昆布巻きの匂いで目が覚めた
酢蓮の下ごしらえも完了
黒豆もふんわり 大きな黒豆だぁ
習慣とはいえ手際がいい
そんな母に朝食をご馳走した(笑)
おせちや従業員のお昼を作り続け「疲れたぁ マッサージしてから伊達巻つくる」
今年は、玉子焼き器持参だった
今年もお世話になりました 娘より
昆布巻きの匂いで目が覚めた
酢蓮の下ごしらえも完了
黒豆もふんわり 大きな黒豆だぁ
習慣とはいえ手際がいい
そんな母に朝食をご馳走した(笑)
おせちや従業員のお昼を作り続け「疲れたぁ マッサージしてから伊達巻つくる」
今年は、玉子焼き器持参だった
今年もお世話になりました 娘より
年末恒例、日本橋三越の第九』 なぜ?年末に第九を歌うのかしら?
ウイキペディアによれば
日本で年末に第九が頻繁に演奏されるようになった背景には、
戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なくて、
楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、
合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、
しかも当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった第九を
日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、
それを定例としたことが発端とされる。
既に大晦日に生放送をする慣習が定着していたから、
年末の定期演奏会で取り上げても何ら違和感が無かったことも一因として挙げらよう。
1960年代から、国内の年末の第九の演奏は急激に増え、現在に至っている。
さらに
日本での年末の演奏の歴史 [編集]
1940年12月31日午後10時30分、紀元二千六百年記念行事の一環として、
ヨーゼフ・ローゼンシュトックが新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮して第九のラジオ生放送を行った。
これを企画したのは当時、日本放送協会(NHK)洋楽課員だった三宅善三。
彼はその理由について「ドイツでは習慣として大晦日に第九を演奏し、
演奏終了と共に新年を迎える」としている。
実際に当時から現在まで年末に第九を演奏しているドイツのオーケストラとして、
著名なところではライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が挙げられる。
そしてそれを模倣するオーケストラがいくつかあるものの、
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による大晦日の第九演奏は、
深夜に行われるものではない。よって、そういった「慣習」があるとは言えず、
何らかの勘違いをしたのではないのかと思われる。
とも書いてあった。