Archive for the ‘記事’ Category

関東鉄道常総線利用客減に歯止め掛からず

火曜日, 1月 15th, 2013
利用客減に歯止め掛からず
「TXと震災が影響-関東鉄道常総線
今年11月1日、 開業100年を迎える関東鉄道常総線 (取手―下館、 51・1㌔) が、 利用客減少に歯止めを掛けられないでいる。 つくばエクスプレス (TX) が開業した2005年以後、 利用客が大きく落ち込み、 東日本大震災や福島第1原発事故による風評被害が追い討ちをかけた。 こうした状況から、 県、沿線自治体、商工団体、 利用客と関東鉄道で構成する常総線活性化支援協議会がアンケート調査を始める。 沿線住民らの意見を集めて活性化に向けたきっかけづくりを模索したい考えだ。 同社は 「経営努力と沿線自治体などとの協力でプラスに持っていきたい」 とする。
■3期連続の赤字
同社によると、 現在の利用客はTX開業前の04年度と比べ約2割減少、 経常損益は09年度以降3期連続の赤字となるなど厳しい状況が続いている。
TX開業により、 水海道―取手間の利用客数と利用距離が大きく減少。 これまで常総線を利用して取手まで行き、 JR常磐線に乗り継いで首都圏に通っていた常総、 つくばみらい、 守谷、 取手市内の通勤・通学客らが、 常総線に乗らず、 自家用車などで直接、 TX守谷駅まで行くようになったなどが要因という。
小絹 (つくばみらい市) ―取手間は、 1970年代後半から80年代前半に開発された新興住宅団地が広がっていることも要因。 団地住民の主力の団塊世代が一斉に定年退職の時期を迎えたこと、 少子化が進行しているなど地域の構造的な特徴もある。 少子化に加え、 ここ数年、 各高校のスクールバスが拡充されていることなども利用減の要因になっている。
東日本大震災では、 常総線が3~4日で復旧したものの、 JR常磐線の完全復旧に時間が掛かった。 震災でいったんマイカー利用に切り替え常総線を利用しなくなった通勤・通学客が、 復旧後、 戻らなかったほか、 福島第1原発事故の風評被害により、 観光客や鉄道ファンの利用が減少したことなども拍車を掛けているという。
■ワンマン化、 無人化も
こうした状況に対し同社は、 TXが開業した2005年、 完全ワンマン化などの合理化と、 快速列車の運行など利便性向上を実施。 ワンマン化は1997年から取り組んでいたが、 2005年に、 全列車を4両から2両編成にして乗降客の安全を確保しワンマン化した。
TX開業で収支が大きく落ち込んだことから、 07年に運賃8%値上げを実施。 値上げにより翌08年度の収支は一時持ち直した。
さらに09年、 通勤・通学客の85%が東京方面の利用であることから、 首都圏の鉄道やバスなど幅広く利用できるICカード 「PASMO (パスモ)」 を導入して利便性向上を図った。 10年度には取手―守谷間で、 1日の利用客が3000人を下回る8駅を、 日中、 無人化するなどさらなる合理化を図った。
■ビール列車好評
PRのため、 イベントを開催したり、 イベント列車を運行したりすることにも取り組んでいる。「駅からウオーク」は03年から開始。 現在、 沿線自治体と連携して年4回開催し、 沿線や千葉県などから毎回150~200人が参加している。 イベントには県や自治体、 商工会などが協力。 今月26日開催の水海道駅から県自然博物館まで歩くコースの場合、 県自然博物館などの入場料を無料にしてもらうなどの協力を得ている。
11年からはイベント列車も走らせている。 取手と守谷市にはそれぞれキリンビールとアサヒビールの工場が立地していることから、 沿線の景色を眺めながらビール飲み放題の 「ビール列車」 を運行。 取手発―下妻までの往復コースがキリンビール飲み放題、 守谷発―下館往復コースがアサヒビール飲み放題で、 停車駅では地元商工会などが特産の弁当やつまみを販売する。 ほかにお見合い列車や歌声列車なども運行している。
しかしこうした取り組みにもかかわらず、 09年のリーマンショックによる景気の後退の影響などもあり、 同年以降3期連続の赤字が続いている。 同社は 「現時点で廃線は考えてないし、 何とか盛り上げていきたいが、 経営努力だけでは赤字解消が図れない状況」 だとする。
アンケート調査は沿線各自治体のホームページや市広報紙などでも呼び掛ける。 同社は集まった課題やアイデアを活性化につなげたいと話す。
もの」と話す。

利用客減に歯止め掛からず ~常陽新聞20130114~

「TXと震災が影響-関東鉄道常総線

今年11月1日、 開業100年を迎える関東鉄道常総線 (取手―下館、 51・1㌔) が、 利用客減少に歯止めを掛けられないでいる。 つくばエクスプレス (TX) が開業した2005年以後、 利用客が大きく落ち込み、 東日本大震災や福島第1原発事故による風評被害が追い討ちをかけた。 こうした状況から、 県、沿線自治体、商工団体、 利用客と関東鉄道で構成する常総線活性化支援協議会がアンケート調査を始める。 沿線住民らの意見を集めて活性化に向けたきっかけづくりを模索したい考えだ。 同社は 「経営努力と沿線自治体などとの協力でプラスに持っていきたい」 とする。

■3期連続の赤字

同社によると、 現在の利用客はTX開業前の04年度と比べ約2割減少、 経常損益は09年度以降3期連続の赤字となるなど厳しい状況が続いている。

TX開業により、 水海道―取手間の利用客数と利用距離が大きく減少。 これまで常総線を利用して取手まで行き、 JR常磐線に乗り継いで首都圏に通っていた常総、 つくばみらい、 守谷、 取手市内の通勤・通学客らが、 常総線に乗らず、 自家用車などで直接、 TX守谷駅まで行くようになったなどが要因という。

