Archive for the ‘記事’ Category

99年取手へ 三笠宮さま

金曜日, 10月 28th, 2016

三笠宮さま逝去 99年取手訪れ芸大視察 アート楽しまれる

茨城新聞 20161028

昭和天皇の末弟で、天皇陛下の叔父に当たる三笠宮さまが27日午前8時34分、入院先の東京都中央区の聖路加国際病院で心不全のため亡くなられた。名前は崇仁(たかひと)。宮内庁によると、信頼できる記録上、皇族では最長寿の100歳だった。皇位継承資格がある皇族は皇太子さま、秋篠宮さま、悠仁(ひさひと)さま、常陸宮さまの4人に減った。

三笠宮さまは、東京芸術大の客員教授を務めていたことから、1999年12月、同大のキャンパスがある取手市を訪れ、市内で開かれていた「取手・リ・サイクリングアートプロジェクト」を視察された。

当時、市長だった大橋幸雄さん(88)は「東京で何度かお会いし、『ぜひ取手にもお出ましになって下さい』とお話をしたところ、少人数のお忍びという形でいらっしゃった。ご案内した芸大の一部屋一部屋を丹念に視察なさっていた」と語った。

取手アートプロジェクトの小林えつさん(71)は「取手駅東口に車2台でいらっしゃったと記憶している。イベントでは、現代美術家の木村崇人さんの作品などを楽しまれていたと聞いた。非常ににこやかな方だった」と振り返った。

三笠宮さまは視察のほか、市役所敷地内で桜の木を記念植樹されたという。この桜はその後、同市長兵衛新田の市立かたらいの郷敷地内に移植された。

アートカーニバル 藤代イルミネーション

土曜日, 10月 22nd, 2016

常陽新聞 20161022

今冬も取手市藤代庁舎前の「水と緑と祭りの広場」に点灯される「藤代イルミネーション」の制作現場見学会が29日午前10時~正午、開催される。  同イルミネーションは、光の芸術に触れる機会の提供を目的に2年前から開催。3回目の今回のテーマは「アートカーニバル」

水戸芸術館ライトアップ

木曜日, 10月 20th, 2016

茨城新聞 20161020 動画ニュース クロスアイ

水戸芸術館(水戸市五軒町1丁目)のシンボルタワーと宙吊り巨石「カスケード」が年間を通してライトアップされるのを前に、同館を運営する市芸術振興財団は19日、色彩調整のための試験点灯を行った。この日に限り、「光のアート」11種全てのプログラムが夜空を彩った。

生涯スポーツ功労者表彰 

水曜日, 10月 19th, 2016

散歩道 宮本さんに文科相表彰 取手 茨城

毎日新聞2016年10月19日 

 取手市在住で日本体育協会公認エアロビック指導員の宮本真理子さん(61)が、松野博一文部科学相から生涯スポーツ功労者として表彰された。宮本さんは18日、藤井信吾市長に報告。「エアロビックをさらに普及させ3年後の茨城国体では力の及ぶ範囲で尽くしたい」と決意表明した。

 宮本さんは18年間、公認指導員を務めており、2009年設立の県エアロビック連盟理事長。19年の茨城国体でエアロビックはデモンストレーションスポーツ種目に採用され、同市が競技会場に決定している。

縁・・・大切にしたい

火曜日, 10月 18th, 2016

縁の不思議さ 毎日新聞20161018 女の気持ち
 
人の縁っておもしろいなと思う出来事がありました。

 昨年、孫の学校の行事に嫁と行きましたが、1時間も早く着いてしまいました。どうしようか迷っていると、用務員さんが校庭の落ち葉を掃いていたので、手伝うことにしました。雑談しながら作業をし、うっすら汗もかき、あっという間に時間がたちました。用務員さんは冗談めかして「仕事が進み、涙が出るほどうれしかった」と言ってくださり、私たちにとっても気分の良い日でした。

 そして今年、市のメタボ健診に主人が行った際、順番を待ちながら趣味のアンプ作りの本を見ていると、隣に座った方が「そういうものが好きなんですか」と声をかけてきたそうです。主人と共通の趣味の話題で盛り上がり、電話番号まで交換したと聞きました。

