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物まねで被災者に笑顔

金曜日, 4月 22nd, 2011

RYUさんからのメッセージトリデダマシイ

このチラシは、一部朝刊に折り込まれます

毎日新聞20110422

◇いわきの避難所慰問 「ありがとう」相次ぐ ~毎日新聞2011.04.22~

 県内を中心に活動する物まね芸人、

RYUさん(36)、ゆうぞうさん(31)、バンドー太郎さん(40)の3人が、

東日本大震災で大きな被害を受けた福島県いわき市の老人福祉施設や避難所を訪れ、

被災者を元気づけようと慰問ステージを開いた。

震災以降、娯楽に触れる機会が少なかった被災者には笑顔が戻り、

「楽しいステージをありがとう」と感謝の言葉が相次いで寄せられているという。

 3人はテレビのお笑い番組などで活躍中。

RYUさんは本名を山野井隆といい、本職は取手市議。

「歌う市議」とのキャッチフレーズで、歌手・徳永英明さんの物まねを

市のイベントなどでも披露する。

ゆうぞうさんは、加山雄三さんの物まねが得意な若手芸人で、

土浦市の居酒屋でRYUさんとともに働いていたことから

「土浦ーズ(つちうらーず)」という物まねグループを結成していたこともある。

バンドー太郎さんは松山千春さんの物まねが得意。

松山さんと親交の深い鈴木宗男前衆院議員の講演会にも出演したことがある実力派だ。

 3人は今月13日にいわき市に入り、

はじめに津波で壊滅的な被害を受けた豊間地区の老人福祉施設・望洋荘を訪問。

同施設近くにある「塩屋埼灯台」を題材にした故美空ひばりさんの

「みだれ髪」や、福島出身の俳優・西田敏行さんの物まねなど

同県にゆかりのある物まね芸を次々と披露した。

同施設の職員は「今回のステージを見て入居者に戻った笑顔を見て、

私も頑張ろうという気持ちになった」と喜んだ。

 この後、一行は、町の大半が福島第1原発から半径20キロ圏内にある

同県楢葉町からの避難者が滞在する同市立中央台南小を訪問。

1時間半にわたるステージの最後に、

会場全体でSMAPの「世界に一つだけの花」を熱唱した。

関係者によると、被災者の大和田玲子さん(56)は

「震災以降、歌を歌おうとすると涙が出てしまい歌えなかったが、

きょうは気持ちよく心から歌えた」とうれしそうに話していたという。

 終了後、RYUさんは「お笑い芸人に何ができるかを考え、

とにかく皆さんが元気になってくれればと思いステージに立った。

いつも以上に気持ちが入りました」と話していた。

 

 

余録 鋏状較差(きょうじょうかくさ)」 ~毎日新聞2011.04.22~

阪神大震災で被災者のケアにあたった精神科医は…
 
阪神大震災で被災者のケアにあたった精神科医は、

地震の40~50日後に人々の間のある変化に気づく。

ふだんより元気になった人と、ひきこもってしまう人の違いが目につく。

その差がまるで開いたはさみの刃のように広がっていくのだ

柔軟に新発想を出す人と考えられないほど頑固になる人、

酒を飲まなくなった人とアルコールにのめり込む人、

仲がよくなった夫婦とヒビの入った夫婦--

最初のわずかな差が日を追ってどんどん開いていく。

医師はそれを経済用語を借りて「鋏状較差(きょうじょうかくさ)」と呼んだ

貧富の差もはさみ状の広がりを見せる。

経済力や社会的人脈、地縁をもつ人々と孤立した人々の境遇の違いが拡大した。

人々の生死を分けた震災は、その後も人々の幸不幸を切り分けた

(中井久夫編著「昨日のごとく」)

当時よりも長引く避難所生活のストレスだ。

そして大津波から40日以上を経た今も行方の知れぬ子や親、

兄弟を捜し続ける人々がいる。

悲しみが癒えるどころか、積もり重なるこの震災である。

復興に向かう周囲のムードと、取り残されるような孤立感に

苦しむ人々の落差の広がりも未曽有の様相を見せている

長い「被災」を生きる人を孤立させないさまざまな取り組みが必要な今後の復興だ。

国が仮設住宅に配置する高齢者や障害者の介護の拠点もその一つだろう。

自治体の判断で生活相談やボランティアの拠点にも使える

こうしたスペースをより有効に活用できればいい

震災との闘いで一つになった人々の心も、復興へそれぞれの挑戦を始めていく今だ。

「較差」のはさみが人同士のいたわり合いまで断ち切るのは防ぎたい。

余震続いています

木曜日, 4月 21st, 2011

福島県浪江町南津島字下冷田にあるダッシュ村の今が新聞に紹介された

浪江町はここのところよく聞く地名です

地名と言えば見ごろを迎えた『滝桜』

滝のような形をしているところから名づけられたのではなく

福島県田村郡三春町大字滝に植えられていることからつけられた名前なんですって

1000年の間に多くの自然災害にあったのでしょうね

 

