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鎧塚さんプロデュース茨城県産スイーツが渋谷デビュー

土曜日, 1月 21st, 2012
県産スイーツ、渋谷進出 人気パティシエ鎧塚さんプロデュース 茨城
2012.1.20 02:23
古民家スイーツ&カフェ「高萩茶房」で出された鎧塚俊彦さんプロデュースのスイーツ。手前から時計回りに、高萩のほおずきのフィザリス、日立のカボチャのパンプキンパイ、笠間のクリのモンブラン、日立のイチジクのコンポートフィグ=高萩市上手綱の県指定文化財「穂積家住宅」
■4月26日オープン、駅直結
人気パティシエ、鎧塚(よろいづか)俊彦さん(46)が手がける茨城産食材を使った「茨城コラボスイーツ」を販売する新店舗が4月26日、東京・渋谷に登場することになった。県産農産物の風評被害対策に苦慮する県は、この新店舗を足がかりに首都圏での消費拡大を目指したい考えだ。
新店舗は4月26日にオープンする渋谷の新しい複合商業施設「渋谷ヒカリエ」に出店する。「渋谷ヒカリエ」は東急電鉄グループが東急文化会館跡地を再開発した地上34階、地下4階建ての複合商業施設。渋谷駅に直結し、早くも東京の新たなランドマークとして注目を集めている。
利用客は20代後半から40代の“働く女性”を主なターゲットに想定。県では、女性からの人気が高い鎧塚さんの茨城産スイーツが首都圏の女性を中心に広がり、メロンやクリ、鶏卵など生産量日本一が多い茨城産農産物の知名度や消費が拡大する好機になると期待を寄せる。
鎧塚さんは昨年、高萩市上手綱の古民家を活用した期間限定カフェ「高萩茶房」で県産食材を使ったスイーツを提供した。
昨年12月、県庁で橋本昌知事を表敬訪問した際、鎧塚さんは産経新聞社の取材に対し、「平成24年春をめどに、茨城

県産スイーツ、渋谷進出 人気パティシエ鎧塚さんプロデュース ~産経新聞20110119~

古民家スイーツ&カフェ「高萩茶房」で出された鎧塚俊彦さんプロデュースのスイーツ。手前から時計回りに、高萩のほおずきのフィザリス、日立のカボチャのパンプキンパイ、笠間のクリのモンブラン、日立のイチジクのコンポートフィグ=高萩市上手綱の県指定文化財「穂積家住宅」

人気パティシエ、鎧塚(よろいづか)俊彦さん(46)が手がける茨城産食材を使った「茨城コラボスイーツ」を販売する新店舗が4月26日、東京・渋谷に登場することになった。県産農産物の風評被害対策に苦慮する県は、この新店舗を足がかりに首都圏での消費拡大を目指したい考えだ。

新店舗は4月26日にオープンする渋谷の新しい複合商業施設「渋谷ヒカリエ」に出店する。「渋谷ヒカリエ」は東急電鉄グループが東急文化会館跡地を再開発した地上34階、地下4階建ての複合商業施設。渋谷駅に直結し、早くも東京の新たなランドマークとして注目を集めている。

利用客は20代後半から40代の“働く女性”を主なターゲットに想定。県では、女性からの人気が高い鎧塚さんの茨城産スイーツが首都圏の女性を中心に広がり、メロンやクリ、鶏卵など生産量日本一が多い茨城産農産物の知名度や消費が拡大する好機になると期待を寄せる。

鎧塚さんは昨年、高萩市上手綱の古民家を活用した期間限定カフェ「高萩茶房」で県産食材を使ったスイーツを提供した。

昨年12月、県庁で橋本昌知事を表敬訪問した際、鎧塚さんは産経新聞社の取材に対し、「平成24年春をめどに、茨城の農産物を使ったスイーツを首都圏に紹介するプロジェクトを始める」と話し、「一歩踏み込んで茨城の“名物”を作っていきたい」としていた。

