判明日 年代 性別 職業 発症日 現在の症状
12月30日 新規 50代 男性 会社員 12月26日 軽症
12月30日 濃厚 50代 女性 パート 12月28日 軽症
茨城新聞
判明日 年代 性別 職業 発症日 現在の症状
12月30日 新規 50代 男性 会社員 12月26日 軽症
12月30日 濃厚 50代 女性 パート 12月28日 軽症
茨城新聞
朝日新聞 20201226
「被爆ピアノ」を通して平和の尊さを訴える映画が1月8日から、茨城県守谷市の映画館で上映される。取手市内で撮影された場面も収められ、映画サイトでも「若い世代に見てほしい」などの声が寄せられている。
タイトルは「おかあさんの被爆ピアノ」。映画監督の五藤利弘さん(52)=東京都=が、「被爆ピアノ」の演奏会を全国で開いている調律師・矢川光則さん(68)=広島市=をモデルに、メガホンをとった。調律師役を俳優の佐野史郎さん(65)、ヒロインの大学生役をAKB48の武藤十夢(とむ)さん(26)が演じた。
この夏から、土浦市を含めて全国約30カ所で上映。映画サイトでは「平和のありかたを考えさせられた」「戦争の悲惨さを忘れてはいけない」といった感想とともに高評価を得ている。
ロケ地の一つが取手市。国指定重要文化財・竜禅寺三仏堂で女子大生が調律師と出会うコンサートのシーンなどが撮影され、守谷市のイオンシネマ守谷での上映が決まった。
問い合わせは同館(0297・47・0101)へ。
野生イノシシから豚熱 守谷で茨城県内2例目 利根川河川敷に死骸
茨城新聞 20121212
茨城県は11日、守谷市高野の利根川河川敷で死んでいた野生イノシシ1頭が、豚熱(CSF)に感染していたと発表した。県内での感染確認は6月に取手市で発見された雄の子どもに続き2例目。県によると、県内の養豚場約380カ所の飼育豚に異常は見つかっていない。
県畜産課によると、感染したのは成獣の雌。近くの住民が10日に発見し、守谷市に届け出た。11日、県の家畜保健衛生所で遺伝子検査をした結果、陽性が判明した。
県は飼育豚の豚熱感染予防に向け、2月からワクチン接種を開始し、5月に全頭接種を終えた。現在も新たに生まれた子豚などに接種を継続している。今回の感染確認を受け、県はあらためて県内養豚農家に防護柵設置や消毒の徹底を指導する。
野生イノシシについて県は捕獲や死骸を発見した際に検査し、感染確認をしている。1月から計4回実施した経口ワクチン散布は、来年2月にも栃木県境や利根川沿いなどの12市町で実施する予定。
シクラメン 赤・ピンク・白の競演 茨城・取手
20201212 産経新聞
赤や白、ピンクの競演-。クリスマスが近づく中、師走や正月を華やかに彩るシクラメンが、茨城県取手市の「美登(みと)花園」で美しい花を咲かせ、鉢植えを買い求める県内外からの客でにぎわっている。
美登花園では約20種、約2800鉢のシクラメンを栽培している。今年は10月の長雨の影響で生育が1、2週間程度遅れたものの、11月になって晴れの日が多く、色づきは例年と変わらないという。
経営する長塚美登(よしのり)さん(61)によると、新型コロナウイルスの感染拡大で同花園を訪れる人はやや減ったが、その分、知人への贈りものとして買い求める人が多いという。
千葉県柏市の主婦(50)は「自宅に飾るのと、両親や親類にお歳暮で贈るため毎年買っている」と話す。
今年はコロナ禍で、美登花園がある取手市をはじめ県南の自治体では感染者が増えるなど暗い話題が続く。長塚さんは「コロナで自宅にいる時間が長いからこそ、赤やピンクのシクラメンを部屋に飾って、家庭に明るさを取り戻してほしい」と話している。
取手市の男性(55)は「赤い色には魔よけ効果があるというので、今年はたくさん家に置いてコロナを退散させたい」と強調していた。
価格は2200~4200円。年内無休。問い合わせは、美登花園(0297・77・0236)。
【常磐路ノート】教え子の胸に生き続ける名将 木内幸男さん
産経新聞 20201210
11月24日に89歳で死去した高校球界の名将・木内幸男さん。2日に茨城県取手市内で営まれた通夜には教え子が大勢駆け付けた。プロ野球・日本ハムの野手総合コーチ、金子誠さん(45)もその一人だった。
常総学院が平成5年夏の甲子園で4強入りしたときの主将。日本ハムでは堅守の内野手として活躍した金子さんの木内さんに関する記憶は今も鮮明だ。本来は右打者だが、「監督に『左で打て』といわれたことがある」と回想する。
懸命に左で素振りし、翌日の練習で左打席に立った金子さんを指揮官は「ふざけてるのか!」としかりつけた。「『左で打て』は、『右で打ってそんなものか』というもののたとえだった、と。こっちは真剣だったのに」と金子さんは苦笑する。
厳しい言葉を浴びせ続ける木内さんへ「何だこのクソじじい!」と反発心も抱いたが、3年夏の甲子園出場時、鬼監督は「すっかり優しいおじいちゃんに変わった」という。「目標は優勝ではなく、『国体に行けるところ(ベスト8)までがんばろう』だった。2年間鍛えて、最後は好きなようにやらせてくれた」
卒業後の進路で、木内さんには「お前は大学野球には向かない」と指摘を受けた。「僕は(守備の)捕り方、投げ方が独特だったので基本にうるさい大学には向かないと。おかげでプロで磨くべき個性は磨けたかな」と将来の道筋をつけてくれた恩師に感謝する。
金子さんは亡くなる2日前、木内さんの夢を見たという。「虫の知らせですかね。監督のノックを僕が受けていた。元気な姿を僕の中にとどめておきたい」。それぞれの思い出の中に名将は生き続ける。