満80歳
??傘寿は数え年 つまり昨年だった。
しまった!!
今日は、孫が電話やらサプライズプレゼントやら
母を喜ばせてくれて、娘の出番がありませんでした。
家族に「ありがとう」
満80歳
??傘寿は数え年 つまり昨年だった。
しまった!!
今日は、孫が電話やらサプライズプレゼントやら
母を喜ばせてくれて、娘の出番がありませんでした。
家族に「ありがとう」
言うは易し行うは難しに例えると作るは易し壊すは難し・・・
これからこのような建物が増えてくるのでしょうね。
縮む赤プリ、解体工事現場を報道陣に公開
Photo By 共同 スポニチアネックスへ
ゼネコン大手の大成建設などは8日、「赤プリ」の愛称で親しまれた旧グランドプリンスホテル赤坂(東京都千代田区)の新館の解体工事現場を報道陣に公開した。作業は昨年11月から本格的に始まり、今春には建物が姿を消す。上層階を囲いで覆い、高さ約140メートル、地上39階の建物を上から徐々に解体していく。現在、高さ約110メートルまで解体した。跡地には2016年にホテルなどの複合施設とマンションの計2棟が完成する予定。
東京卸売市場の青物取扱高 茨城産、9年連続日本一 産経新聞2013年 1月11日(金)
県は10日、昨年の東京都中央卸売市場での県産青果物取扱高(金額ベース)の市場シェアが前年比0・2%増の9・4%となり、都道府県別で9年連続の日本一を達成したと発表した。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で大きく落ち込んだ前年をやや上回ったが、震災前の平成22年の水準(10・5%)までには回復しておらず、昨年も風評被害が影響したとみられる。県販売流通課によると、市場全体の取扱高5113億円のうち、県の取扱高は前年比21億円増の478億円。2位の千葉県(432億円)との差は46億円だった。
取扱高が前年より増加した品目は、レタス類(14億円増)▽白菜(8億円増)▽ホウレンソウ(4億円増)▽水菜(3億円増)。前年は政府の出荷停止指示などで葉物野菜が大きく落ち込んだが、回復の傾向がみられた。減少した品目は、ピーマン(5億円減)▽メロン類(3億円減)▽ナス(同)▽レンコン(2億円減)。春先の低温や猛暑によって出荷時期がずれ込み、単価が下がったことなどが影響した。
県販売流通課は今回の結果について、「もっと回復すると思っていたが、風評被害が色濃く残っている」と説明。「震災前の水準まで回復するように、安全性のPRを強化したい」としている。
常陽新聞20130110
取手交響吹奏楽団
第11回定期演奏会開催
日時 1月20日(日)
開場 13時30分入場無料
開演 14時
会場 取手市民会館大ホール
指揮 荒張健司 郷恵子
客演指揮 高野光章
*イーストコーストの風景
*マリアの七つの悲しみ
*ジャパニーズ・グラフィティⅤ
問 坂本08054776248
取手駅西口事業:市長ら幹部に弁済求め監査請求 土地売却で市に損害 毎日新聞2013年01月09日 取手市が進めている「ウェルネス・タウン取手の創造」事業で「低価格の土地売却で市に5900万円の損害を与えた」として、同市の元市議や市民ら7人が8日、藤井信吾市長と市都市整備部長、市中心市街地整備課長を相手取り、弁済を求める住民監査請求を市監査委員に提出した。 請求では、取手駅西口近くの平均土地価格は1平方メートル当たり約17万9000円で、下落率を考慮すると同約16万1000円となり、同市内の眼科医への土地(約459平方メートル)売却額は、情報が開示されていないが、同約14万4900円と推察され、実際の売却額約4200万円との差は約2400万円になると指摘。さらに市がこの土地近くで行った土盛り工事費約3500万円と合わせると、同市が被った損害額は約5900万円に上る−−などとしている。 同事業は健康や医療などの充実を目指し、同駅西口を再開発するプロジェクト。民間活力なども導入し市民の健康を増進しながら、駅周辺の活性化を図る目的で工事が進められている。 賀詞交歓会 茨城新聞20130109
ゆめあかり3.11「続ける祈り繋がる想い」 in 水と緑と祭りの広場
チラシ用の撮影会・・・だったのですが、
静かだった公園内に風が吹き出し
キャンドルを模ったはずが・・・お歯黒さんになってしまい