小絹 (つくばみらい市) ―取手間は、 1970年代後半から80年代前半に開発された新興住宅団地が広がっていることも要因。 団地住民の主力の団塊世代が一斉に定年退職の時期を迎えたこと、 少子化が進行しているなど地域の構造的な特徴もある。 少子化に加え、 ここ数年、 各高校のスクールバスが拡充されていることなども利用減の要因になっている。

東日本大震災では、 常総線が3~4日で復旧したものの、 JR常磐線の完全復旧に時間が掛かった。 震災でいったんマイカー利用に切り替え常総線を利用しなくなった通勤・通学客が、 復旧後、 戻らなかったほか、 福島第1原発事故の風評被害により、 観光客や鉄道ファンの利用が減少したことなども拍車を掛けているという。

■ワンマン化、 無人化も

こうした状況に対し同社は、 TXが開業した2005年、 完全ワンマン化などの合理化と、 快速列車の運行など利便性向上を実施。 ワンマン化は1997年から取り組んでいたが、 2005年に、 全列車を4両から2両編成にして乗降客の安全を確保しワンマン化した。

TX開業で収支が大きく落ち込んだことから、 07年に運賃8%値上げを実施。 値上げにより翌08年度の収支は一時持ち直した。

さらに09年、 通勤・通学客の85%が東京方面の利用であることから、 首都圏の鉄道やバスなど幅広く利用できるICカード 「PASMO (パスモ)」 を導入して利便性向上を図った。 10年度には取手―守谷間で、 1日の利用客が3000人を下回る8駅を、 日中、 無人化するなどさらなる合理化を図った。

■ビール列車好評

PRのため、 イベントを開催したり、 イベント列車を運行したりすることにも取り組んでいる。「駅からウオーク」は03年から開始。 現在、 沿線自治体と連携して年4回開催し、 沿線や千葉県などから毎回150~200人が参加している。 イベントには県や自治体、 商工会などが協力。 今月26日開催の水海道駅から県自然博物館まで歩くコースの場合、 県自然博物館などの入場料を無料にしてもらうなどの協力を得ている。

11年からはイベント列車も走らせている。 取手と守谷市にはそれぞれキリンビールとアサヒビールの工場が立地していることから、 沿線の景色を眺めながらビール飲み放題の 「ビール列車」 を運行。 取手発―下妻までの往復コースがキリンビール飲み放題、 守谷発―下館往復コースがアサヒビール飲み放題で、 停車駅では地元商工会などが特産の弁当やつまみを販売する。 ほかにお見合い列車や歌声列車なども運行している。

しかしこうした取り組みにもかかわらず、 09年のリーマンショックによる景気の後退の影響などもあり、 同年以降3期連続の赤字が続いている。 同社は 「現時点で廃線は考えてないし、 何とか盛り上げていきたいが、 経営努力だけでは赤字解消が図れない状況」 だとする。

アンケート調査は沿線各自治体のホームページや市広報紙などでも呼び掛ける。 同社は集まった課題やアイデアを活性化につなげたいと話す。

もの」と話す。

どんどまつりとたこあげ大会

日曜日, 1月 13th, 2013
餅食べて無病息災 どんどまつり 茨城・取手
2013.1.13 02:10
取手市取手の利根川河川敷にある取手緑地運動公園で12日、正月の恒例行事「どんどまつり」が開かれ、市民たちは焼いた餅を食べて1年間の無病息災などを祈った。どんど焼きは、日本各地で行われる小正月の火祭り。正月に飾った門松やしめ縄などを持ち寄って燃やし、その残り火で餅を焼いて食べる行事。
会場には、竹を組み、正月飾りなどを重ねた高さ約8メートルのやぐらが作られた。午後4時、藤井信吾市長が点火するとやぐらは一気に燃え上がり、新春の夕空を焦がした。
市民らは、長さ約3メートルのシノ竹に刺した餅を残り火で焼き、持参したしょうゆなどをつけておいしそうに頬張っていた。
餅食べて無病息災 どんどまつり 茨城・取手 産経新聞20130113
取手市取手の利根川河川敷にある取手緑地運動公園で12日、正月の恒例行事「どんどまつり」が開かれ、市民たちは焼いた餅を食べて1年間の無病息災などを祈った。どんど焼きは、日本各地で行われる小正月の火祭り。正月に飾った門松やしめ縄などを持ち寄って燃やし、その残り火で餅を焼いて食べる行事。
会場には、竹を組み、正月飾りなどを重ねた高さ約8メートルのやぐらが作られた。午後4時、藤井信吾市長が点火するとやぐらは一気に燃え上がり、新春の夕空を焦がした。
市民らは、長さ約3メートルのシノ竹に刺した餅を残り火で焼き、持参したしょうゆなどをつけておいしそうに頬張っていた。
20130114_s
↑ 産経新聞の記者さん撮影 脚立持参でパシャッ! Σp[【◎】]ω・´) 気合の1枚
茨城新聞の写真 ↓
20130114_i
自慢の凧、天高く 茨城・取手 朝日新聞20130113 写真
取手市の取手緑地運動公園で12日、46回目の「とりで利根川たこあげ大会」(取手市観光協会主催、下総凧(たこ)の会、朝日新聞社など後援)が開かれ、自慢の手作りたこが天高く舞った。
県内や千葉、埼玉、神奈川、静岡などから計580人が出場した。・・・・・

動画で街を紹介 いいね!

