、そうなんです。似た者同士のところ、いろいろあるんですよ」と彼女とのエピソードをひとつふたつ挙げながら笑った。
人と人が出会って人間関係ができる。状況的にはどうあれ、自分がこんなふうに生きてきたから、あの時あの人と巡り合えたんだ。おそらく相手の側からも同じようなことが言えるのではなかろうか、とぼく自身も思ってみることがある。またそうとしか説明のつきにくい友人も何人かいるのだった。
いささか強引な言い方になったかもしれないが、出会いも必然と思えば両者の人間関係もさらに良好に保てるのは確かなことだろう。
春--出会いと別れの季節である。「さよならだけが人生だ」と日本人の心性は「さようなら」に傾くところがあるが、別れに際しては出会ったというそのことを大切に思って見送りたいものだ。
木内梅酒
3月 25th, 2009「やっときたーーーーーーー」 「強いお酒です」zzzzz
一仕事終え、寝しなにPCを開けています
今日の話題は木内梅酒にしよう
先日も紹介しましたが、今年の梅酒日本一に選ばれました
木内梅酒の紹介文 木内酒造から抜粋
注)現在国内で販売している「木内の雫」はオーク樽で3年寝かせたリキュールタイプです。
今夜は梅酒でぐっすりzzzこちらの菊盛は店長のお気に入りになりました
