急きょ中止に(笑)
お天気には勝てません。
キャンドルが燃え尽きてしまい、小さなローソクで代用の試験点灯かいでした。
時代を駆ける:鳥越俊太郎/1 完走「自分をほめたい」 毎日新聞 2013年01月08日
テレビでもおなじみのジャーナリスト、鳥越俊太郎さん(72)が、昨年12月9日のホノルルマラソンを完走した。古希(70歳)を過ぎたランナーはいまや珍しくないが、7年半前に大腸がんが見つかってから4回の手術を受けてきた、「ステージ4」のがん患者でもある。
《歓喜のゴールだった》
ゴールした瞬間にまず思い出したのは、アトランタ五輪銅メダリストの有森裕子さんが言って有名になった「自分をほめたい」というせりふでした。私も今回だけは自分をほめたいと思いましたよ。本当によくやったと。何回もやめようかと、やめたらいいだろうな、と思いましたから。
体はぼろぼろでした。足の裏、指のマメが破けて靴底に血がたまっていたようだったし、ふくらはぎや腰のひどい痛みはずっとひかない。でもなぜか頭はハイテンション。ダメな下半身を元気な上半身で引っ張っていたという感じでしたね。42・195キロはやっぱり過酷です! 走ってみて分かりました。
《完走する自信は、もちろんあった》
それでも実は、日が近づくに連れて弱気になってきてました。7年前に大腸がんの手術をしたけれど、あの時はなんだか遠足にでも行くような気持ちでした。ところが、今回は前日、プレッシャーでどきどきで。
《マラソン挑戦は昨年の初めに決めたという》
古希を過ぎて、「残り時間はもうあまりない」と、特にがんになってから痛切にそう思うようになりました。ならば毎年、それまでやったことのないことに挑戦していかないと人生楽しくないだろうと。まずは体を鍛えるジム通い。それからダンス。人生初のパーマもかけてみましたが、これはまったく似合わなくて失敗でしたね(笑い)。その流れで12年のテーマを探していて偶然、何かの記事で「ホノルルマラソン」を見つけて、これだと決めました。
この大会、時間制限がないのがいい。フェイスブックに書いたらどっとみんながアドバイスをくれて、TBSも取材するというし、もう引くに引けなくなっちゃった。
時代を駆ける:鳥越俊太郎 2 「挑戦」で人生を楽しく 毎日新聞 2013年01月09日
《ジム通いは2年8カ月になる》
毎日新聞記者時代の皇居1周(約5キロ)。これが人生で走った最長距離でした。運動なんてほとんどやってこなかった。それが週に3回、2時間みっちり。食事を含めた指導を受けて続けてます。だんだん筋肉がついてくるのが分かる。70歳超えても鍛えれば筋肉はつくもんなんだね、これは喜びであり、驚きですよ。歩くのが楽になったし、飛行機に乗っても頭上の収納棚に手荷物を楽にひょいって感じで入れられるようになりました。
《ホノルルに向けて、長距離のトレーニングも行った》
一度、マラソンの距離感を体験したいと思って、東京・品川の事務所から自宅のある小金井市まで歩いてみました。お茶やアイスクリーム、飲んだり食べたりしながらですけど、40キロ弱。それから、1周約2キロの駒沢公園(東京・世田谷)を10周。あの2倍か、という感触は持って臨みましたが、本番はやはり後半がきつかった。ダイヤモンドヘッドのだらだらと続く上り坂とか。とにかく完走だけが目標でしたよ。
《「達成する、ということがお好きで、クリアしてすぐ次の目標をみつけようとされます。気持ちが若いですね」。東京・六本木のジム「トータル・ワークアウト」のパーソナルトレーナー、池澤智さんの言葉だ》
新しいことに挑戦していかないと、残りの人生、楽しくないだろうな、と思う。達成できたら快感が得られるし、やれなくてもチャレンジするというだけで、気持ちが奮い立たされることになる。その気持ちが大事なんですよ。
でも、僕はね、努力っていうのが嫌いなんです、昔から。こつこつまじめに、イヤなことなのにやらなきゃならないってのが大嫌いなんです。僕は好奇心が旺盛だから、好きなことだけをとことんやっていく。それが僕の人生でした。だから、いままで悲観的になったことは一度もないんです。能天気ともいえるけれど、常に楽天的。がんになったときでさえ、半分以上は「しめた!」って思ってましたから。「しめた、これでがんの本が書ける」って。
