Posts Tagged ‘毎日新聞’

女の気持ち 掲載60年

金曜日, 3月 14th, 2014

毎日新聞20140313

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サッカー代表を応援 キリンビール取手工場 

木曜日, 3月 13th, 2014

散歩道 サッカー代表を応援 毎日新聞 20140313

取手市桑原のキリンビール取手工場で、サッカー日本代表を応援するイベントが人気を集めている。

イベントでは、リボンに激励の一言を書き、見学者ホールに設置されたミニゴールネット(幅2メートル、高さ1・5メートル)に結びつける。

すでに多くのリボンが結ばれており、「ステキなプレーを見せてください」などと書かれている。

リボンがなくなり次第終了。集まったリボンは6月開幕のワールドカップ前に代表チームに届けられるという。

納豆ワルツ 水戸スペシャルバージョン

木曜日, 3月 13th, 2014

納豆ワルツ 歌手のエバラ健太さん、水戸バージョン制作 市長「軽快なリズムで楽しい」 毎日新聞 20140307

歌手のエバラ健太さん(30)=東京都目黒区=が、自身で作詞・作曲した「納豆ワルツ」の水戸スペシャルバージョンを作った。

歌詞の一部を水戸納豆の特徴である「超小粒」「そぼろ納豆」などに変更。

水戸市のボランティア団体「未来塾水戸」メンバーが振り付けを考え、水戸納豆をPRしている。

納豆ワルツは納豆の作り方や栄養分を歌っており、エバラさんが学生時代に作詞・作曲した。

「未来塾水戸」の山中芳博代表(56)が昨年10月、エバラさんに水戸スペシャルバージョンの制作を依頼。

未来塾の佐藤翔子さんがゆったりとしたメロディーに全身を使った大きな振り付けを考え、2月に完成した。

エバラさんらは5日、水戸市の高橋靖市長に制作を報告。

高橋市長は「軽快なリズムで楽しい感じ。

市のキャラクターみとちゃんダンスと協力し、盛り上げたい」。

エバラさんは「誰でも楽しんで口ずさみながら踊れる。

水戸の皆さんで一つになって盛り上がってほしい」と話した。

エバラさんらは市民のダンス動画も募集しているほか、CD販売も予定している。

動画の応募要領はホームページ(http://www.ibaraki-nettv.jp/page7/)。

ゆめあかり3.11 すべての『ゆめあかりびと』に「ありがとう」

日曜日, 3月 9th, 2014

東京新聞 20140310

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読売新聞読売新聞 20140310

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朝日新聞 20140310


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産経新聞 20140309

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毎日新聞 20140309

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茨城新聞 20140309

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常陽新聞 20140310

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とりで広報 20140315

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水と緑と祭りの広場がきれいになりました

木曜日, 3月 6th, 2014

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床屋さんに行ったみたいにきれいになっちゃった

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水もたまらず ほっ

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毎日新聞 20140306

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おまけ ゆめあかり3.11当日ゆめあかりびとさんようの「いといのお漬物」塩抜きして準備中(笑)

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取手ひなまつりフォトコンテスト

火曜日, 3月 4th, 2014

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ただ今掲示中

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金賞♪恋するフォーチューンクッキーあそびぃな♪

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銀賞♪読み聞かせ あそびぃな♪

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利根町ひな飾りは柳田国男記念公苑で開催中

金曜日, 2月 28th, 2014

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ゆめあかり3.11 ゆめあかりカフェに毎日新聞から協賛をいただきました

金曜日, 2月 28th, 2014

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♪あそびぃな♪市民コンテスト?

木曜日, 2月 27th, 2014

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女の気持ち ラブレター

火曜日, 2月 25th, 2014

女の気持ち ラブレター 茨城県取手市 伊藤さん

毎日新聞 20140225

夫の一周忌を終え、少しずつ遺品整理を始めることにしました。思い出深い物を手に取るたびに時を忘れてしまいます。

そんな中、40年ぶりに忘れられていたたくさんの手紙が出てきました。あのころ、携帯電話のない時代でしたので、東京と千葉との間で、ラブレターを出しあっていました。会えるのは月に1度か2度……手紙が2人の唯一の支えでした。

手紙のおかげで結婚し、子供たちにも恵まれ夢のような幸せな生活でした。でも40年間の長い歳月には、人並みの苦労も経験しました。夫の両親と途中同居、家を新築し子供の教育と、彼も私も夢中で働きました。

子育てが終わり、両親の介護、そして、みとり。気がついた時、2人の心と夢は交わることがなくなっていました。それに彼は大病を患い、医者から告げられた言葉は、取り返しのつかない状態のものでした。残された時間はあっという間でした。

結婚前、伴侶となる人と槍ケ岳に登ると決めていた! それは君だよと言ってくれ、山登りを教えてもらいました。たくさんの思い出、宝を残してくれたのにいろいろあって晩年、彼の優しさに背を向けていました。

夫の死後、現実感がなく泣けなかった私は、今ラブレターを何度も読み返し、初めて心からの涙が流れました。若い日の恋しい「彼」に会えたのです。優しく最高にすてきだった彼は、言葉いっぱいの愛であふれていました。「お父さん、大好きでした。届かない手紙を送りました!!」と呼びかけています。