また地震!日本気象協会tenki.jp

通行人に怪我がありませんように・・・

木曜日, 4月 21st, 2011

余震による外壁落花防止の為に

急遽メッシュシートを施すことになりました

メッシュシートをネットで検索した 「えっレンタル料金が高い!」

今後 地震とどんな付き合いをしていくことになるのかしら

メッシュシート

高所で人から人へ手渡していきます

メッシュシート

メッシュシート

メッシュシート

余震が落ちつくまでご迷惑をおかけします

 

自分達でできることは直していきます 

店舗入口ドアレールに繋がるコンクリーが割れてしまいました

修繕

ご近所 液状化の爪痕も工事が始まりました

液状化

自然災害が続いています

火曜日, 4月 19th, 2011

地震 津波 土砂崩れ 地盤沈下 液状化 雹 竜巻が起こりそうな気配の空

自然の中で生かされているチッポケさを感じる

南の空

「小粒だけど雹が降ってきた」

「地震だぁ」

防災科学地震研究所 でチェック

このごろは震度4では誰も起きてこないわぁ

2011.04.19

桜前線は何処へ・・・

あらら 福島情報が・・・ない! yahooさくら

茨城県 食の話題

月曜日, 4月 18th, 2011

阿見町産のたけのこPR『たけのこほっぺ』が4月16日から始まった

タケノコ掘っぺとおいしいものほっぺをかけたそうだ

生産農家から届けられたタケノコを19店舗でオリジナル料理を展開 

期間限定 54月8日まで

のぼり旗目指してでかけてみては?

阿見町は竹林を観光に活用したいと取り組んでいる

 

~茨城新聞 20110416~

復興グルメは横手やきそば 23、24日・那珂、八重桜イベント
 
友好市「雪害支援のお礼」

「復興を願う気持ちは一緒。少しでも明るい話題提供になれば」-

こんな思いを込め、B級ご当地グルメの王者「横手やきそば」が那珂市にやってくる。

同市春恒例の「八重桜まつり」が震災で中止されたが、

「こんな時こそ元気づけなければ」と、

那珂市商工会がそれに代わるイベントを開催、そこに店を出す。

八重桜まつりに代わる「東日本大震災復興支援八重桜チャリティーイベント」は

23、24の両日、那珂市静の静峰ふるさと公園で開催される。

秋田県横手市の横手やきそばは、B級ご当地グルメの祭典

「第4回B-1グランプリ」(2009年)で1位に選ばれた。

太いゆで麺を使い、具はキャベツとひき肉、麺の上に半熟の目玉焼きを載せるのが特徴。

那珂市と横手市は友好都市の関係。

商工会が横手やきそば暖簾(のれん)会に依頼すると、

同会事務局の横手市観光物産課は「今年横手は大雪に見舞われたが、

那珂市から融雪剤が届くなど助けていただいた」と快諾、

今度は自分たちの番だと引き受けた。

イベントではこのほか、大鍋「千人鍋」を使い、

運が付くという郷土料理「七運汁」が振る舞われる。

この鍋は、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震で支援の炊き出しにも活躍した。

ここに募金箱を置き、義援金を募ることにしている。

商工会は「遠方なのに励ましてもらい本当に勇気づけられる。

全国一のやきそばを食べて被災した方も元気になって」と話している。

詳細は同商工会TEL029(298)0234。

私は日本という女性と結婚 ドナルド・キーンさん

日曜日, 4月 17th, 2011

天地駅横転の電車撤去開始

 

大津波を受けJR常磐線新地駅(福島県新地町)で

脱線、転覆した列車の撤去作業が始まり、業者が重機を使って車体を解体した。

スクラップにして運び出す予定という=16日午後、福島県新地町

 

震災後知らなかったニュースがまだまだ耳に入る

⇓福島県天地駅 海岸から600m

仙台発原ノ町行き普通 乗客40名

乗り合わせた県警相馬署員の2人の誘導で避難後駅舎とも津波にのみ込まれた

http://www.youtube.com/watch?v=5JAmCGVmiLE&feature=related

 

