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似合うかなぁ 疲れないかなぁ

土曜日, 11月 12th, 2016

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ぐるっと首都圏・母校をたずねる 茨城県立竜ケ崎一高

土曜日, 11月 12th, 2016

ぐるっと首都圏 母校をたずねる

茨城県立竜ケ崎一高11 なに一つ無駄はない 中山一生さん

毎日新聞2016年11月11日

龍ケ崎市長 中山一生さん

1980年度卒
竜ケ崎一高の地元、茨城県龍ケ崎市の中山一生市長(53)=1980年度卒=は、「子育て環境 日本一」の自治体を目標に掲げ、市長として率先して「育児休業」を取る“イクメン市長”だ。アルバイトに明け暮れた大学生活を「回り道」と感じたこともあったが、そこで積んだ経験は、生徒会や部活動に打ち込んだ竜ケ崎一高時代と同様、「なに一つ無駄ではなかった」と振り返る。

長男(5)が通う幼稚園の運動会が先日ありまして、父親は「組」対抗リレーに参加するのが慣例なんですね。この年齢で、20代のパパさんと競うわけです。足が回るかと心配でしたが、2位で受けたバトンを2位のままで渡せてほっとしました。長女(8)の時から4年続けての参加で、今回がラストランです。

妻(48)とは、消防団のお見合いパーティーで知り合いました。長女が生まれたのは、私が45歳の時です。うれしかったですね。ずしんと責任を感じました。市長に就任した年は、長男の出産を控えていたので、特別職が育児休業を取得できる条例案を議会で可決していただき、私も育休を取りました。子どもは長寿社会を支える存在。家族と時間を共有することは大切ですよ。市職員の取得率も昨年度は100%でした。

竜一には、祖父、父と3代でお世話になりました。入学早々、担任の渡辺剛男先生の勧めもあって生物部に入り、野外活動で群馬県の川原湯温泉に合宿に行って植物採集やスケッチを楽しみました。写真部も掛け持ちで、暗室でフィルム現像や印画紙へのプリントを自分でするわけです。卒業アルバム作りでは一人一人にポーズを取らせて個性を引き出す工夫をしたり、生徒会副会長も務めて文化祭を準備したり。3年次には野球部の応援団員もやりました。ただスタンドに向かっている私はグラウンドを見られない。試合の様子が分からないんです。あれほど意気込んだ夏の県大会で、初戦でサヨナラ負けした瞬間の生徒たちの顔は、今も目に焼き付いています。

ですが勉強は不熱心で、大学には浪人しての入学です。法学部なので司法試験に挑戦もしましたが、挫折を味わいました。当時は政治家になるかどうか悩んでいたんです。果たして選挙の重圧に、激しい荒波に耐えられるのかと。ある意味「自分探し」の日々でした。そんな折、銀座に開業する「ホテル西洋銀座」がアルバイト募集を始めまして、メインバーの接客スタッフにさせてもらいました。

フレンチの鎌田昭男さんやシェフソムリエの田崎真也さんがいるんです。著名なのにバイトにも気さくに接してくれて、会社も社員対象の研修会などに参加させてくれる。顧客は名士ばかり。気が付けば大学6年生です。回り道をしたかとも思いましたが、開業準備から始まり、ホテルの表の顔と清掃や事務の裏方など、組織が回る過程を見られたのは勉強になりました。何より、相手の立場でおもてなしをするホスピタリティーをたたき込まれたことは大きいですね。

竜一の先輩のみなさんが連綿と龍ケ崎市の歴史を紡いできました。自治会や商店街、学校をはじめ、市役所や県庁にも多くの同窓生がいます。こうした人脈に加えてあの実体験があったからこそ、回り道をしながらも現在の私があると実感しています。

卒業生の募金で白幡会館 より良き教育環境を
「白幡台」と呼ばれる丘の上に建つ竜ケ崎一高の校庭に、鉄筋コンクリート3階建ての「白幡会館」がある。1988年秋の完成で、1階に厨房(ちゅうぼう)と食堂、資料室が、2~3階には学習・合宿室などが入る。90年の学校創立90周年を前に「後輩たちにより良き教育環境を」と、卒業生で作る「白幡同窓会」が募金活動を行い、総工費約1億5000万円のうち1億円以上を拠出した。

卒業生の絆と母校愛は強い。白幡同窓会は毎年1回の会報発行、卒業後10年、20年、35年、50年の同窓生を招いた年度総会・懇親会の開催に加え、文化系、体育系を問わず関東大会以上に出場する生徒に奨励金を贈るなど、「顔の見える」活動を続けてきた。本部役員に加え、OB、OGから「校外幹事」、竜一に勤務する卒業生の教職員から「校内幹事」を選出。同窓会と高校との連携協力を図るとともに、5年に1度、卒業生名簿を改定している。高校の卒業時に集める1人6000円の「入会金」での運営が基本だが、卒業生に呼びかける1口2000円の協力金(寄付金)には2014年度、約325万円が集まった。

同窓会は63年、卒業生15人から贈られた300万円を基に「奨学会」を設立し、毎月2000円の交付を開始した。後に東京電力の株券を購入し、その配当金を元に96年度からは年間計約30万円を交付してきた。しかし、東日本大震災による福島第1原発の事故で東電からの配当が見送られて以降、奨学会は休止状態が続いている。