今回の新店舗は、その発想が具体化する形だ。県では茨城コラボスイーツの実現へ「具体的な準備を進めている」(県北振興室)という。

4月26日オープン

21日龍禅寺三仏堂内部を特別公開します

土曜日, 1月 21st, 2012
龍禅寺三仏堂:内部を特別公開 取手で21日 /茨城
取手市米ノ井の国指定文化財・龍禅寺三仏堂の内部が21日、無料で特別公開される。三仏堂は釈迦如来(しゃかにょらい)、阿弥陀(あみだ)如来、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の三仏をまつった建造物。
939(天慶2)年の創建と伝えられ、現在の建物は、建築様式から室町時代後期に建てられたと推測されている。「平将門が生まれた」「同寺を参詣して、三仏堂を寄進した」などの伝説があるという。
市は文化財防火デーに合わせ同日、消防訓練を実施する予定で、訓練終了後の午前11時から公開。訓練が雨天中止の場合は、午前10時~午後4時まで公開する。問い合わせは市埋蔵文化財センター(0297・73・2010)へ。

龍禅寺三仏堂:内部を特別公開 取手で21日 ~毎日新聞20110119~

取手市米ノ井の国指定文化財・龍禅寺三仏堂の内部が21日、無料で特別公開される。三仏堂は釈迦如来(しゃかにょらい)、阿弥陀(あみだ)如来、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の三仏をまつった建造物。

939(天慶2)年の創建と伝えられ、現在の建物は、建築様式から室町時代後期に建てられたと推測されている。「平将門が生まれた」「同寺を参詣して、三仏堂を寄進した」などの伝説があるという。

市は文化財防火デーに合わせ同日、消防訓練を実施する予定で、訓練終了後の午前11時から公開。訓練が雨天中止の場合は、午前10時~午後4時まで公開する。問い合わせは市埋蔵文化財センター(0297・73・2010)へ。

明日「とりで太鼓の祭典」で初舞台の難病の中学生

金曜日, 1月 20th, 2012
難病の中学生が太鼓演奏に挑戦
視力低下、音楽で誰かに勇気を
昨年春、急に目が見えなくなる難病を発症した取手市立藤代中学3年、山口凌河君(15)が8月末から、地域の太鼓愛好団体に加わり演奏に挑戦している。21日には、同市東の取手市民会館で開かれる「とりで太鼓の祭典」に出演し、初舞台を踏む。凌河君は「自分もいろいろな人に勇気づけられたので、自分ができることをやることで、誰かを勇気づけられれば」と話す。
凌河君は昨年6月まで同中野球部の主将を務め、捕手か三塁を守る4番打者だった。昨年3月、バッターボックスに立つと目の前で球が見えなくなる症状に突然襲われ、その後、視力が急激に低下、5~6月ごろにはほとんど見えなくなり、光を感じるだけになったという。治療を続けたが良くならず、8月に10万人に一人といわれる視神経が萎縮する難病「レーベル病」と診断された。
学校に行かなくなり、自宅に引きこもる日々が続いたという。この間、友人が自宅に遊びに来て「学校に行かなくていいから、おれんち来いよ」と声を掛けてくれた。友人の誘いをきっかけに外出できるようになり、再び学校にも通えるようになった。まだ視力が残っていたころ、自転車で外出する際は友人が両脇を併走するなどして危険から守ってくれた。「友達が優しくしてくれたことが、立ち直るきっかけになった」と振り返る。
凌河君は保育園の年長から小学4年まで5年間、太鼓クラブ「小貝川子ども太鼓」に所属し、地域の祭りや音楽祭などで太鼓をたたいてきた。5年になって少年野球クラブに所属したのをきっかけに太鼓を辞め、野球に打ち込んだ。
中学3年になったばかりで視力を失い、すべてにやる気を無くす一方、「何かやらなくては自分の将来が何もなくなってしまう」とあせる中、「以前やっていた太鼓だったらできるかな」と思い立ち、昨年8月、地域の社会人太鼓愛好団体「太鼓の衆 風舞(かざまい)」(根本和彦代表)に入会した。「太鼓が新たな目標になった」と凌河君は話す。
同会は母親の文子さん(49)も活動している団体だ。文子さんは凌河君が保育園で太鼓を始めたのをきっかけに、自身も太鼓を始め、凌河君が野球に打ち込んでからもずっと太鼓演奏を続けてきた。
昨年8月末から凌河君は毎週1回、母親らと一緒に練習を続けている。演奏する前に太鼓を触り大きさを測ってからたたく。最近は自宅のパソコンで太鼓演奏のDVDを聞きながら練習している。「風舞」の根本代表は「基本的な打ち方ができているので、他のメンバーと遜色ない」と話し、「明るい性格の凌河君が太鼓に打ち込む姿に、逆にメンバーが励まされている」と語る。
21日の「太鼓の祭典」では2曲を演奏し大太鼓とやぐら太鼓をたたく。凌河君は「上手にできれば」とし「野球をやっていたので大きな声を出したい」と意気込みを話す。舞台では母親とも初共演する。
卒業後は全寮制の筑波大付属盲学校(東京都文京区)に進学する予定だ。「点字を学び歩行訓練を習得したい。大学に進学し、音楽が好きなので将来は歌手になることを目指している」と夢を語る。

