昔を辿る散歩道 新川
この先が我が家だった・・・
きゃ マンションになってる
夜勤明けここからさくらを眺めていたなぁ
真鍋宿通り
この橋からの眺めが好き
桜にはナンバーがふられていた
かなりの老木の間に1本の若桜
真壁の桜の子孫樹・・・楽しが増えた1本桜
阿見町東京医大周辺の桜
茨大農学部前から東京医大西へと続く桜のトンネルはあまりにも有名です
桜に見とれてスピードダウン渋滞も珍しくない
ちょっと遠回りしても桜のトンネル潜ってドライブしたい気持ちわかるなぁ
写真は、阿見交番前から県立医療大学ロードです
老木で頑張っている桜も素敵だけど旬な桜からも心の栄養をいただけます
阿見町大室霞ヶ浦湖畔沿いにある『フラワーコリードール』
お天気が良ければ筑波山もばっちり見えますよ
7ha これが個人所有とのこと
2003年から始まった事業です
阿見町→稲敷市へ
浮島和田公園の30種20万本のチューリップも見頃です
霞ヶ浦湖畔
看護学生の頃、体育の授業はここでした(笑)
数十年ぶりに訪れたハーバー
目移りするぐらい変わっていました
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ランナーの数とトイレの数にも圧倒されたマラソンフォトギャラリーです
どうも、かすみがうら市名物「四万騎鍋」が気になって(笑) でっかい鍋!
「何が入っているのですか?」「味噌仕立てのトン汁ですよ」とか・・
1食100円で3000食はあっという間に完売
ここも行列でした
フル優勝は、公務員ランナーの川内優輝さん、
ミス日本の新井貴子さんの結果は・・朝刊で!
「去年は開催できなくて残念でしたね」
「どこから?」
「島根です」
「また、来年も参加してくださいね」
開催までは頑張って咲くぞ!のソメイちゃん
ランナーの皆様 支援してくださった皆様 お疲れ様でした
友達たくさん 群馬県板倉町・匿名希望(主婦・49歳)
毎日新聞 2012年04月13日
卒業おめでとう。この6年間よく頑張りましたね。君が小学校に入学する時、障がいを理由に、バスで30分かかる特別な学校を薦められました。
でも、障がいがあるからこそ、父と母は地域の学校で皆と一緒に普通に生活させてあげたかった。社会はひとつだから。
たくさんの人とかかわることで、社会性や生きるすべを身につけてほしかったし、他の人にも君のことを、少しでも早いうちから理解してもらいたいと思ったから。
だから、卒業式での君の堂々とした態度を見て、私たちの考えは間違っていなかったと思いましたよ。
勉強は難しかったけれど、たくさんの友情を育むことができましたね。
友達が、君のできないところを分かってくれて、優しく時には厳しく接してくれる場面に出合うと、母はうれしくて、いつも涙ぐんでいました。
学校が好きで、一度も「休む」と言ったことがない君。毎日のように友達の名前を呼びながら、絵を描いていた君。
本当に楽しい学校生活だったんだね。そんなふうに君にかかわってくれた、すべての人に心から感謝します。
今月から中学生。環境が変わり戸惑っているかもしれないけれど、君のスマイルで、また友達をたくさん作っていこうね。
これからも、君の周りに優しい気持ちが集まってきてくれますように。温かい友情が、ずっと続きますようにと、母は願うばかりです。
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母の気持ちは 東京都世田谷区・宮本寿子(主婦・75歳)
毎日新聞 2012年04月14日
今月末、私は76歳の誕生日を迎えます。特に今年は、母が亡くなった年齢でもあり、いつもの年より感慨深いものがあります。
若々しく活動的な母でしたが、末期のがんが見つかって、わずか3カ月でこの世を去ってしまいました。
それから23年、いまだに心に引っかかっていることがあります。
母は「もしがんだったら、死ぬ前にやっておきたいことがあるので、必ず教えてね」と折に触れて言っていました。
しかし、母が望んでいたがんの告知は、6人の子どもたちの意見が合わず、実現しませんでした。
日ごとに悪化する病状の中で、死期が近づいたことを知った母。病院のベッドで、やり場のない悔しさに耐えながら、沈黙のまま息を引き取りました。
死後、生前母がやりたかったことを考えてみました。母の性格からして、その一つは、お世話になった人や、親しかった人へのお別れのあいさつだったのではないか。そう考え、特に親しかった方たちを後日家に招いて、しのぶ会を開きました。
76歳といえば、まだ気力体力とも充実し、やりたいこと、やらなければならないことがいろいろあります。
果たして母は、最後に何がしたかったのでしょう。大勢の子や孫に囲まれながら、誰一人として母の体の異常に気づかなかったふがいなさ。
がんの早期発見の難しさを、改めて感じています。
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ある日のこと
「地震で大皿が全て割れてね・・・・」「よかったら使って・・・亡くなった母がしまっておいたものだけど・・・」
有難う
さっそく、その日から使わせていただきました
薄型の食器棚には入らないような大きなお皿でした