 後日、その方がいらっしゃって応対に出た私を見るなり、「あれ、どこかで会ったことがある?」と言ったのです。なんと、あの時の用務員さんでした。たくさんの父母が出入りする学校なので、一人一人の顔まで覚えていられないと思うのですが、掃き掃除がきっかけでお互いに覚えていたのです。

 それからは、かなり前からの知り合いのように話が弾みました。主人と話しているのを見ると、2人とも少年のように見えました。この出会いを大切にして主人も趣味を生きがいに若返ってほしいと願っています。

 ちょっとした偶然や人の縁の不思議さ。この出会いをつくってくれた孫にも感謝です。

高額介護サービス費

月曜日, 10月 17th, 2016

いばらき春秋

茨城新聞 20161017

母の介護をしている。デイサービスやヘルパーの助けを借り、自分は雑用を担う。その中に高額サービス費制度の申請がある。
介護サービスの上限額を超えた場合、役所から郵送される申請用紙に必要事項を記入し、領収書を添え提出。1カ月前後で口座に超過分が払い戻される。少ない年金をやりくりする母にはありがたい。
介護サービス利用の自己負担は2000年の制度開始以来、一律1割だったが、膨張する費用を賄う目的で昨年8月、一部の人は2割に引き上げられた。単身で年金収入だけの場合、年収280万円以上の人が対象で、全国約60万人。
政府は来年の通常国会で介護保険制度の見直し法案を提出する考え。2割負担の対象拡大を検討中だ。財務省は当初、所得にかかわらず「65〜74歳を原則2割」と提案。高齢者らの反発が強く、最近は「要介護度の低い人の負担を引き上げるべき」と主張する。
高額介護サービス費も見直される見込み。現在の上限額は、世帯収入に応じ1万5千〜4万4千円の間で4区分だが、政府は4万4千円への統一を検討する
介護離職ゼロを掲げる政府。だが、この案では、母は今よりもサービスを控えることになるかもしれない。自分の負担は間違いなく増える。

絵柄入りの婚姻届用紙 取手

日曜日, 10月 16th, 2016

散歩道
絵柄入りの婚姻届用紙 取手 茨城

毎日新聞2016年10月16日 

 取手市は、余白に取手名物のイラストをあしらった婚姻届用紙を作成した。図柄は毎夏の「とりで利根川大花火」と1世紀続く利根川の渡し船「小堀の渡し」。A3判の用紙全体をピンク色で印刷した。

 絵を描いた藤代公民館職員の安田幸美さんは「花火の真ん中をハート形にした。結婚する皆さんに幸せになってほしい」と願う。提出前に撮影しておくと記念に残る。イラストなしの従来の用紙(茶色)もあり、2種から選べる。先月中旬から配布、最近はイラスト入りの方が多いという。

スクールカウンセラー委嘱

金曜日, 10月 14th, 2016

取手の生徒自殺調査委に女性の新委員  茨城

毎日新聞2016年10月14日

 昨年11月に取手市立中学校3年女子生徒(当時15歳)が自殺した問題で、市教育委員会は13日、自殺に関する調査委員会委員に東京都公立中学校スクールカウンセラーの横山典子氏を委嘱することを決めた。調査委は7月、専門家の男性5人を委員に発足。調査委から女性の委員が必要だとして人選を求められた市教委が、東京臨床心理士会に推薦を依頼していた。

取手市交付 徘徊高齢者見守り

日曜日, 10月 9th, 2016

キーホルダーで身元照会 取手市交付 徘徊高齢者見守り
茨城新聞 20161004

徘徊(はいかい)の可能性がある高齢者や認知症患者の身元確認などを迅速に行おうと、取手市は3日、「高齢者見守りキーホルダー・ステッカー」の交付を始めた。

対象者は「65歳以上で見守りが必要な人」か、「40歳以上で認知症の症状がある人」

取手市HP

母校をたずねる 茨城県立竜ケ崎一高3

金曜日, 10月 7th, 2016

ぐるっと首都圏・母校をたずねる
茨城県立竜ケ崎一高 3 多様性支えた包容力 田島英一さん

中国地域研究者・田島英一さん

1980年度卒
竜ケ崎一高は、いわゆる「ガリ勉」だけが集まる高校ではないという。慶応大教授で中国地域研究者の田島英一さん(54)=1980年度卒=も、さまざまな個性を持つ同級生たちと机を並べた。「でも、そんな多様性を支えてくださったのが、先生方。皆がそれなりに自分の『居場所』を見つけられる学校だった」と懐かしむ。【根本太一】