日曜日, 1月 13th, 2013

茨城新聞20130113

20130114_ii

茨城新聞掲載 デスク日誌

土曜日, 1月 12th, 2013
2013年1月12日(土)
心に幸せを運べる仕事
先輩記者の問い掛けは衝撃的だった。「藤崎、茨城新聞は県民にとって必要か?」。その日からずっと、その問い掛けが重くのしかかっていた
▼1月1日の朝、携帯が鳴った。こんな日に何事? と見ると、担当する稲敷市でお世話になっている方。「見たよ、正月の特集。こんなに大きく書いてくれてありがとう!」。弾んだ声から、喜びがひしひし伝わってくる
▼その瞬間、何かが「舞い降りて」来た。これだ。茨城新聞は人を幸せにできる。カネやモノに頼らず幸せにできる。「先輩、茨城新聞は県民の心に幸せを運ぶ。だから必要なんです」
▼時には人に嫌がられる取材もあるだろう。でも今は、相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら書くことが、何よりも楽しい。どうか本年もよろしくお願いします!

茨城新聞2013年1月12日(土)

心に幸せを運べる仕事

先輩記者の問い掛けは衝撃的だった。「藤崎、茨城新聞は県民にとって必要か?」。その日からずっと、その問い掛けが重くのしかかっていた

1月1日の朝、携帯が鳴った。こんな日に何事? と見ると、担当する稲敷市でお世話になっている方。「見たよ、正月の特集。こんなに大きく書いてくれてありがとう!」。弾んだ声から、喜びがひしひし伝わってくる

その瞬間、何かが「舞い降りて」来た。これだ。茨城新聞は人を幸せにできる。カネやモノに頼らず幸せにできる。「先輩、茨城新聞は県民の心に幸せを運ぶ。だから必要なんです」

時には人に嫌がられる取材もあるだろう。でも今は、相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら書くことが、何よりも楽しい。どうか本年もよろしくお願いします!

言うは易し行うは難し

金曜日, 1月 11th, 2013
縮む赤プリ、解体工事現場を報道陣に公開
工事前(左、2011年2月)に比べ、解体が進み全体が低くなった旧グランドプリンスホテル赤坂
Photo By 共同
ゼネコン大手の大成建設などは8日、「赤プリ」の愛称で親しまれた旧グランドプリンスホテル赤坂(東京都千代田区)の新館の解体工事現場を報道陣に公開した。作業は昨年11月から本格的に始まり、今春には建物が姿を消す。上層階を囲いで覆い、高さ約140メートル、地上39階の建物を上から徐々に解体していく。現在、高さ約110メートルまで解体した。跡地には2016年にホテルなどの複合施設とマンションの計2棟が完成する予定。

言うは易し行うは難しに例えると作るは易し壊すは難し・・・

これからこのような建物が増えてくるのでしょうね。

縮む赤プリ、解体工事現場を報道陣に公開

Photo By 共同  スポニチアネックス

ゼネコン大手の大成建設などは8日、「赤プリ」の愛称で親しまれた旧グランドプリンスホテル赤坂(東京都千代田区)の新館の解体工事現場を報道陣に公開した。作業は昨年11月から本格的に始まり、今春には建物が姿を消す。上層階を囲いで覆い、高さ約140メートル、地上39階の建物を上から徐々に解体していく。現在、高さ約110メートルまで解体した。跡地には2016年にホテルなどの複合施設とマンションの計2棟が完成する予定。

東京卸売市場の青物取扱高 茨城産、9年連続日本一

金曜日, 1月 11th, 2013
東京卸売市場の青物取扱高 茨城産、9年連続日本一
産経新聞 1月11日(金)7時55分配信
県は10日、昨年の東京都中央卸売市場での県産青果物取扱高(金額ベース)の市場シェアが前年比0・2%増の9・4%となり、都道府県別で9年連続の日本一を達成したと発表した。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で大きく落ち込んだ前年をやや上回ったが、震災前の平成22年の水準(10・5%)までには回復しておらず、昨年も風評被害が影響したとみられる。県販売流通課によると、市場全体の取扱高5113億円のうち、県の取扱高は前年比21億円増の478億円。2位の千葉県(432億円)との差は46億円だった。
取扱高が前年より増加した品目は、レタス類(14億円増)▽白菜(8億円増)▽ホウレンソウ(4億円増)▽水菜(3億円増)。前年は政府の出荷停止指示などで葉物野菜が大きく落ち込んだが、回復の傾向がみられた。減少した品目は、ピーマン(5億円減)▽メロン類(3億円減)▽ナス(同)▽レンコン(2億円減)。春先の低温や猛暑によって出荷時期がずれ込み、単価が下がったことなどが影響した。
県販売流通課は今回の結果について、「もっと回復すると思っていたが、風評被害が色濃く残っている」と説明。「震災前の水準まで回復するように、安全性のPRを強化したい」としている。

東京卸売市場の青物取扱高 茨城産、9年連続日本一 産経新聞2013年 1月11日(金)

県は10日、昨年の東京都中央卸売市場での県産青果物取扱高(金額ベース)の市場シェアが前年比0・2%増の9・4%となり、都道府県別で9年連続の日本一を達成したと発表した。

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で大きく落ち込んだ前年をやや上回ったが、震災前の平成22年の水準(10・5%)までには回復しておらず、昨年も風評被害が影響したとみられる。県販売流通課によると、市場全体の取扱高5113億円のうち、県の取扱高は前年比21億円増の478億円。2位の千葉県(432億円)との差は46億円だった。

