ここ数年いろいろな形のまちおこしを見てきたけれど
中心にいる人たちが楽しいと周囲にいる人も楽しくなり輪が大きくなり
仲間に入れて!
楽しさ倍増。
さかえ市民ミュージカルの会もその一つでした。
市民ミュージカルがここまで見に来ている人を感動させてくれるとは思いませんでした。
夢中になれること。
楽しくて仕方がないのよ。
小さい頃からの夢を叶えた友人の表情がステキすぎて涙腺が緩みました。
15年ぐらい前までご近所だったママ友の熱演に感動しまくりの手作りミュージカル。
ふれあいプラザさかえホール
龍夢とかいてドラムくんはこの街のキャラらしい。
「どうしてドラムなんですか?」
****身振り手振り
「ごめんなさい しゃべれないんですね」m(__)m
ミュージカル終了後、栄町と龍の関係を知り…納得
雨をふらせた竜
むかし印旛沼のほとりに心優しい人たちの村がありました。近くの村の人たちは、もちろん印旛沼に住んでいた竜からも好かれていました。ある年のこと、印旛沼一帯が大日照りで村の人たちは困り果て一生懸命雨乞いをしました。こうして、いく日か過ぎると、いつも遊びに来ていた印旛沼の竜が現れて 「日ごろの恩返しに大竜王にしかられて体が断ち切られても雨をふらすべえ」 と言って天に昇りました。しばらくすると空はにわかに曇り始め、大粒の雨が降ってきました。村の人たちは喜び、天をあおいで竜に手を合わせていました。すると突然、天を裂くような雷が鳴り、稲妻が走り一瞬村中が明るくなったとき、中天で竜の姿が三つに裂けるのが見えました。雨に喜んだ村人たちは 「やっぱりオレたちの身代わりになったんだな」 と悲しみに包まれました。三つに裂かれた竜の体は、頭が安食に、腹が本埜に、尾が大寺(八日市場)にそれぞれ落ちていました。村人たちは、義理堅い竜の心を偲んで、せめて供養でもと、それぞれの場所に竜角寺、竜腹寺、竜尾寺を建てたと伝えられています。
さかえ市民ミュージカルは、さかえ市民みゅーじかるの会
市民の皆さんにより支えられています。こちら
千葉日報20130808によれば
栄町周辺で受け継がれてきた伝説がテーマのご当地ミュージカル
「七不思議物語~語り続けたい栄町民話」の公演が、
11日に同町安食のふれあいプラザさかえ文化ホールで開かれる。
地域の子どもたちから高齢者まで幅広い世代が出演する「さかえ市民みゅーじかるの会」の新作劇。
衣装や大道具の用意、当日の裏方を含め、多くの地域住民が支える手作り運営だ。
町の名所にちなんだ伝承に親しんでもらい、町おこしにもつなげようと、メンバーは稽古や準備に励んでいる。
同会は2010年に町ゆかりの龍伝説をテーマにした「優しい龍の物語」で旗揚げ公演。
新たなオリジナル台本で挑む今回は、準備期間を含めて2年をかけており、
保育園児や小中学生、その親の世代から70代まで約30人が出演する。
町内の古刹(こさつ)、龍角寺周辺を舞台にした七不思議伝説をひもとく内容で、
夏休みの自由研究でこの七不思議を調べに来たきょうだいが、
龍王のお姫様と出会い、タイムスリップして伝説の世界にいざなわれる。
調査済み方墳としては国内最大の岩屋古墳(同町)の石室などを舞台に、
ここに住む隠れ妖怪が村人の冠婚葬祭時に膳やお椀(わん)を貸してくれたという
「三ケの岩屋と椀貸し」や、近くの湧き水をめぐる孝行息子と父親の不可思議な体験
「親は古酒、子は清水」といった話が登場する。
公演は、午後1時半開演と午後5時半開演の2回あり、
入場券は前売り1500円(中学生以下千円)、当日1700円(同1200円)。
前売り券は同プラザと町内の県立房総のむら、
ドラムの里で。問い合わせは同会事務局、電話090(1215)0787。
おまけの1枚 利根町から見えるかもの栄町の花火
物語に出てきた七不思議探検隊
舞台となった国内最大の房総の村にある岩屋古墳(同町)の石室って?
あれまぁ ここはロケーション最高の桜
春が楽しみな場所(笑)
竜女化来し一夜のうちに諸堂(金堂、塔)を建立したと伝えられ
関東地方でも最も古い(709年)寺院の一つ龍角寺
大雨でも日照りでも石に溜まった水が一定であったと言われている「不増不減の石」
度重なる水害に「ひとばしら」を捧げた坂田ヶ池
片歯の梅伝説
その昔、坂田ヶ池に住む雄の大蛇が、毎年梅雨時になると土手を越えて長沼の雌の大蛇に逢いに行きました。その度、田や家を守る土手が崩れてしまったそうです。村人たちは、土手が崩れないようにするには人柱を立てた方が良いということを耳にしました。そこへ、子供を背負った女の人が通りかかったので、この親子をふびんと思いながらも埋めてしまいました。それ以来、土手は崩れることがなくなり村々は助かったそうだ。ところが、いつの間にか埋めた場所の土手に、梅ノ木が育ちました。しかしその梅は、実が半分しかないことから片歯の梅とよぶようになりました。その梅ノ木は、埋められた時に子供が、半分かじったままの梅から生えたものだと伝えられています。