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時代を駆ける:鳥越俊太郎/3 がんを淡々と受け止め 毎日新聞 2013年01月10日
《ホノルルマラソン前日の参加者セミナーに特別出演。がん患者としての苦労を吐露する場面もあった》
がんの手術で直腸を約20センチ切除しました。直腸は便をためておくところで、ないとすぐ便が出てきてしまう。だから、前の日は1日絶食です。東日本大震災の被災地を取材したときもそうでした。被災地にはトイレなんかありませんから。こんな人はマラソンなんか出ちゃいけないんでしょう。でも、出たい。苦しいことがあっても、それを乗り越えてみたかった。
《最初のがんは05年に見つかった》
トイレで出血があって、徐々に異変は感じていました。内視鏡検査をやってもらって、自分でも見ましたよ、3センチ大の腫瘍です、ぎょっとしました。ああ、がんだったんだと。ぼうぜんとしましたが、ショックはそんなになかった。入院の日にテレビで普通に公表できましたからね。07年に肺へ、それから09年には肝臓に転移がみつかり、4回目は切開手術でした。でも性格なのかな、くよくよしたってしょうがないと思った。だって人間100人いたら、100人死ぬ。もちろん症状や進み具合はさまざまだし、いきなり末期がんがみつかる場合もあるから一概には言えないが、私はがんである事実を受け止めて、一番いいと思われる過ごし方を考えようと思いましたね。
《仕事部屋の机には文庫の「方丈記」や、東京大空襲の焼け跡を歩いて書かれた堀田善衛の「方丈記私記」が置いてある。死を淡々と受け止めようとする心の背景には、少年時代の体験がある》
故郷の福岡県吉井町(現うきは市)で小学6年生のころだったか。友達とお寺の裏の墓地で鬼ごっこかなにかで遊んでいて、隠れていた墓のフタ石がずれていた。思わずのぞき込むと、茶色い素焼きのつぼの中に、白い骨が見えた。衝撃だったね。わぁーって叫び声を上げて走り出したんだけど、「死」というものを明確に意識したんだ、そのとき。人間、じたばたしたって最後は骨だって。それから、僕の人生には「所詮」って言葉が付きまとう。だから、「方丈記」なんですよ。
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時代を駆ける:鳥越俊太郎/4 真珠湾で考える平和 毎日新聞 2013年01月11日
《大会前々日の昨年12月7日、鳥越さんはオアフ島内の真珠湾に行った。71年前のこの日、日本軍の奇襲攻撃があった。沈没したままの米戦艦の上に「アリゾナ記念館」が建てられている。湾を望むメモリアルゾーンにたたずんだ》
(展示されている)戦艦アリゾナのいかり下に「おれたちは忘れんぞ」と刻んである。すごいね。アメリカ人にヒロシマ・ナガサキの話をすると、必ずこのパールハーバーを持ち出してきます。でも、犠牲者数のケタが違うし、何よりこっちは軍施設だもの。市民を巻き込んだ無差別攻撃とは明らかに違いますよ。
《京都大学では国史学を学んだ。特に明治期に興味があるのは、日本が維新以後、日清、日露、日中、太平洋の4度の戦争を戦ったからだ》
先日、製本された自分の卒論を手に入れました。副題が「明治期に於(お)けるブルジョワ民族主義」だって! 自由民権運動が弾圧されていく過程を書いたはず、もう内容は忘れてしまいましたが。あるとき、ふと気づいた。明治元(1868)年から数えて昨年(2012年)は144年、そして僕は72歳ですから、日本の近代史のちょうど半分を生きているんです。そう思えば、短い。
その中で日本は4回もの戦争をした。戦争を避けることはできなかったのかと、常に考えています。いや、避ける道はあったはずだけれど、特に日中戦争から太平洋戦争に至る道は軍人も政治家も言論人も、全国民が火の玉になって戦争に突入していった。
《メディアも戦争に協力した。だから今、ジャーナリストとして決めていることがある》
最近、領土問題が議論され、北朝鮮が弾道ミサイル実験などしていると、勇ましい意見が必ず出てきます。アメリカと一緒にあいつらたたきつぶせ、と。だけど絶対、戦争はしてはならない。僕は最後の1人になっても、どんな状況になっても「NO」と言い続ける。それが僕が自分の胸に突きつけているあいくちです。NOと言えなくなったら死ぬ。それが戦争を知っている、歴史学を学んだ一人の人間としての、僕の気持ちです。