取扱高が前年より増加した品目は、レタス類(14億円増)▽白菜(8億円増)▽ホウレンソウ(4億円増)▽水菜(3億円増)。前年は政府の出荷停止指示などで葉物野菜が大きく落ち込んだが、回復の傾向がみられた。減少した品目は、ピーマン(5億円減)▽メロン類(3億円減)▽ナス(同)▽レンコン(2億円減)。春先の低温や猛暑によって出荷時期がずれ込み、単価が下がったことなどが影響した。

県販売流通課は今回の結果について、「もっと回復すると思っていたが、風評被害が色濃く残っている」と説明。「震災前の水準まで回復するように、安全性のPRを強化したい」としている。

取手関連記事

水曜日, 1月 9th, 2013
取手駅西口事業:市長ら幹部に弁済求め監査請求 土地売却で市に損害 /茨城
毎日新聞 2013年01月09日 地方版
取手市が進めている「ウェルネス・タウン取手の創造」事業で「低価格の土地売却で市に5900万円の損害を与えた」として、同市の元市議や市民ら7人が8日、藤井信吾市長と市都市整備部長、市中心市街地整備課長を相手取り、弁済を求める住民監査請求を市監査委員に提出した。
請求では、取手駅西口近くの平均土地価格は1平方メートル当たり約17万9000円で、下落率を考慮すると同約16万1000円となり、同市内の眼科医への土地(約459平方メートル)売却額は、情報が開示されていないが、同約14万4900円と推察され、実際の売却額約4200万円との差は約2400万円になると指摘。さらに市がこの土地近くで行った土盛り工事費約3500万円と合わせると、同市が被った損害額は約5900万円に上る−−などとしている。
同事業は健康や医療などの充実を目指し、同駅西口を再開発するプロジェクト。民間活力なども導入し市民の健康を増進しながら、駅周辺の活性化を図る目的で工事が進められている。

取手駅西口事業:市長ら幹部に弁済求め監査請求 土地売却で市に損害 毎日新聞2013年01月09日 取手市が進めている「ウェルネス・タウン取手の創造」事業で「低価格の土地売却で市に5900万円の損害を与えた」として、同市の元市議や市民ら7人が8日、藤井信吾市長と市都市整備部長、市中心市街地整備課長を相手取り、弁済を求める住民監査請求を市監査委員に提出した。 請求では、取手駅西口近くの平均土地価格は1平方メートル当たり約17万9000円で、下落率を考慮すると同約16万1000円となり、同市内の眼科医への土地(約459平方メートル)売却額は、情報が開示されていないが、同約14万4900円と推察され、実際の売却額約4200万円との差は約2400万円になると指摘。さらに市がこの土地近くで行った土盛り工事費約3500万円と合わせると、同市が被った損害額は約5900万円に上る−−などとしている。 同事業は健康や医療などの充実を目指し、同駅西口を再開発するプロジェクト。民間活力なども導入し市民の健康を増進しながら、駅周辺の活性化を図る目的で工事が進められている。 賀詞交歓会 茨城新聞20130109

20130110_i

毎日新聞 時代を駆ける 連載中

水曜日, 1月 9th, 2013
時代を駆ける:鳥越俊太郎/2 「挑戦」で人生を楽しく
毎日新聞 2013年01月09日 東京朝刊
◇SYUNTARO TORIGOE
《ジム通いは2年8カ月になる》
毎日新聞記者時代の皇居1周(約5キロ)。これが人生で走った最長距離でした。運動なんてほとんどやってこなかった。それが週に3回、2時間みっちり。食事を含めた指導を受けて続けてます。だんだん筋肉がついてくるのが分かる。70歳超えても鍛えれば筋肉はつくもんなんだね、これは喜びであり、驚きですよ。歩くのが楽になったし、飛行機に乗っても頭上の収納棚に手荷物を楽にひょいって感じで入れられるようになりました。
《ホノルルに向けて、長距離のトレーニングも行った》
一度、マラソンの距離感を体験したいと思って、東京・品川の事務所から自宅のある小金井市まで歩いてみました。お茶やアイスクリーム、飲んだり食べたりしながらですけど、40キロ弱。それから、1周約2キロの駒沢公園(東京・世田谷)を10周。あの2倍か、という感触は持って臨みましたが、本番はやはり後半がきつかった。ダイヤモンドヘッドのだらだらと続く上り坂とか。とにかく完走だけが目標でしたよ。
《「達成する、ということがお好きで、クリアしてすぐ次の目標をみつけようとされます。気持ちが若いですね」。東京・六本木のジム「トータル・ワークアウト」のパーソナルトレーナー、池澤智さんの言葉だ》
新しいことに挑戦していかないと、残りの人生、楽しくないだろうな、と思う。達成できたら快感が得られるし、やれなくてもチャレンジするというだけで、気持ちが奮い立たされることになる。その気持ちが大事なんですよ。
でも、僕はね、努力っていうのが嫌いなんです、昔から。こつこつまじめに、イヤなことなのにやらなきゃならないってのが大嫌いなんです。僕は好奇心が旺盛だから、好きなことだけをとことんやっていく。それが僕の人生でした。だから、いままで悲観的になったことは一度もないんです。能天気ともいえるけれど、常に楽天的。がんになったときでさえ、半分以上は「しめた!」って思ってましたから。「しめた、これでがんの本が書ける」って。

時代を駆ける:鳥越俊太郎/1 完走「自分をほめたい」 毎日新聞 2013年01月08日

テレビでもおなじみのジャーナリスト、鳥越俊太郎さん(72)が、昨年12月9日のホノルルマラソンを完走した。古希(70歳)を過ぎたランナーはいまや珍しくないが、7年半前に大腸がんが見つかってから4回の手術を受けてきた、「ステージ4」のがん患者でもある。

