Archive for the ‘震災201103111446’ Category

東日本ガス 秋のガス展「さんま祭り」

日曜日, 11月 2nd, 2014

茨城新聞 吐玉泉 20141102

東日本ガス(取手市)の「秋のガス展」がきのう、利根川河川敷の取手緑地運動公園で開かれ、

旬のサンマが2500匹用意され、訪れた人たちは秋の味覚を楽しんだ。きょうまで。

今年の目玉「さんま祭り」は、気仙沼産のサンマをガスこんろで焼き、

チャリティーとして1匹50円で提供した。

売り上げは気仙沼市へ義援金として送る予定。

同社の担当者は「今のこんろは(魚を)ひっくり返さずに手軽に調理ができる」とPRしていた。

このほか、かき揚げなどを調理する体験コーナーほか、

床暖房やファンヒーターといった機器の展示、同社オリジナルカレーの販売などが行われた。

取手市の住宅地除染作業が完了

土曜日, 11月 1st, 2014

東日本大震災 福島第1原発事故 取手市の住宅地除染作業が完了

毎日新聞 20141101

東京電力福島第1原発事故に伴う放射能汚染で、取手市は30日、

住宅地の除染作業が完了したと発表した。

除染対象となった2514軒のうち、除染に同意した1738軒(69%)で実施。

1時間当たりの空間線量は平均33%低減でき、

基準値(同0・23マイクロシーベルト)を下回る

同0・18マイクロシーベルトになったとしている。

ただし、除染後も基準値を上回る地点が140カ所あるという。

住宅地除染事業終了 取手市

金曜日, 10月 31st, 2014

茨城新聞 2014103120141031_iii

未投函はがきを提供して下さい

火曜日, 10月 7th, 2014

未投函はがき 提供呼び掛け 県東部青年毎日会 毎日新聞 20141007

新聞販売店主らでつくる県東部青年毎日会(桑原克利会長)は、

東日本大震災で保護者を亡くした遺児の就学・進学を支援するために

毎日新聞社と毎日新聞東京社会事業団が創設した

「毎日希望奨学金」に参加している。

同会は募金活動の一環として、

書き損じなど未投函(とうかん)はがきの提供を呼び掛けている。

はがきを提供される方は、

同会事務局(〒310−0041水戸市上水戸2の4の26、毎日新聞水戸西部販売店)に

郵送か直接お持ち込みください。

問い合わせは同会事務局(029・224・6605)。

原発事故後放射性雲拡散状況 取手市 

土曜日, 9月 6th, 2014

福島原発事故 1週間後にも放射性雲 東北、関東へ拡散

毎日新聞 20140905夕刊

原発事故後2回の放射性プルーム拡散

東京電力福島第1原発事故後、上空に巻き上げられた放射性物質の雲状の塊

「放射性プルーム(放射性雲)」が、これまで知られていた

2011年3月15〜16日に加え、約1週間後の20〜21日にも、

東北・関東地方に拡散していく状況が、原子力規制庁と環境省による

大気汚染監視装置のデータ分析から裏付けられた。

1回目の放射性雲の影響で高くなった空間線量に隠れて、

2回目の放射性雲が見逃されていた地域もあった。

専門家は「データは住民の初期被ばく量を正確に見積もるのに役立つ」とみている。

放射性雲の拡散はこれまで、「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)を使った

コンピューター計算に各地の空間線量や航空機による観測データを突き合わせて推定してきた。

今回、環境省が各都道府県に設置している自動車の排ガスなどを常時監視する装置に着目。

東京大大気海洋研究所や首都大学東京などに依頼し、

大気中に浮遊するちりを1時間ごとに捕まえたろ紙を9都県約90カ所の測定局から回収して、

3月12〜23日分の放射性物質濃度を調べた。

その結果、福島市の一つの測定局では15日夜、

放射性セシウム137と134の濃度が1立方メートルあたり最大計45.5ベクレルを計測した。

16〜19日も、原発から放射性雲が出続けていた考えられるが、

西風で太平洋側に運ばれたため、大気中濃度は上がらなかったらしい。

その後、風向きが変わり、20日午後3時に同計104.1ベクレルに高まり、

その状況は21日朝まで続いた。

雨が降った15日は放射性物質が地表や家屋に沈着し、

空間線量が1時間あたり20マイクロシーベルト程度まで急上昇したため、

放射性雲が飛来したことが広く知られているが、雨が降らなかった20〜21日は、

既に高くなっていた空間線量計の値が目立って上昇しなかったため、

放射性雲が見過ごされてきたと考えられる。

関東地方では、15日と21日の2回、帯状に高濃度の放射性雲の拡散が確かめられた。

特に21日朝は茨城県南部や千葉県北東部で放射性セシウム濃度が急上昇。

その後、東京湾北東沿岸部へと南西に移動した。

その間、雨で沈着し、各地で「ホットスポット」と呼ばれる

局地的に線量の高い場所を作ったとみられる。

20140905-m夕刊

取手・南相馬・双葉浜通りの集いの方々と交流

日曜日, 6月 15th, 2014

散歩道 太鼓演奏で避難者激励 毎日新聞 20140615

東京電力福島第1原発事故のため、取手市に避難している福島県民を励まそうと、