慶応で教壇に立っています。研究、教育における信念は「良き批判の前提は良き理解であり、良き理解の前提は愛情である」。上から目線でなく、現地に出向き、同じものを食べて同じ匂いをかぐ。コミュニケーションを通して自らを啓発する−−。社会科学の基本だと思うんです。

高校時代はハンドボールに熱中していました。部員が少なかったせいか1年の後半からはレギュラーです。ただ、当時ハンド部とサッカー部のグラウンドは丘と丘の谷間にあって冬は日が当たらない。積雪は春まで凍ってしまう。冬は練習そっちのけで雪かきに追われていたもんです。

疲れて帰宅すると、寝転んで本を読むのが日課でした。文庫本を20〜30冊ほど一度に買って2カ月ぐらいで読み終える。ドストエフスキー、トルストイ……。文学作品が中心です。日本の作家では芥川龍之介の文体が気に入って、芥川だけは全集を買いました。

そんな毎日だったから、受験勉強というものを全くしていない。国立大には「共通一次試験」(現センター試験)があって、7科目勉強して受験できるのは1校。なら3科目で済む私立に絞ると、早々と学校側に宣言したんです。

それからですよ、「悪魔のささやき」が始まったのは。「国立優先」の意識が強かったんでしょうね。ある先生が「茨城大に推薦を出してやる」とおっしゃる。断ると、数カ月して「筑波大ならどうだ」と。ちょっと待ってくださいと。大学ぐらい茨城を出て、外の世界を見たいじゃないですか。最後は英語の大野英二先生が「おめ、絵がうまかっぺ? 東京芸大行がねが」と。さすがに苦笑しました。

結局、私立路線を通しました。しかし、いざ受験勉強を始めると、睡眠不足が胃にたたり、時々嘔吐(おうと)するようになりました。慶応の受験会場でも、試験直前にトイレに駆け込む有り様。よく受かったと思います。そんな状態ですから、3年の後半は遅刻がちで、午後から登校、という日もありました。それでも先生方は大目に見てくださった。

そういえば、学校に750ccの大型バイクで来る同級生がいたんですよ。原付きバイクでの通学は認められていたんですが、あれは明らかに校則違反。ところが、校門前で見張っていた先生の一人に指摘された彼は「今はこういう原付きが流行なんだ」と、すまして答える。すると先生も「そうかあ」と通してしまう。きっとうそは承知で、目をつむっていらしたんでしょう。

おおらかだったんですね。クラスにはシティーボーイもいれば、おっとりした農村出身の子もいる。でも皆が、何の違和感もなく付き合える雰囲気がありました。背景には先生方の包容力があったと思います。

ゆるく入学でき、ゆるく卒業できるのが竜一でした。偏差値の「ふるい」で均質化した学校では、こんなおうようさは想像できないかもしれません。私も教育者として、先生方の包容力をお手本にしています。2012年秋の同窓会で、大野先生も元気な顔を見せてくれました。「芸大受験を勧めたこと、覚えてらっしゃいますか」とうかがったら、にこやかにうなずかれた。竜一生で良かったと思っています。

浪川商店のゴムそば 部活帰り、胃袋満たす
正門を出て石段を下りた通学路に、竜一生の胃袋を満たしてくれた「浪川商店」があった。太平洋戦争の空襲で東京から疎開してきた浪川善次郎さんが、1952年ごろに開業。

一番人気は焼きそばだ。冬になると作り置きが冷めてぼそぼそになっていたのか、誰からともなく「ゴムそば」と呼ばれるようになった。揚げたソーセージを挟んだパンは「肉ぼっか」。夜遅くにはコロッケや天ぷらなど、残り物の総菜を盛った「全部乗せうどん」もあった。コンビニのない時代。部活帰りの生徒たちであふれた。

善次郎さんが77歳で引退した後も、95年まで店を続けた嫁の幸子さん(68)は「日曜にシャッターを閉めていても、裏口から生徒が入ってきた」と懐かしむ。善次郎さんは99年に88歳で、妻さたさんも今年1月に98歳で世を去ったが、浪川商店の「伝説」は今も語り継がれている。

つづく