《歓喜のゴールだった》

ゴールした瞬間にまず思い出したのは、アトランタ五輪銅メダリストの有森裕子さんが言って有名になった「自分をほめたい」というせりふでした。私も今回だけは自分をほめたいと思いましたよ。本当によくやったと。何回もやめようかと、やめたらいいだろうな、と思いましたから。

体はぼろぼろでした。足の裏、指のマメが破けて靴底に血がたまっていたようだったし、ふくらはぎや腰のひどい痛みはずっとひかない。でもなぜか頭はハイテンション。ダメな下半身を元気な上半身で引っ張っていたという感じでしたね。42・195キロはやっぱり過酷です! 走ってみて分かりました。

《完走する自信は、もちろんあった》

それでも実は、日が近づくに連れて弱気になってきてました。7年前に大腸がんの手術をしたけれど、あの時はなんだか遠足にでも行くような気持ちでした。ところが、今回は前日、プレッシャーでどきどきで。

《マラソン挑戦は昨年の初めに決めたという》

古希を過ぎて、「残り時間はもうあまりない」と、特にがんになってから痛切にそう思うようになりました。ならば毎年、それまでやったことのないことに挑戦していかないと人生楽しくないだろうと。まずは体を鍛えるジム通い。それからダンス。人生初のパーマもかけてみましたが、これはまったく似合わなくて失敗でしたね(笑い)。その流れで12年のテーマを探していて偶然、何かの記事で「ホノルルマラソン」を見つけて、これだと決めました。

この大会、時間制限がないのがいい。フェイスブックに書いたらどっとみんながアドバイスをくれて、TBSも取材するというし、もう引くに引けなくなっちゃった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時代を駆ける:鳥越俊太郎 2 「挑戦」で人生を楽しく 毎日新聞 2013年01月09日

《ジム通いは2年8カ月になる》

毎日新聞記者時代の皇居1周(約5キロ)。これが人生で走った最長距離でした。運動なんてほとんどやってこなかった。それが週に3回、2時間みっちり。食事を含めた指導を受けて続けてます。だんだん筋肉がついてくるのが分かる。70歳超えても鍛えれば筋肉はつくもんなんだね、これは喜びであり、驚きですよ。歩くのが楽になったし、飛行機に乗っても頭上の収納棚に手荷物を楽にひょいって感じで入れられるようになりました。

《ホノルルに向けて、長距離のトレーニングも行った》

一度、マラソンの距離感を体験したいと思って、東京・品川の事務所から自宅のある小金井市まで歩いてみました。お茶やアイスクリーム、飲んだり食べたりしながらですけど、40キロ弱。それから、1周約2キロの駒沢公園(東京・世田谷)を10周。あの2倍か、という感触は持って臨みましたが、本番はやはり後半がきつかった。ダイヤモンドヘッドのだらだらと続く上り坂とか。とにかく完走だけが目標でしたよ。

《「達成する、ということがお好きで、クリアしてすぐ次の目標をみつけようとされます。気持ちが若いですね」。東京・六本木のジム「トータル・ワークアウト」のパーソナルトレーナー、池澤智さんの言葉だ》

新しいことに挑戦していかないと、残りの人生、楽しくないだろうな、と思う。達成できたら快感が得られるし、やれなくてもチャレンジするというだけで、気持ちが奮い立たされることになる。その気持ちが大事なんですよ。


でも、僕はね、努力っていうのが嫌いなんです、昔から。こつこつまじめに、イヤなことなのにやらなきゃならないってのが大嫌いなんです。僕は好奇心が旺盛だから、好きなことだけをとことんやっていく。それが僕の人生でした。だから、いままで悲観的になったことは一度もないんです。能天気ともいえるけれど、常に楽天的。がんになったときでさえ、半分以上は「しめた!」って思ってましたから。「しめた、これでがんの本が書ける」って。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時代を駆ける:鳥越俊太郎/3 がんを淡々と受け止め 毎日新聞 2013年01月10日

《ホノルルマラソン前日の参加者セミナーに特別出演。がん患者としての苦労を吐露する場面もあった》

がんの手術で直腸を約20センチ切除しました。直腸は便をためておくところで、ないとすぐ便が出てきてしまう。だから、前の日は1日絶食です。東日本大震災の被災地を取材したときもそうでした。被災地にはトイレなんかありませんから。こんな人はマラソンなんか出ちゃいけないんでしょう。でも、出たい。苦しいことがあっても、それを乗り越えてみたかった。

《最初のがんは05年に見つかった》

トイレで出血があって、徐々に異変は感じていました。内視鏡検査をやってもらって、自分でも見ましたよ、3センチ大の腫瘍です、ぎょっとしました。ああ、がんだったんだと。ぼうぜんとしましたが、ショックはそんなになかった。入院の日にテレビで普通に公表できましたからね。07年に肺へ、それから09年には肝臓に転移がみつかり、4回目は切開手術でした。でも性格なのかな、くよくよしたってしょうがないと思った。だって人間100人いたら、100人死ぬ。もちろん症状や進み具合はさまざまだし、いきなり末期がんがみつかる場合もあるから一概には言えないが、私はがんである事実を受け止めて、一番いいと思われる過ごし方を考えようと思いましたね。

《仕事部屋の机には文庫の「方丈記」や、東京大空襲の焼け跡を歩いて書かれた堀田善衛の「方丈記私記」が置いてある。死を淡々と受け止めようとする心の背景には、少年時代の体験がある》