交流団体「取手・南相馬・双葉浜通りの集い」の6月例会が14日、同市岡の老人福祉センターさくら荘で開かれ

市婦人防火クラブ太鼓部7人が勇壮な「竜神太鼓」などを披露した。

同部の松永宏子さん(66)は「少しでも元気になってほしい」と話した。

27回目となる同例会には16人が参加。

市によると、市内には現在、福島から32世帯86人が避難している。

『ラ・コアラ』のコンサート in 『バラくら』2014

金曜日, 5月 23rd, 2014

チャリティOpen Garden『バラくら』2014が

2014.5.12から5.23まで、取手市駒場『バラくら』で開催されました。

満開のバラの香りに包まれて、ハーモニカ愛好会『ラ・コアラ』のコンサートが始まりました。

 

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東日本大震災復興支援キャンドルナイト 取手弘経寺

日曜日, 5月 11th, 2014

茨城新聞 20140513

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毎日新聞 20140511

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東日本大震災 復興を支援へ キャンドルナイト開催 あす取手 毎日新聞 20140509

東日本大震災の犠牲者に祈りをささげ、復興を支援する「キャンドルナイト2014」が

10日、取手市白山2の弘経(ぐぎょう)寺境内などで開かれる。

募金全額と軽食販売などの売り上げの一部を市社会福祉協議会に寄付する。

同寺住職の金田冬彦さん(51)は

「犠牲者の鎮魂と、まだまだ厳しい現状に置かれている方への支援を続けたい」と参加を呼び掛けている。

市民有志の「キャンドルナイト事務局」が主催。今年で4回目。

午後1時から石材会社「小比賀石材」(笠間市)の石窯ピザなどを販売するほか、

絵本の読み聞かせや演奏などを行う。

同6時からは、約500本の竹筒に入れたろうそくをともし、

僧侶が読経する。問い合わせは弘経寺(0297・73・2686)。

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 キャンドルナイト 東日本大震災復興支援

~月おくれの花まつりを同時開催~

私たちと同じこの国で、今なお困難に立ち向かっている方々へ・・・

最善の祈りとほんのわずかな支援を、やさしい灯りにのせて贈ります。

2014年5月10日(土)午後1時~午後7時半終了予定

弘経寺境内及び白山幼稚園(取手市白山)

*駐車場に限りがございますのでお誘い合わせの上ご来場ください*

【タイムスケジュール・イベント・ショップ】

13時 ショップオープン

スィーツデコ・アロマクラフト(体験あり)・ボディーケア・ネイル・木工品・手作り品・鳥手羽かくれんぼ・石窯ピザ・移動型カフェなど

ストラックアウト・読み聞かせなどのイベントあり

14:30~15:00 ダンサーYuikoによるダンスワークショップ

18:00 キャンドル点火、祈りの読経

18:30 アコーディオンとサックスの演奏

19:30 閉会

問 キャンドルナイト事務局 金田 取手市白山2-9-28 ℡0297-73-2686

5月11日取手市桜が丘自治会館にて甲状腺エコー検査

金曜日, 3月 28th, 2014

常陽新聞 20140328

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震災3年 風化させない いつまで続くの

木曜日, 3月 27th, 2014

風化させない 震災3年

当事者編 5 福島県双葉町から取手市に避難、田村和子さん 毎日新聞 20140327

◇この状態いつまで続くの  田村和子さん

自宅の福島県双葉町は東京電力福島第1原発に近く、構内放送や作業員のラジオ体操も聞こえました。震災当日、孫の萌ちゃん(9)の幼稚園バスが家の前に着いた時、大地震に見舞われ、腰が抜けました。その夜は、夫、長女夫婦、孫3人で双葉中学校体育館で過ごしました。

その後、「放射能が漏れているから家に戻れない」と言われ、避難先を転々としました。震災前、東電は「原発は安全。事故は起きない」と言っていました。それがこんなことになるなんて。東電にはおごりがあったのではないでしょうか。

「放射能はどこまで飛ぶのか」「この先どうなるのか」と恐怖で泣くしかありませんでした。震災直後の3月下旬には妹のいる取手市に避難しましたが、長女の夫は福島県南相馬市に単身赴任しています。

取手では避難者交流団体の「取手・南相馬・双葉・浜通りの集い」に参加しています。震災鎮魂イベントで、たまたま孫の萌が書いたキャンドル入りの紙袋を見つけました。「みんなで力を合わせて、みんなの声を東北にとどけたい」と書かれていました。当時はすごくおびえていたのに、子どもなりにいろいろ考えていたのだと思いました。

3年がたっても原発事故は収束していません。それなのに、なぜ原発再稼働の議論が出てくるのかが分かりません。双葉町では地区の町民大会に参加したり、湯治に行ったりしました。まとまりのあった町がバラバラになってしまった。古里に戻りたくても戻れません。この状態はいつまで続くのでしょうか。