朝の詩から
いちばん小さな夜に 京都府沖中さんの作品です
涙はせかいでいちばん
小さな海です
昔の詩人が言いました
ではせかいでいちばん
小さな夜はまぶたです
いちばん小さな夜に
いちばんさな海が
流れればそれは
きっと祈りです
いちばん小さな夜と
いちばん小さな海が
幾銭、幾万、集えば
それは誰かを救う
きっと祈りです
一面掲載の社説?「産経抄」・・・理解力のない^ ^*にピッタリの分かりやすい文章でした⇓
関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、3年後に征夷大将軍の称号を朝廷から授かると、すぐに江戸に帰ってしまう。いまだ政情の定まらない関西を離れたのはなぜか。歴史家はさまざまな解釈をしてきた。
元国土交通官僚の竹村公太郎さんは、利根川という自然と闘うためだ、という。天下を治めるために、見渡す限り葦(あし)が生い茂る湿地帯だった関東一帯を、日本一肥沃(ひよく)な土地に変える必要があったからだ。
相次ぐ大規模河川工事は、江戸を水害から守る目的もあった。家康一代では闘いは終わらず、もともと東京湾に注いでいた利根川の水が、本格的に太平洋に流れ出したのは、5代将軍綱吉の時代だという(『日本文明の謎を解く』清流出版)。
家康の天下統一と時期を同じくして、シャム(現在のタイ)に渡ったのが、山田長政だ。長政が頭領を務めた日本人町は、当時の王都アユタヤの郊外にあった。現在は多くの日系企業が工場を構えるこの地を中心とした洪水被害は、拡大の一途をたどり、首都バンコクに迫りつつある。
被災した日系企業は、400社以上に及ぶ。特に自動車メーカーでは、進出している8社すべての生産が止まっている状態だ。カメラやパソコン業界でも、世界的な規模で品不足が生じる可能性が出てきた。洪水の直接の原因は、平年の1・4倍という記録的な大雨だ。
ただ、これまで何度も大洪水を経験してきたにもかかわらず、総合的な治水対策が予算の問題や政争によって頓挫(とんざ)してきた経緯がある。家康ほどの構想力を持たない政治家が、戦う相手を間違え、国土の荒廃を招けば、何十年、何百年あとの世代まで損害を被ってしまう。もちろん日本も人ごとではない。