故郷の福岡県吉井町(現うきは市)で小学6年生のころだったか。友達とお寺の裏の墓地で鬼ごっこかなにかで遊んでいて、隠れていた墓のフタ石がずれていた。思わずのぞき込むと、茶色い素焼きのつぼの中に、白い骨が見えた。衝撃だったね。わぁーって叫び声を上げて走り出したんだけど、「死」というものを明確に意識したんだ、そのとき。人間、じたばたしたって最後は骨だって。それから、僕の人生には「所詮」って言葉が付きまとう。だから、「方丈記」なんですよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時代を駆ける:鳥越俊太郎/4 真珠湾で考える平和 毎日新聞 2013年01月11日

《大会前々日の昨年12月7日、鳥越さんはオアフ島内の真珠湾に行った。71年前のこの日、日本軍の奇襲攻撃があった。沈没したままの米戦艦の上に「アリゾナ記念館」が建てられている。湾を望むメモリアルゾーンにたたずんだ》

(展示されている)戦艦アリゾナのいかり下に「おれたちは忘れんぞ」と刻んである。すごいね。アメリカ人にヒロシマ・ナガサキの話をすると、必ずこのパールハーバーを持ち出してきます。でも、犠牲者数のケタが違うし、何よりこっちは軍施設だもの。市民を巻き込んだ無差別攻撃とは明らかに違いますよ。

《京都大学では国史学を学んだ。特に明治期に興味があるのは、日本が維新以後、日清、日露、日中、太平洋の4度の戦争を戦ったからだ》

先日、製本された自分の卒論を手に入れました。副題が「明治期に於(お)けるブルジョワ民族主義」だって! 自由民権運動が弾圧されていく過程を書いたはず、もう内容は忘れてしまいましたが。あるとき、ふと気づいた。明治元(1868)年から数えて昨年(2012年)は144年、そして僕は72歳ですから、日本の近代史のちょうど半分を生きているんです。そう思えば、短い。

その中で日本は4回もの戦争をした。戦争を避けることはできなかったのかと、常に考えています。いや、避ける道はあったはずだけれど、特に日中戦争から太平洋戦争に至る道は軍人も政治家も言論人も、全国民が火の玉になって戦争に突入していった。

《メディアも戦争に協力した。だから今、ジャーナリストとして決めていることがある》

最近、領土問題が議論され、北朝鮮が弾道ミサイル実験などしていると、勇ましい意見が必ず出てきます。アメリカと一緒にあいつらたたきつぶせ、と。だけど絶対、戦争はしてはならない。僕は最後の1人になっても、どんな状況になっても「NO」と言い続ける。それが僕が自分の胸に突きつけているあいくちです。NOと言えなくなったら死ぬ。それが戦争を知っている、歴史学を学んだ一人の人間としての、僕の気持ちです。

河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第

火曜日, 1月 8th, 2013
こころナビ:松本サリン事件被害者・河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第
毎日新聞 2013年01月08日 東京朝刊
松本サリン事件の被害者、河野義行さん(62)は、4年前に妻をみとり、現在は鹿児島市で「第二の人生」を生きている。数々の苦難に直面してきた河野さんだが、周囲にはいつも友人らが集い、笑い声が絶えない。困難との向き合い方や、「幸せ」について聞いた。【山寺香】
◇恨み持って楽しく生きられない 相棒ががんでも前向きに
−−自宅で一緒に事件に遭遇し、以後意識が戻らなかった妻澄子さん(享年60)が08年に亡くなりました。
河野さん 妻が亡くなる1週間くらい前に脳のMRI(磁気共鳴画像化装置)を撮ったら、脳が萎縮しわずか厚さ2・7ミリの皮になっていました。医師も「こんな状態で生きている人は見たことがない」と驚いていた。
意識が戻らない14年間、私は妻に「ベッドで寝ているだけで僕や子どもたちは元気をもらっているんだよ」と言い続けました。それが分かっていたから、妻は頑張って生きてくれたのだと思います。
だから、妻が亡くなった時は3人の子どもたちに「これはもう感謝するしかない。悲しむことは失礼だよ」と言いました。葬儀はごく親しい9人だけで行い、音楽を流し、ワイワイと妻のことを語り合いました。当時の写真を見るとみんな笑っているんです。
(妻に)できることは全てやらせてもらったという気持ちもあり、死んだことを悔やむことはありませんでした。
−−事件や加害者を憎まなかったのですか。
河野さん 日本は法治国家ですから、罪を犯した人には裁判所が相応の罰を与えるのがルール。こちらがそれ以上罰を与える必要もないし、加害者に憎しみや恨みを持ち続けて生きることが自分にとって楽しいかと考えた時、楽しくないと思いました。
きれいごとではなく損得勘定です。私は自分のために、与えられた人生を楽しく生きていきたいんです。
−−その後、第二の人生をスタートされました。
河野さん 妻の三年祭を迎えた10年9月、妻が愛用していたハモンドオルガンを使って追悼コンサートを開きました。友人たちと至福の時を過ごし、もう松本でやり残したことはないと思いました。還暦を迎えたこともあり、今までの人生は一度リセットし、スローライフが送れる南の島への移住を決めました。
−−なぜ鹿児島ですか。
河野さん 知人から「鹿児島に最後の楽園がある」と聞き、屋久島の西の離島に興味を持ちました。釣りざんまい、温泉ざんまいの生活も悪くないと心引かれましたが、交通アクセスが極端に悪く、講演活動との両立が難しいことが分かった。そんな時、以前に鹿児島での講演で世話をしてくれた児玉澄子さんが「うちに住めばいいじゃない、使ってない部屋があるから」と言ってくれ、居候生活を始めました。偶然にも妻と同じ名前でした。
−−どんな生活ですか。
河野さん 長野と違い、車で10分走れば海がある。児玉さんとは束縛し合うことなく、話がまとまれば山や海へタケノコやヒジキを採りに行ったり温泉に行ったりする。人生を楽しむ相棒という表現が一番しっくりきます。
警察やマスコミ関係者、オウム真理教の元信者も含め、多くの友人が遊びにきます。なぜそんな人間関係を作れるのかと聞かれますが、人間関係の基本は自分を大切にすることだと思います。自分が幸せでなければ人を幸せにはできません。「私は不幸でつらいんです」とばかり言っていたら、一時は同情されても、いずれ人は離れていきます。
移住1年後の11年9月、児玉さんにがんが見つかりました。肺腺がんで、脳に転移もあった。ステージ4、いわゆる末期ですが、児玉さんは「へえ」と笑っている。10段階の4だと勘違いしたんですね。私が指摘しても、「治せばいいじゃん」と動じない。
−−奥様を亡くし、相棒にもがんが見つかる。自分だったら「なぜ私ばかり……」と思ってしまいそうです。
河野さん 今の年まで生きられたのも、結構大変なことなんですよ。死はいつも隣にある。例えば60歳でがんになった時、60歳の若さでと思うか、60年も生きてこられたことに感謝するかによって見える景色が違ってくる。
最初、医師は「余命3カ月」と思ったそうです。それなのに1年3カ月も余分に生きられたと思えば、ありがたく思える。児玉さんは「先生、名医じゃない!」って笑っていました。その間に悔いが残らないように、死ぬための準備ができたんだから、今は「がんも悪くないね」って言っています。
受け止め方なんですね。がんになったことすら幸せに感じられたら怖いものはないでしょう。嘆くよりも、死を意識して一日一日を楽しく生きる方がいいと思うんです。
思いの方向をちょっと変えるだけでかなり楽に生きられます。人間の行動の原点は「思うこと」。「幸せになりたい」「楽しく生きたい」とひたすら思うことで、自分なりの幸せへの道が開けていくと思います。
1950年、愛知県生まれ。94年にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」の被害者で、第一通報者。事件直後から警察の事情聴取を受け、マスコミも容疑者のように報じた。現在は講演活動や犯罪被害者支援を行う。著書に「『疑惑』は晴れようとも」「今を生きるしあわせ」など。

