八重洲ニュータウン自治会 夏祭り
8月 4th, 2018ブロック塀、茨城県内公立258校に不具合 県有36施設でも確認
8月 4th, 2018ブロック塀、茨城県内公立258校に不具合 県有36施設でも確認
産経新聞 20180804
茨城県は3日、大阪北部地震で小学4年の女児が倒壊したブロック塀の下敷きになり、死亡した事故を受けて、県内の公立校や県所有施設のブロック塀を点検した結果、県立校69校の147カ所と市町村立校189校、県所有の36施設で不具合が確認されたと発表した。不具合のある公立校のブロック塀の総延長は約20キロに上り、県は速やかに対応するとしている。
点検は7月に行われた。6月には、各施設の職員が国土交通省のチェックポイントに基づいて検査を行ったが、今回は県の建築系技術職員や建築士の在籍する業者が建築基準法に基づき実施。外見上の不具合だけでなく、鉄筋の有無など内部点検も行った。
不具合は県立高63校と特別支援学校6校の147カ所と、市町村立の幼稚園など17園、小学校125校、中学校47校から見つかった。このうち、県立16校と市町村立3校からは塀内部の鉄筋に不具合が確認された。不具合のある塀の総延長は県立校で約12キロ、市町村立校で約8キロに上った。
市町村立校については、文部科学省への報告期限の7月27日までに検査が完了していない学校があり、不具合のある箇所は増える可能性があるという。
塀に不具合が見つかった県所有施設のうち、取手競輪場(取手市白山)、鹿島下水道事務所(神栖市北浜)、金町公舎(水戸市金町)のブロック塀はすでに撤去。
県はほかのブロック塀の撤去や再設置を年内に完了するとしている。
西日本豪雨 小学生の手記
8月 3rd, 2018社会 西日本豪雨 岡山・真備町の小6・坂東さんが手記 「水が一気にきた」
毎日小学生新聞 2018年8月3日
7月の西日本豪雨で、大きな被害にあった岡山県倉敷市真備町に住む小学6年生で、毎日小学生新聞読者の坂東律彦さんが手記を寄せてくれました。2階がひざの高さまで水没した自宅に取り残され、ボートで救出されるまでを原稿用紙8枚に克明に記録しています。(後半を一部、省略しています)
平成30年7月7日、七夕なのに、目の前には、天の川ではなく、茶色の川が流れていました。
今から5年前、ぼくが小学1年生の時にも小田川がはんらんしかけたことがありました。でもその時はなにもありませんでした。だから、今回も大丈夫だと思っていました。
前日の6日は、朝から大雨警報が出て、小学校は休校でした。そんなに大雨ではなかったので、病院で薬をもらったりしていました。午後2時ごろには、近くの用水路が、はんらんしそうになっていました。でもぼくは、宿題をしたり、テレビを見たりしてふだんどおりにすごしていました。
お風呂に入ってねましたが、何度も携帯が鳴ったり放送が流れていたので、何度も目が覚めました。11時30分ごろには、総社の工場が爆発したりしました。地しんかと思いましたが、ちがいました。お父さんは近くの川の様子を見に行っていました。でも、ひなん場所が少なかったので、家にいることにしました。
7日の朝、6時ごろに水が一気に入ってきました。それと同時に床下しゅうのうから水がふき出しました。あわてて、近くにある大切な物だけ持って、2階にあがりました。水は、階段の1段目まで一気に来ました。そして、とつぜん電気が消えました。7時ごろ、119に電話しましたが、「順番に救助しているので待っていてください」と言われただけでした。ぼくは、怖くてベッドの上で泣いていました。すると、お母さんが、優しくなぐさめてくれました。
食べ物は、ペットボトルのお茶と水ようかんがありました。お母さんが「食べたら」と言ってくれましたが、ぼくはほしくありませんでした。
救助を待っている間は、テレビからの情報もないし、けいたい電話もなかなかつながらなくて、まったくどんなじょうきょうかわかりませんでした。そこで、お母さんが市役所に「みんな情報がほしいから、防災無線で今のじょうきょうを知らせてほしい。みんな、見通しが持てないから不安なんです」と電話しましたが、情報が流されることはありませんでした。
そのままお昼になりました。ぼくが持っていた手作りのラジオがあったので、お昼のニュースを聞きました。でも、電池がなくなったら困るので、それ以上聞くのはやめました。