難病の中学生が太鼓演奏に挑戦  ~常陽新聞20110120~

視力低下、音楽で誰かに勇気を

昨年春、急に目が見えなくなる難病を発症した取手市立藤代中学3年、山口凌河君(15)が8月末から、地域の太鼓愛好団体に加わり演奏に挑戦している。21日には、同市東の取手市民会館で開かれる「とりで太鼓の祭典」に出演し、初舞台を踏む。凌河君は「自分もいろいろな人に勇気づけられたので、自分ができることをやることで、誰かを勇気づけられれば」と話す。

凌河君は昨年6月まで同中野球部の主将を務め、捕手か三塁を守る4番打者だった。昨年3月、バッターボックスに立つと目の前で球が見えなくなる症状に突然襲われ、その後、視力が急激に低下、5~6月ごろにはほとんど見えなくなり、光を感じるだけになったという。治療を続けたが良くならず、8月に10万人に一人といわれる視神経が萎縮する難病「レーベル病」と診断された。

学校に行かなくなり、自宅に引きこもる日々が続いたという。この間、友人が自宅に遊びに来て「学校に行かなくていいから、おれんち来いよ」と声を掛けてくれた。友人の誘いをきっかけに外出できるようになり、再び学校にも通えるようになった。まだ視力が残っていたころ、自転車で外出する際は友人が両脇を併走するなどして危険から守ってくれた。「友達が優しくしてくれたことが、立ち直るきっかけになった」と振り返る。

凌河君は保育園の年長から小学4年まで5年間、太鼓クラブ「小貝川子ども太鼓」に所属し、地域の祭りや音楽祭などで太鼓をたたいてきた。5年になって少年野球クラブに所属したのをきっかけに太鼓を辞め、野球に打ち込んだ。

中学3年になったばかりで視力を失い、すべてにやる気を無くす一方、「何かやらなくては自分の将来が何もなくなってしまう」とあせる中、「以前やっていた太鼓だったらできるかな」と思い立ち、昨年8月、地域の社会人太鼓愛好団体「太鼓の衆 風舞(かざまい)」(根本和彦代表)に入会した。「太鼓が新たな目標になった」と凌河君は話す。

同会は母親の文子さん(49)も活動している団体だ。文子さんは凌河君が保育園で太鼓を始めたのをきっかけに、自身も太鼓を始め、凌河君が野球に打ち込んでからもずっと太鼓演奏を続けてきた。

昨年8月末から凌河君は毎週1回、母親らと一緒に練習を続けている。演奏する前に太鼓を触り大きさを測ってからたたく。最近は自宅のパソコンで太鼓演奏のDVDを聞きながら練習している。「風舞」の根本代表は「基本的な打ち方ができているので、他のメンバーと遜色ない」と話し、「明るい性格の凌河君が太鼓に打ち込む姿に、逆にメンバーが励まされている」と語る。

21日の「太鼓の祭典」では2曲を演奏し大太鼓とやぐら太鼓をたたく。凌河君は「上手にできれば」とし「野球をやっていたので大きな声を出したい」と意気込みを話す。舞台では母親とも初共演する。

卒業後は全寮制の筑波大付属盲学校(東京都文京区)に進学する予定だ。「点字を学び歩行訓練を習得したい。大学に進学し、音楽が好きなので将来は歌手になることを目指している」と夢を語る。