こころナビ 松本サリン事件被害者・河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第

毎日新聞 2013年01月08日

松本サリン事件の被害者、河野義行さん(62)は、4年前に妻をみとり、現在は鹿児島市で「第二の人生」を生きている。数々の苦難に直面してきた河野さんだが、周囲にはいつも友人らが集い、笑い声が絶えない。困難との向き合い方や、「幸せ」について聞いた。

恨み持って楽しく生きられない 相棒ががんでも前向きに

−−自宅で一緒に事件に遭遇し、以後意識が戻らなかった妻澄子さん(享年60)が08年に亡くなりました。

河野さん 妻が亡くなる1週間くらい前に脳のMRI(磁気共鳴画像化装置)を撮ったら、脳が萎縮しわずか厚さ2・7ミリの皮になっていました。医師も「こんな状態で生きている人は見たことがない」と驚いていた。

意識が戻らない14年間、私は妻に「ベッドで寝ているだけで僕や子どもたちは元気をもらっているんだよ」と言い続けました。それが分かっていたから、妻は頑張って生きてくれたのだと思います。

だから、妻が亡くなった時は3人の子どもたちに「これはもう感謝するしかない。悲しむことは失礼だよ」と言いました。葬儀はごく親しい9人だけで行い、音楽を流し、ワイワイと妻のことを語り合いました。当時の写真を見るとみんな笑っているんです。

(妻に)できることは全てやらせてもらったという気持ちもあり、死んだことを悔やむことはありませんでした。

−−事件や加害者を憎まなかったのですか。

河野さん 日本は法治国家ですから、罪を犯した人には裁判所が相応の罰を与えるのがルール。こちらがそれ以上罰を与える必要もないし、加害者に憎しみや恨みを持ち続けて生きることが自分にとって楽しいかと考えた時、楽しくないと思いました。

きれいごとではなく損得勘定です。私は自分のために、与えられた人生を楽しく生きていきたいんです。

−−その後、第二の人生をスタートされました。

河野さん 妻の三年祭を迎えた10年9月、妻が愛用していたハモンドオルガンを使って追悼コンサートを開きました。友人たちと至福の時を過ごし、もう松本でやり残したことはないと思いました。還暦を迎えたこともあり、今までの人生は一度リセットし、スローライフが送れる南の島への移住を決めました。

−−なぜ鹿児島ですか。

河野さん 知人から「鹿児島に最後の楽園がある」と聞き、屋久島の西の離島に興味を持ちました。釣りざんまい、温泉ざんまいの生活も悪くないと心引かれましたが、交通アクセスが極端に悪く、講演活動との両立が難しいことが分かった。そんな時、以前に鹿児島での講演で世話をしてくれた児玉澄子さんが「うちに住めばいいじゃない、使ってない部屋があるから」と言ってくれ、居候生活を始めました。偶然にも妻と同じ名前でした。

−−どんな生活ですか。

河野さん 長野と違い、車で10分走れば海がある。児玉さんとは束縛し合うことなく、話がまとまれば山や海へタケノコやヒジキを採りに行ったり温泉に行ったりする。人生を楽しむ相棒という表現が一番しっくりきます。