あまりにも、救助に来てくれないのでもう1度119に電話をかけましたが、「うく物を持って待っとくように」と怒ったように言われただけでした。そこで、家の中からビニールのそりと、エアーベッドを出して来て、お父さんが、口で空気を入れてふくらませました。
それから、いつでもひなんできるように、リュックサックに3日分の服を入れました。そして、ぼくは、水にぬれてもいいように、お母さんの水着にきがえました。
それでも、救助に来てくれないので、今度は110に電話しました。でも「がんばってください」としか言われませんでした。
すると、近所の人が、となりの家に窓からとびうつって屋根の上に上がっていました。すると、雨がふってきました。小さい子どもたちはきょうふと寒さでふるえていました。
午後3時すぎ、県警のボートが見えました。それまでにも、ヘリコプターが上空を何度も飛んでいて、何度も手をふりましたが、救助には来てくれませんでした。でも、ボートの人は「奥の人から救助するけどいいですか」と聞いてくれました。「これで助かる」と思いました。
そして、自衛隊のボートが来て救助してくれました。その時には、2階のベランダからボートにのりうつれるくらい水が来ていました。それから、となりの団地の人を救助しながら、まび記念病院に行きました。病院についたら、先生たちがでむかえてくれて、「大丈夫ですよ一緒にがんばりましょう」と言ってくれました。
(中略)
病院は、2階近くまでしん水していて、電気も水も使えませんでした。物資もとどいていませんでした。
ぼくたちの近くには、にん婦さんもひなんしていました。
まび病院の4階から見る真備町は、一面海のようでした。まだまだ、お店の屋上で救助を待っている人もたくさんいました。
男の人は、2階からマットやふとんを運びあげました。
にぎやかな町 はいきょみたい
午後ごご7時じすぎ、だんだん暗くらくなってきました。そのころ、一人ひとり1個小こちいさいおにぎりとジュースが配くばられました。とても、ありがたかったしおいしかったです。
それからマットを2枚しいて3人で一緒にねました。
次の日、朝起きると水は2メートルぐらい減っていました。それまでは見えなかった車の屋根などが、見えてきました。
8時ごろ、パンを1個と水が1ぱい配られました。その後、一人1個ずつパンやゼリーも配られました。
それからにん婦さんや重しょうの人からボートで運ばれるようになりました。ぼくたちはまだまだだろうと思って散歩に行きました。すると、同級生に会いました。「小学生はひなんできるから準備をしといたらいいよ」と言われました。ぼくは体が大きいので小学生とは思われていなかったので、いそいで病院の人に言いに行きました。すると、「すぐに準備して待っといて」と言われました。その後すぐに呼ばれて、自衛隊のボートに乗って川辺橋の近くまで行きました。隊員の人はその日初めてボートをこいだそうです。愛知県から助けに来てくれました。「国のためというような大きなことではなくて、災害などで、人のことに役立つことがうれしい」と話してくれました。すごくかっこよかったです。
(中略)
ぼくが初めて真備町に入ったのは、13日でした。ぼくは、あんなににぎやかだった町がはいきょみたいになっていたのでショックでした。
律彦さんは今、近くのおばあさんの家で元気にしています。お父さんとお母さんは家の片付けを頑張っているそうです。
子育て世代の「防災」
8月 3rd, 2018震災で身に付いた力 シンプル生活に自信
茨城新聞 2018年8月3日(金)
大きな被害をもたらす自然災害はいつでも起こり得る。今シリーズのテーマは子育て世代の「防災」。
取手市に住む森田泰世さん(44)。東日本大震災の日、市内に勤める夫と電話もメールも通じず不安な時間を過ごしたが、自転車通勤だった夫は無事帰宅した。ガス漏れが怖くて調理できず途方に暮れていると、夫が買い置きの食パンとツナ缶を出してきた。「なるほど、火を使わなくても食事ってできるんだ」。夫の臨機応変な対応に心強さを感じた。
大震災後、森田さん方では夏休みの北海道旅行が恒例になった。北海道の友人から「こっちに来て少しゆっくりしたら?」と誘われたのがきっかけだった。
それまでは気付かなかったが、震災で少なからずストレスを受けていた。北海道の大自然に癒やされ、気持ちをリセットすることができた。以来、毎年夏休みは必要最低限の家財道具を持って旅に出る。夫は仕事で行けないが、母子で自炊しながら約ひと月を過ごす。昨夏は小4の長男、次男(5)、長女(1)を連れてのフェリー旅。