藤代南町内の公園で新春ふれあいどんど焼き

水曜日, 1月 18th, 2012

i-20120117

取手市野々井白山神社で行われた「おびしゃ」

火曜日, 1月 17th, 2012
豊作願い 取手で「おびしゃ」開催 ~産経新聞20110116~
利根川沿いで新年の農村の神事として伝わる「おびしゃ」が15日、取手市野々井の白山神社で行われ、今年の豊作を祈願した。
おびしゃは、「御歩射(おぶしゃ)」がなまったものといわれ、馬に乗って弓を射る「流鏑馬(やぶさめ)」に対し、立つか座って弓を射て、その年の豊作や凶作を占うもの。
この日は、野々井地区の住民約40人が見守るなか、境内2カ所で、神主が害鳥に見立てたカラスの絵が描かれた的や空に向かって弓を放ち、的中のたびに歓声が上がった。

豊作願い 取手で「おびしゃ」開催 ~産経新聞20110116~

利根川沿いで新年の農村の神事として伝わる「おびしゃ」が15日、取手市野々井の白山神社で行われ、今年の豊作を祈願した。

おびしゃは、「御歩射(おぶしゃ)」がなまったものといわれ、馬に乗って弓を射る「流鏑馬(やぶさめ)」に対し、立つか座って弓を射て、その年の豊作や凶作を占うもの。

この日は、野々井地区の住民約40人が見守るなか、境内2カ所で、神主が害鳥に見立てたカラスの絵が描かれた的や空に向かって弓を放ち、的中のたびに歓声が上がった。

五穀豊穣など祈る 取手の神社で神事 ~東京新聞20120116~

取手市野々井の白山神社で十五日、子孫繁栄を願う「もっくり、しゃっくり」と五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する「おびしゃ」の神事があった。

拝殿では、裃(かみしも)に帯刀姿の男児が二組に分かれ、大人たちの「もっくり、しゃっくり、ずーい」の掛け声に合わせてお神酒をささげると、神職が混ぜ合わせて飲み干し、子孫繁栄を祈願した。

続いて境内で、神職が上空とカラスを描いた的を目がけて八本の矢を放つ「おびしゃ」が行われた。矢や的を手にすると「豊作間違いなし」の伝えがあり、氏子たちは先を争うように拾っていた。

取手にサッカー場を 県と市に建設要望

火曜日, 1月 17th, 2012
取手市少年少女サッカー連盟:取手にサッカー場を 県と市に建設要望 /茨城
「取手市少年少女サッカー連盟」(山本康樹会長、約450人)が16日、少年サッカー場を同市に建設するよう求める要望書を、6051人の署名を添え、県と市に提出した。藤井信吾市長は「県と協議し前向きに検討する」と応えた。
要望書は、取手市には少年サッカー場がなく、試合会場の確保が困難なので、北浦川緑地公園に整備中の広場をサッカー場として整備。雨天でも使用できる人工芝で、照明設備を完備してほしい--などとなっている。
取手市は鹿島アントラーズと柏レイソルの本拠地の中間点に位置し、子供から大人までサッカー熱は高い。山本会長は「公式戦で大人が使えるサッカー専用コート(105メートル×68メートル)を設けてほしい」と話した。藤井市長は「市内初の公式サッカー場の設置になるので全力で取り組みたい」と述べた。

取手市少年少女サッカー連盟:取手にサッカー場を 県と市に建設要望 ~毎日新聞20120117~

「取手市少年少女サッカー連盟」(山本康樹会長、約450人)が16日、少年サッカー場を同市に建設するよう求める要望書を、6051人の署名を添え、県と市に提出した。藤井信吾市長は「県と協議し前向きに検討する」と応えた。

要望書は、取手市には少年サッカー場がなく、試合会場の確保が困難なので、北浦川緑地公園に整備中の広場をサッカー場として整備。雨天でも使用できる人工芝で、照明設備を完備してほしい--などとなっている。

取手市は鹿島アントラーズと柏レイソルの本拠地の中間点に位置し、子供から大人までサッカー熱は高い。山本会長は「公式戦で大人が使えるサッカー専用コート(105メートル×68メートル)を設けてほしい」と話した。藤井市長は「市内初の公式サッカー場の設置になるので全力で取り組みたい」と述べた。