ドナルド・キーンさん永住へ ~産経新聞20110417~

「私は日本という女性と結婚」 ドナルド・キーン氏、永住へ帰化手続き

2009年7月、東京都北区の自宅でインタビューに応じるキーン氏

 日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が

日本に永住する意思を固め、日本に帰化する手続きを始めたことが15日分かった。

関係者が明らかにした。関係者は

「東日本大震災で大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住への思いが固くなったようだ」

と話している。

 キーンさんは1922年、ニューヨーク生まれ。

学生時代に「源氏物語」の英訳を読み、日本文化に興味を抱いた。

日米開戦後は海軍情報士官として、玉砕した日本兵の遺書を翻訳したり捕虜を尋問。

復員後、英ケンブリッジ大、米コロンビア大、京都大で日本文学を学んだ。

「日本文学の歴史」「百代の過客」「明治天皇」などの著作で知られる。

 三島由紀夫とは京大留学中の54(昭和29)年に知り合って以来の友人で、

三島作品の翻訳も行った。2008(平成20)年に文化勲章を受章した。

 松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をし、英訳も出版。

東北大(仙台市)で半年間、講義したこともある。

それだけに、被災地の状況を心配している。

平泉の中尊寺は難を逃れたが、

何度も訪れた松島や多賀城など芭蕉ゆかりの地は大きな打撃を受けた…。

 キーンさんはこれまで1年の半分ほどを東京都北区の自宅で過ごしてきたが、

26日にコロンビア大で最終講義を迎えることもあり、

日本に永住することを決めた。周囲に「日本が大好きだから」などと説明しているという。
「危機だからこそ」
 法務省は15日、震災直後の3月12日から4月8日までの4週間に

日本から出国した外国人は延べ53万1000人で、このうち発生後1週間では

24万4000人だったと発表した。

震災発生前の1週間は14万人だった。

 震災と福島第1原発事故を受けて、各国が一時的な出国検討を勧告したり、

被災地からの帰国支援を実施したことが影響した。

 NHKのインタビューに応じたキーンさんは

「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、

野球の外国人選手が辞めたりしているが、そういうときに、

私の日本に対する信念を見せるのは意味がある」と語った。

 「私は自分の感謝のしるしとして、日本の国籍をいただきたいと思う」とし、

夏までに日本国籍を取得する考えだ。

 独身を通してきたキーンさんは「私は『日本』という女性と結婚した。

日本人は大変優秀な国民だ。

現在は一瞬打撃を受けたが、未来は以前よりも立派になると私は信じる」と、

新たな祖国になる日本の復活を信じている。

 