一軒家を他人同士で貸し切り、当番制で料理を作って一緒に食事を取る共同生活も経験した。自宅から離れ、少ないもので暮らすシンプルな生活を親子で楽しめるようになったという。
「次に何かが起きても、少ないもので暮らせるようなサバイバル力が付いた気がするし、旅先でいろんな人と触れ合えるので、子どもの社会勉強にもなっていると思います」
シンプルな生活の中、「これだけは必要」という森田さん方の防災対策は、元々導入していたウオーターサーバーの20リットル入り1箱と、2リットルの水を6本ほど常備。さらにコーン缶や大豆缶など長期保存のできる食材を多めに買いそろえている。毎日のお弁当に活用しながら、なくなれば買い足し、備蓄品が古くならないことを常に意識している。
大震災から7年たった今、危機感は徐々に薄れているというが、災害時の家族の集合場所は今も時々確認し合っているそうだ。
先日の西日本豪雨の報道を見て、私自身もいつ襲ってくるか分からない自然災害に備えなければと思いつつ、正直、その優先順位が高くなかったことに気が付いた。いま一度防災について考えなければと思った。
(NPO子連れスタイル推進協会・牟田祥子)
八重洲ニュータウン自治会夏祭り
8月 3rd, 2018準備完了しました。
明日も暑くなりそうですね。
三越左千夫少年詩賞 取手の田代さん受賞
8月 2nd, 2018三越左千夫少年詩賞
取手の田代さん受賞 「命と心テーマに書き続けたい」
毎日新聞2018年7月31日
取手市寺田の元東京都職員、田代しゅうじさん(81)さんが、地域の児童を見守る愛情や、母親への感謝を表した詩集「ともだちいっぱい」(四季の森社)が三越左千夫少年詩賞を受賞した。「詩を書くことは頭の散歩。気持ちが若くなる。命と心をテーマに書き続けていきたい」と張り切っている。
田代さんは鹿児島県生まれ。20代から詩を書き始めた。在職中に取手に自宅を建てて定住。67歳で都の外郭団体職員を退職後、昨年まで13年間、自宅そばを登校する児童たちの見守りに当たった。
「しっかり手をにぎろう やさしい心が見えるから 目を見よう その奥に悲しい心が見えないか」
受賞作の詩集は昨年3月、80歳の誕生日に自費出版した。子供の成長を願う「ともだち」▽亡き母の思い出を、母に話しかけるように表現した「おかあさん」▽鹿児島の方言を織り交ぜた「ふるさとの風」--の3章で構成し、全66編。
田代さんはこれまで「少年と海」(けやき書房)など多くの詩集を出版している。
全国制覇目指す 取手リトルシニア
8月 2nd, 2018全国制覇目指す 取手リトルシニア 市長を表敬
茨城新聞 2018年8月1日(水)
中学硬式野球の取手リトルシニアの選手と監督らが7月25日、取手市役所を訪れ、全国大会出場を藤井信吾市長に報告した。藤代中3年の秋葉翔生主将(14)は「全国制覇を目指したい」と意気込みを語った。
取手リトルシニアは5、6月に開かれた関東大会で16強入りし、敗者復活戦で勝って全国大会(8月1〜5日・東京ほか)出場を決めた。夏の全国大会出場は5回目で最高成績は2012年の準優勝。
それ以降は3回戦止まりといい、石崎学監督(42)は「目の前の相手を倒して一つでも勝ち上がりたい」と話した。藤井市長は「力を入れて頑張って」とエールを送った。
時代とともに
8月 2nd, 2018家族葬専用の斎場 取手にオープン 「直葬」にも対応
茨城新聞 2018年7月31日(火)
総合葬祭業のたまのや(福島市、安斎紀之社長)は30日、家族葬専用葬祭会館「こころ斎苑SOU取手」を取手市井野台にオープンした。1日1葬儀貸し切り型で、亡くなってから葬儀までの時間を近親者だけで過ごすことができる。
こころ斎苑SOU取手は、最大50人対応のセレモニーホールや和洋室の遺族控室、ビュッフェ形式で食事もできる会食スペースが設けられている。安置専用室もあり、火葬のみで葬儀を行わない「直葬」にも対応する。
同社は「小さな葬儀のニーズは高まっている。自宅感覚で24時間使ってもらえれば」としている。
発酵しすぎたモッツァレラの食べ方
8月 2nd, 20183個パックのミニモッツァレラにハマっています。
( ,,`・ω・´)ンンン?
口に入れた瞬間 しびれるのはなぁぜ?
友人が教えてくれました。
暑い時期などにモッツァレラを口にすると、舌を刺すようなピリッとし酸味を感じる時があります。・・・
まさに、この表現がぴったりでした。