曇り空 今日のダイヤモンド富士はお預け

月曜日, 1月 16th, 2012

書類の締切で頭がいっぱいで

お楽しみ ダイヤモンド富士の撮影をすっかり忘れていました(笑)

撮影された方の写真が新聞に掲載されて嬉しくなりました

さもない楽しみの一つです

~朝日新聞20120116~

取手から見る「ダイヤモンド」
2012年01月16日
沈む太陽が山頂にかかった「ダイヤモンド富士」
富士山頂に太陽が重なる「ダイヤモンド富士」を、取手市の石毛和則さん(81)が13日夕、カメラに収めた。写真愛好家の仲間から「きょう、あすが見ごろ」と教えられ、同市野々井にある7階建ての「Mビル」の踊り場に向かった。大気が澄み、撮影に成功したときは、思わず「やったー」と拳を握ったという。

取手から見る「ダイヤモンド」

富士山頂に太陽が重なる「ダイヤモンド富士」を、取手市の石毛和則さん(81)が13日夕、カメラに収めた。写真愛好家の仲間から「きょう、あすが見ごろ」と教えられ、同市野々井にある7階建ての「Mビル」の踊り場に向かった。大気が澄み、撮影に成功したときは、思わず「やったー」と拳を握ったという。

a-20110116

Dr.中川のがんの時代を暮らす

日曜日, 1月 15th, 2012
Dr.中川のがんの時代を暮らす:21 「人日の節句」に思う
お正月のごちそうやお酒で胃腸の調子がよくない、という読者の人も少なくないかもしれませんが、そろそろ、おとそ気分から抜け出さないといけません。
昔の日本人にも、正月に食べ過ぎた人は多かったのでしょう。松の内が明ける1月7日の朝に、おせち料理とは打って変わって質素な「七草粥(がゆ)」を食べる風習が、江戸時代に広がりました。もともとは中国から伝わったものだそうですが、正月中のごちそうによる胃の負担をやわらげてくれますし、青菜はビタミンが豊富で、栄養バランスを整える効果もあります。野菜はがんを予防しますし、動物実験でも飽食状態のネズミは長生きできないというデータがありますから、理にかなった生活の知恵といえるでしょう。
1月7日は「人日の節句」とも呼ばれ、江戸時代に定められた五節句の一つです。他に桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)があります。1月7日は文字通り「人の日」で、過去1年の厄払いをして、新しい1年の無病息災と招福、長寿を願う日とされます。
七草粥のせいではないでしょうが、日本人は、男女あわせた平均寿命が83歳と、世界一の長生きになりました。幕末の日本人の平均寿命は40歳程度でしたから、明治以来の140年あまりで、平均寿命は2倍以上となったわけです。
私たち日本人は、古来の「長寿の願い」を実現しましたが、がんを急増させることにもなりました。世界一の長寿と引き換えに、日本は世界一の「がん大国」となったといえます。
がん細胞は、DNAに傷が積み重なることによって細胞が「不死化」したものですから、毎日発生するがん細胞の数は年齢とともに増えます。免疫細胞が、毎日できるがん細胞を水際で殺してくれていますが、この免疫力は年齢とともに衰えます。がんは一種の老化現象のため、高齢化が進むほど、がん患者は増えるわけです。
65歳以上が人口全体に占める割合は、現在23%程度ですが、2025年は3割、55年には4割を超えると予想されます。つまり、私たち日本人は、国民の過半数が、がんを経験する「がんの時代」を迎えることになります。
Dr.中川のがんの時代を暮らす:22 「人生の仕上げ」の時間
北朝鮮の金正日総書記が先月17日に急死し、大きなニュースとなりました。父親の金日成主席と同じ心筋梗塞(こうそく)が死因と伝えられています。しかし、予期せぬ死だったため、20代後半とされる金正恩氏への政権のバトンタッチは薄氷を踏むかのようです。
伝えられている通りであれば、金総書記の死は「ピンピンコロリ」、日本人にとっても「理想的な死に方」と言われます。がんで長く苦しむより、直前までピンピン元気でコロリと息を引き取りたいというわけです。確かに、最期まで死を全く意識せずに生きることはできますが、これでは亡くなる本人も、残される周囲も「準備」ができません。
一方、がんであっても、心身の苦痛を取り去る「緩和ケア」を適切に行えば、亡くなる直前まで普通に暮らすことが可能になります。さらに、がんという病気が患者の皆さんの人生をより深めてくれるようにも思います。これは、がん患者の皆さんの死生観を調査した僕の研究結果でも明らかになっています。
がんの場合、「もう治らない」と分かってからも、年単位の時間が残ります。逆に言えば、がんによって「予見される死」は、「人生の仕上げ」の時間を与えてくれるといえます。
昨年10月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は、最初の手術を受けた1年後の2005年に、米スタンフォード大で有名な講演をしました。
「私は毎朝、もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうかと自問する。もし、『ノー』の日が続くなら、生き方を見直す必要がある。死を思うことが、重大な決断を下すときに一番役立つ。なぜなら、希望やプライド、失敗への不安などは、すべて死の前には何の意味もなさないからだ」
ジョブズ氏は、亡くなる前日も、現最高経営責任者のティム・クック氏と電話で次期製品の打ち合わせをしたと言います。死に向き合いながらも、やりたいことを続けたその生きる姿勢が、一度は倒産の危機にひんしたアップル社を、時価総額世界一に導いたのだと思います。がんという病気になったことも、彼に世界を変える力を与えたのだと確信しています。

