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移動可能な小型授乳室 取手市藤代庁舎 県内自治体で初設置

月曜日, 12月 17th, 2018

移動可能な小型授乳室 取手市藤代庁舎 県内自治体で初設置
2018年12月15日(土)

設置された可動式の小型授乳室「mamaro」=取手市役所藤代庁舎設置された可動式の小型授乳室「mamaro」=取手市役所藤代庁舎
移動可能な小型授乳室「mamaro(ママロ)」が、取手市藤代の市役所藤代庁舎に設置された。子育て世帯が多く訪れる藤代庁舎で利便性を高める狙い。開庁時間内であれば授乳やおむつ替えなどで自由に利用できる。県内の自治体への設置は初めて。

授乳室はスライド式のドアが付いた完全個室。室内は高さ1・85メートル、面積1・28平方メートルで、折り畳んだベビーカーも持ち込める広さ。ソファに座って授乳やおむつ替えができる。利用時間は1人最大20分。

授乳室は育児関連サービスを提供する「Trim(トリム)」(横浜市)が開発。室内には映像モニターがあり、子育てに役立つ行政情報や協賛企業の広告が流れる。広告料で設置費用や月々の電気代を負担する仕組み。

藤代庁舎では窓口や地域子育て支援センターがあり、親子連れの利用も多い。市藤代総合窓口課の担当者は「授乳の場合、地域子育て支援センターを案内しているが、センターが開いていない時間もあった。予算を伴わず庁舎の皆で使えるようになる」と利便性向上に期待していた。

74歳で英検合格

月曜日, 12月 17th, 2018

女の気持ち 英検合格 
毎日新聞2018年12月16日 

 来年の初詣で安全祈願とご報告をします。以前お願いした英検3級の合格がかないました。

 中学生の教科書を3年間、区報で見た英会話教室に通って1年半、後期高齢者を目前にした猛勉強でした。今年8月に受検を申し込んでから過去問題集を合計3冊解きました。だんだんに正解率は上がったもののイマイチでした。10月にダメもとで受検。驚いたことに今までで最高の出来でした。運が良かったのでしょう。

 難問は2次の面接試験でした。合格が想定外だったので準備がなかったのです。そこで最短7日でできる完全予想問題集を購入、英会話教室の先生に頼んで特訓しました。面接の日、受検者は見渡す限りほぼ中学生で、私はおそらく最高齢。緊張の面持ちで待っていると私の次の受検者と目が合いました。

 小学生と思われる賢そうな少女でした。一瞬の間を置き、彼女がまっすぐ私の目を見て言いました。「頑張りましょうね!」。私は声も出ずただガッツポーズで答えました。面接官は若いイケメンでした。

 気分を良くした私でしたがアッという間に5分で終わりました。ダメかもしれない。日常が上の空で合格発表を待ちました。するとなんと、ギリギリで合格したのです。神様のお陰というほかはありません。

 実力が伴わないため、1月半ばからフィリピンにシニア語学留学を予定しております。かの地で困った時には天にお祈りしようと思います。空はつながっているのだから。

PLSスマイルクラブの就労支援施設「ほほえみ」

土曜日, 12月 15th, 2018

県障害者技能競技大会
縫製、取手の加藤さんが優勝 市長に報告 全国の推薦候補に 
毎日新聞2018年12月14日 

 1日に開催された県障害者技能競技大会(県など主催)の縫製競技(知的障害)で優勝した取手市の加藤聡さん(46)が12日、同市役所を訪れ、藤井信吾市長に報告した。加藤さんは昨年の県大会でも3位に入る実力者で「今年は自信があり、優勝できてうれしい」と話した。

 加藤さんは普段、NPO法人・PLSスマイルクラブの就労支援施設「ほほえみ」(同市小文間)でバッグなどの製作に当たる。施設長で指導に当たる小林知江さん(67)の勧めで2年前に縫製を始め、腕を上げた。小林さんは「手先が器用で集中力がある」と評価する。

 県大会で事前に示された課題はフリル付きの右半身のエプロンだった。加藤さんは1カ月前から毎日、3枚ずつミシンを使って練習。「フリルの両端を糸で引っ張って間隔をそろえるのが大変だった」と振り返る。