「トマダチ作戦」ARIGATOの画像 

http://mainichi.jp/select/today/news/20110417k0000m030030000c.html

ふんばろう東日本支援プロジェクト

日曜日, 4月 17th, 2011

~毎日新聞20100417~

東日本大震災:行政介さず直接支援 宮城・南三陸で「ふんばろうプロジェクト」
 
◇ネットで呼び掛け、需要にあった物資送る
 
東日本大震災の被災地で足りない物を、行政を介さずに直接被災地に送る

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が広がりを見せている。

ネットを通じて物資の支援を呼びかけ、現地の受け入れ担当者へ送ってもらう。

同プロジェクト代表で早稲田大大学院講師の西條剛央さん(36)は

「現地の前方支援と全国の後方支援を連携させ、

必要なところに必要な分だけ無料で届ける画期的なシステム」と話す。

 西條さんは4月上旬、知人とともに津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町を訪ねた。

大人には酒や女性用の化粧水など生活の質を高めるもの、

子どもにはおもちゃや雑貨などが喜ばれた。

一方、物資が大きな避難所で余っているのに、

小さな避難所まで行き渡っていない現実を目の当たりにしたという。

 その時、南三陸町で被災した鮮魚店経営、三浦保志さん(56)と出会い、

現地の窓口になってもらってプロジェクトが始まった。

支援は

(1)町内の避難所を回る三浦さんから

「今、何がどれくらい必要か」というニーズを聞く

(2)西條さんがブログやツイッターを通じてその物資の支援を呼びかけ、

応じた人から直接宅配便で三浦さんのもとに送ってもらう

(3)三浦さんやボランティアらが、トラックで町内を回り、配る--という流れ。

 現在、お菓子やサンダル、生理用品など不足がちだったものが多種多様に届く。

三浦さんは、「感謝の一言。町民が自立した生活ができる基盤としていきたい」と語った。

 同町だけでなく、石巻市や岩手県陸前高田市など、

津波の被害が大きかった地域へ支援の輪は広がっている。

西條さんは「何か役に立ちたいがどうしたらいいかわからない、と思っている人も多い。

そういう人にはこのシステムを活用してほしいし、

今後は行政や企業への働きかけもしていきたい」と話した。

ふんばろう東日本支援プロジェクト

南守谷防災調整池広場の鯉のぼり

金曜日, 4月 15th, 2011

~毎日新聞散歩道20110414~ 

東日本大震災 被災者支援のこいのぼり--守谷 
 
「がんばれ、いばらき」などと書かれたこいのぼり3匹が、

守谷市けやき台の南守谷防災調整池広場に掲げられた。

同市の市民グループ「高野まちづくりの会」(村田晶会長)が、

東日本大震災の被災者に元気を出してもらおうと掲揚した。

 長さ約4メートルのこいのぼり3匹には「夢、希望、未来」などと、

被災者を励ます言葉が書いてあり、地元の小学生らが手作りした

20匹の可愛いこいのぼりと一緒に力強く泳いでいる。

南守谷防災調整池広場

南守谷防災調整池広場

満開を過ぎて・・・さくら

水曜日, 4月 13th, 2011

公園のさくら

ゲートボールを楽しんでいる人々に桜吹雪が舞っていた

「ヴーヴーヴー」

緊急地震速報

お母さんたちが子どもを呼び寄せる

「家にいても不安なので昼間は公園にいることが多いんですよ」

昨日も会議中に

「ヴーヴーヴー」

一斉に鳴りだすと怖さが増強します

 

震災から1か月が過ぎ 鎮魂・・・ライトアップ・・・

毎日新聞20110412

サンケイEX20110412

 

~毎日新聞女の気持ち20110413~

希望の朝 

 東日本大震災から1カ月が過ぎました。私の住むいわき市でも沿岸部は大きな被害を受け、亡くなった方が大勢います。

 自宅の被害は軽くすみましたが、いまだ続く余震と放射能の影響を心配しながら暮らしています。福島第1原発の地元では町全体が移転を余儀なくされ、福島県は地震と津波、原発の三重苦です。

 新婚のころ、原子力立地給付金なるものが年1回振り込まれ、原発事故の際は影響を受ける地域と知りました。よもやそんなことはあるまいと思っていましたが、現実となりました。過疎地振興のため、恩恵を受けてきた面もありますが、それは安全という神話の上に立つ、まさに砂上の楼閣でした。

 現在は少しずつ日常が戻り始め、朝が訪れる幸せを感じています。「新しい朝が来た。希望の朝だ。喜びに胸を広げ、大空仰げ」と続くラジオ体操の歌が流れると、今日も頑張ろうという気持ちになります。

 子どものころ、ラジオ体操のカードを胸に下げ、キラキラ輝く朝日に向かって弟と飛び出して行きました。子どもたちに希望の朝を届けることは、私たち大人の義務ではないでしょうか。

 この苦境を乗り切ろうと、原発の現場で働く皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。これまでの生活を見直し、ささやかでもできることをしていきたいと思います。

 

~毎日新聞散歩道20110413~

避難所で支援コンサート 取手 
 
東日本大震災で福島県南相馬市から取手競輪所選手宿舎(取手市白山)に

避難している被災者に「歌を聞いて心を癒やしてもらおう」と取手市西の

作詞、作曲家、近藤いさおさん(68)が12日、同宿舎で被災者支援コンサートを開いた。

 同宿舎には同日現在、106人が避難しており、

同市出身などの歌手4人が「見上げてごらん夜の星を」など16曲を披露。

涙を浮かべながら聴き入る人もおり、ふるさとに思いをはせていた。

余震が続いています

月曜日, 4月 11th, 2011

5時16分

午後5時16分 大きな揺れがありました

夢中でTVを抑えました

新品なもので(笑)

地震後1時間経過「ん?ない!絵が消えた」ことに気づく

 

母に電話「大丈夫かぁ?」

母「そっちの方が大丈夫かだよ タイルがまた落ちていないかぁ」

確かに・・・

 

今日は可愛いお客様が来ています

炭火焼きでもしようかと言うことになりまして・・・

確か1か月前も地震の後に炭火焼きしたよね