Dr.中川のがんの時代を暮らすは、毎日新聞日曜日に連載中です。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:21 「人日の節句」に思う

お正月のごちそうやお酒で胃腸の調子がよくない、という読者の人も少なくないかもしれませんが、そろそろ、おとそ気分から抜け出さないといけません。

昔の日本人にも、正月に食べ過ぎた人は多かったのでしょう。松の内が明ける1月7日の朝に、おせち料理とは打って変わって質素な「七草粥(がゆ)」を食べる風習が、江戸時代に広がりました。もともとは中国から伝わったものだそうですが、正月中のごちそうによる胃の負担をやわらげてくれますし、青菜はビタミンが豊富で、栄養バランスを整える効果もあります。野菜はがんを予防しますし、動物実験でも飽食状態のネズミは長生きできないというデータがありますから、理にかなった生活の知恵といえるでしょう。

1月7日は「人日の節句」とも呼ばれ、江戸時代に定められた五節句の一つです。他に桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)があります。1月7日は文字通り「人の日」で、過去1年の厄払いをして、新しい1年の無病息災と招福、長寿を願う日とされます。

七草粥のせいではないでしょうが、日本人は、男女あわせた平均寿命が83歳と、世界一の長生きになりました。幕末の日本人の平均寿命は40歳程度でしたから、明治以来の140年あまりで、平均寿命は2倍以上となったわけです。

私たち日本人は、古来の「長寿の願い」を実現しましたが、がんを急増させることにもなりました。世界一の長寿と引き換えに、日本は世界一の「がん大国」となったといえます。

がん細胞は、DNAに傷が積み重なることによって細胞が「不死化」したものですから、毎日発生するがん細胞の数は年齢とともに増えます。免疫細胞が、毎日できるがん細胞を水際で殺してくれていますが、この免疫力は年齢とともに衰えます。がんは一種の老化現象のため、高齢化が進むほど、がん患者は増えるわけです。

65歳以上が人口全体に占める割合は、現在23%程度ですが、2025年は3割、55年には4割を超えると予想されます。つまり、私たち日本人は、国民の過半数が、がんを経験する「がんの時代」を迎えることになります。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:22 「人生の仕上げ」の時間

北朝鮮の金正日総書記が先月17日に急死し、大きなニュースとなりました。父親の金日成主席と同じ心筋梗塞(こうそく)が死因と伝えられています。しかし、予期せぬ死だったため、20代後半とされる金正恩氏への政権のバトンタッチは薄氷を踏むかのようです。

伝えられている通りであれば、金総書記の死は「ピンピンコロリ」、日本人にとっても「理想的な死に方」と言われます。がんで長く苦しむより、直前までピンピン元気でコロリと息を引き取りたいというわけです。確かに、最期まで死を全く意識せずに生きることはできますが、これでは亡くなる本人も、残される周囲も「準備」ができません。