警察やマスコミ関係者、オウム真理教の元信者も含め、多くの友人が遊びにきます。なぜそんな人間関係を作れるのかと聞かれますが、人間関係の基本は自分を大切にすることだと思います。自分が幸せでなければ人を幸せにはできません。「私は不幸でつらいんです」とばかり言っていたら、一時は同情されても、いずれ人は離れていきます。

移住1年後の11年9月、児玉さんにがんが見つかりました。肺腺がんで、脳に転移もあった。ステージ4、いわゆる末期ですが、児玉さんは「へえ」と笑っている。10段階の4だと勘違いしたんですね。私が指摘しても、「治せばいいじゃん」と動じない。

−−奥様を亡くし、相棒にもがんが見つかる。自分だったら「なぜ私ばかり……」と思ってしまいそうです。

河野さん 今の年まで生きられたのも、結構大変なことなんですよ。死はいつも隣にある。例えば60歳でがんになった時、60歳の若さでと思うか、60年も生きてこられたことに感謝するかによって見える景色が違ってくる。

最初、医師は「余命3カ月」と思ったそうです。それなのに1年3カ月も余分に生きられたと思えば、ありがたく思える。児玉さんは「先生、名医じゃない!」って笑っていました。その間に悔いが残らないように、死ぬための準備ができたんだから、今は「がんも悪くないね」って言っています。

受け止め方なんですね。がんになったことすら幸せに感じられたら怖いものはないでしょう。嘆くよりも、死を意識して一日一日を楽しく生きる方がいいと思うんです。

思いの方向をちょっと変えるだけでかなり楽に生きられます。人間の行動の原点は「思うこと」。「幸せになりたい」「楽しく生きたい」とひたすら思うことで、自分なりの幸せへの道が開けていくと思います。

*1950年、愛知県生まれ。

94年にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」の被害者で、第一通報者。

事件直後から警察の事情聴取を受け、マスコミも容疑者のように報じた。現在は講演活動や犯罪被害者支援を行う。

著書に「『疑惑』は晴れようとも」「今を生きるしあわせ」など。

同じ国土に暮らしながら、電力の融通ができないのがもどかしい

火曜日, 1月 8th, 2013
余録:第二次世界大戦でソ連のレニングラード…
毎日新聞 2013年01月08日 00時23分
第二次世界大戦でソ連のレニングラード(現サンクトペテルブルク)が独軍に包囲されていた1942年冬の話だ。空爆による山火事を逃れようとしたロシア馬約1000頭がまだ氷結していなかった同市近くのラドガ湖を渡り出した▲すると突然大音響とともに瞬く間に湖水が凍り、多数の馬が悲惨な最期をとげた。これは「過冷却」という現象だそうだ。この時は寒波による急な気温低下で湖水が氷点下になりながら凍らない不安定な状態だったらしい。そこに馬群が入った衝撃で一挙に凍結した▲寒冷地では他の土地の住人には思いもつかぬ現象も多かろう。先月ロシアを襲った記録的寒波ではシベリアで氷点下60度に達した地域もあり、全土で120人以上が亡くなった。人の生命も容赦なく奪う寒冷地の冬将軍だ▲こちらは5日に氷点下30.2度という低温が東部の陸別町で記録された北海道である。泊原発の運転停止にともない政府と北海道電力が要請した10年度比7%以上の節電時間帯がきのうから大幅に拡大された。従来の夕から夜の枠が朝から夜の13時間に広がったのだ▲たとえ計画停電でも電力供給が止まれば人命にかかわる寒冷地だ。道は「冬の安全プログラム」を掲げ、企業はもちろん家庭にも照明や家電製品の節電を呼びかけてきた。ただ年末の寒波では電力需要が急伸を見せ、今冬はこれからも平年より雪が多い見通しという▲同じ国土に暮らしながら、電力の融通ができないのがもどかしい。ここは寒い土地の暮らしに根ざした知恵と人情を、電力ともども住民同士でうまく分かち合い、冬将軍の包囲に無事うち勝ってほしい。

余録 毎日新聞 2013年01月08日

第二次世界大戦でソ連のレニングラード(現サンクトペテルブルク)が独軍に包囲されていた1942年冬の話だ。

空爆による山火事を逃れようとしたロシア馬約1000頭がまだ氷結していなかった同市近くのラドガ湖を渡り出した。

すると突然大音響とともに瞬く間に湖水が凍り、多数の馬が悲惨な最期をとげた。

これは「過冷却」という現象だそうだ。この時は寒波による急な気温低下で湖水が氷点下になりながら凍らない不安定な状態だったらしい。

そこに馬群が入った衝撃で一挙に凍結した。

寒冷地では他の土地の住人には思いもつかぬ現象も多かろう。先月ロシアを襲った記録的寒波ではシベリアで氷点下60度に達した地域もあり、全土で120人以上が亡くなった。

人の生命も容赦なく奪う寒冷地の冬将軍だ。

こちらは5日に氷点下30.2度という低温が東部の陸別町で記録された北海道である。

泊原発の運転停止にともない政府と北海道電力が要請した10年度比7%以上の節電時間帯がきのうから大幅に拡大された。

従来の夕から夜の枠が朝から夜の13時間に広がったのだ。

たとえ計画停電でも電力供給が止まれば人命にかかわる寒冷地だ。

道は「冬の安全プログラム」を掲げ、企業はもちろん家庭にも照明や家電製品の節電を呼びかけてきた。

ただ年末の寒波では電力需要が急伸を見せ、今冬はこれからも平年より雪が多い見通しという。

同じ国土に暮らしながら、電力の融通ができないのがもどかしい。ここは寒い土地の暮らしに根ざした知恵と人情を、電力ともども住民同士でうまく分かち合い、冬将軍の包囲に無事うち勝ってほしい。