一方、がんであっても、心身の苦痛を取り去る「緩和ケア」を適切に行えば、亡くなる直前まで普通に暮らすことが可能になります。さらに、がんという病気が患者の皆さんの人生をより深めてくれるようにも思います。これは、がん患者の皆さんの死生観を調査した僕の研究結果でも明らかになっています。

がんの場合、「もう治らない」と分かってからも、年単位の時間が残ります。逆に言えば、がんによって「予見される死」は、「人生の仕上げ」の時間を与えてくれるといえます。

昨年10月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は、最初の手術を受けた1年後の2005年に、米スタンフォード大で有名な講演をしました。

「私は毎朝、もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうかと自問する。もし、『ノー』の日が続くなら、生き方を見直す必要がある。死を思うことが、重大な決断を下すときに一番役立つ。なぜなら、希望やプライド、失敗への不安などは、すべて死の前には何の意味もなさないからだ」

ジョブズ氏は、亡くなる前日も、現最高経営責任者のティム・クック氏と電話で次期製品の打ち合わせをしたと言います。死に向き合いながらも、やりたいことを続けたその生きる姿勢が、一度は倒産の危機にひんしたアップル社を、時価総額世界一に導いたのだと思います。がんという病気になったことも、彼に世界を変える力を与えたのだと確信しています。

つくば市古民家で味わうエスニック料理「塩梅」

日曜日, 1月 15th, 2012

塩梅って好きな言葉です

調べたらいろんな意味がありそうです

茨城新聞日曜版テイストに紹介された、つくば市古民家で味わうエスニック料理「塩梅

完全予約制の野菜を中心にしたお店です

「まぁ ^ ^*好み(爆)」

~茨城新聞20120115~

 塩梅

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伝統行事 

土曜日, 1月 14th, 2012

西風が強く吹くさむーい1日でした

元気に駆け回る人々に圧倒されました

第45回とりで利根川たこ揚げ大会

とりで利根川たこ揚げ大会

とりで利根川たこ揚げ大会

とりで利根川たこ揚げ大会

市内各地でどんど焼きが行われました

第42回とりで利根川たこ揚げ大会や野々井地区あわんとり・相馬第3地区あわのとり

明日は、戸頭地区あわんとり(戸頭公園)も行われます

知らないだけであちらこちらで伝統行事が行われています

微妙に言い回しが違うので混乱してしまいます

下高井地区あわんとりにはだるま屋さんも出店準備中

下高井あわんとり (5)

下高井あわんとり (6)

下高井あわんとり

下高井あわんとり (3)

下高井あわんとり (4)

無病息災 炎に祈る 茨城
2012.1.15 02:41
小正月の行事として全国的に行われているどんど焼きをメーンにした「どんどまつり」が14日、取手市取手の利根川河川敷にある取手緑地運動公園で開かれ、市民らが1年間の無病息災などを祈願しながら餅を焼いて食べた。
どんど焼きは、青竹などでやぐらを作り、正月飾りなどを燃やし、その火で餅を焼いて食べ、無病息災や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る民間伝承行事。同公園には、正月飾りなどが高さ約8メートルに積み上げられ、藤井信吾市長が点火すると一気に炎が上がった。火の勢いが収まると、市民らが餅を刺した長さ約3メートルのシノ竹を火にかざして餅を焼いていた。

無病息災 炎に祈る ~産経新聞20120115~

小正月の行事として全国的に行われているどんど焼きをメーンにした「どんどまつり」が14日、取手市取手の利根川河川敷にある取手緑地運動公園で開かれ、市民らが1年間の無病息災などを祈願しながら餅を焼いて食べた。

どんど焼きは、青竹などでやぐらを作り、正月飾りなどを燃やし、その火で餅を焼いて食べ、無病息災や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る民間伝承行事。同公園には、正月飾りなどが高さ約8メートルに積み上げられ、藤井信吾市長が点火すると一気に炎が上がった。火の勢いが収まると、市民らが餅を刺した長さ約3メートルのシノ竹を火にかざして餅を焼いていた。