 大会で製作したエプロンを見た藤井市長は「素晴らしい出来栄えだ」と称賛した。加藤さんは来年秋に愛知県で開催予定の全国障害者技能競技大会の推薦候補者となった。

これから始まる青春の午後

金曜日, 12月 14th, 2018

女の気持ち 還暦ガールズ

毎日新聞2018年10月17日 東京朝刊

複雑な気持ちで待っていためでたい還暦の朝は、いつもと変わりなく、普通にやってきた。

祖父母の還暦祝いは、祖父母のきょうだいと子どもたちと孫たち総勢50人が参加して、大きな会場で開いたと記憶している。着物姿の祖父母に赤いちゃんちゃんこはよく映え、プロの写真撮影もあったと思う。

父母の時代は、私たち子どもが計画し、孫も招いて15人程度の席を設け、皆でお祝いしたものだ。ネクタイを締め背広を着た父にもまた、赤いちゃんちゃんこは似合っていた。

さて地元の仲間たちでつくる我が「還暦ガールズ」は、背中の開いた赤いカクテルドレスでも着ようかと、数年前から計画をしていた。しかし、私たち還暦ガールズを取り巻く環境は日々変化し続け、家を空けることもままならぬ介護中の嫁もいれば、孫のおもりに追われ、夫が入院中の者もいる。

当初の計画とはだいぶ変わったが、皆で会うことに意味があるので、何かあってもすぐ飛んで帰れる近場の温泉に1泊することで祝いの会を決行した。

道中でもホテルでも食事中も休むことなくしゃべりっぱなしのガールズだった。これから新しい仕事を始めようとするガール、新しい人と人生を歩むガール。これからひとりの人生を送るガール。特に何もない私は、チコちゃんじゃないけれど「ボーッと生きてんじゃねーよ」と言われるような数年間だった。

これから始まる青春の午後に乾杯。ありがとう、みんな。

 

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ふたご座流星群を見逃した でもとっても気持ちいい朝

そして夜

初めてのTボーン

ヒレとサーロインってこんな風についているの?

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あこがれのトースターを「ありがとう」

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まだ使えるな。

クラッシックさがかわいくて買ったトースター

どうしよう・・・

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ひと昔前までは、60歳と言えば長寿でした。

「赤ちゃんに還る」というところから来ている「還暦」。

昔、魔除けとして産着に赤が使われていたことから生まれた時に還る「還暦」に

赤い衣服を贈る習慣あるって聞いたけど。

まさか自分が・・・・

「赤ん坊」「赤ちゃん」など新生児は赤を連想させる物が多いね。

干支を一周したdakkoさん

次なるステージで羽ばたきます(笑)

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次の日友人と🍻

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男の気持ち 先送り

木曜日, 12月 13th, 2018

男の気持ち 先送り 
毎日新聞2018年12月13日

 老いの坂をあえぎあえぎ上ってきたら、耳は遠くなる、目はかすむ、足はぐらつく、排せつもスムーズとはいかなくなる、物忘れや判断ミスも多くなる。そこであっちこっちに医者通い。国の財政の貸借対照表の負債の部に少なからざる額を計上させている。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 子どもはみな独立し、認知症の妻も近くグループホームに入所する予定で、用なし半兵衛となる。用なしに体の不調が加わり生きる意欲がうせてきた。それなら医者通いをやめて死を待てばよさそうだが、生来の臆病者で死に際の苦しみ痛みに耐える根性がない。薬を飲んでヒクヒクと生き永らえ、死が来るのを先送りしている。

 先送りといえば、頭のいい国会議員の先生方は借金財政に目をつむり、もっぱらばらまき行政に精を出し、孫子の代に借金のつけを送っている。だから頭の悪い小生だって、「薬漬けで死を先送りしているのはやむを得ないのだ」と、へりくつをこねている。

 死に際の痛みを避けることができる安楽死を認めてもらえれば、と思う昨今である。18歳に選挙権を与えているのだから、80歳を過ぎたら「長生きに免じて安楽死権を付与してくれたら」と思うことしきり。

 終わりよければ全てよし、と言うが最期になって死に際の痛みに苦しめば全てよし、とはならない。何はともあれ、安楽死を認める法律ができればいいなあ……と思いながら、ボーッと生きている。

被爆ピアノ 取手の小学校で演奏会

木曜日, 12月 13th, 2018

被爆ピアノ 調べに平和の尊さ考える 取手の小学校で演奏会 
毎日新聞2018年12月13日 

 広島の原爆で被爆し再生されたピアノの演奏会が12日、取手市下高井の市立永山小学校で開かれ、全校児童約400人が鑑賞した。被爆ピアノを修復した広島市のピアノ調律師、矢川光則さん(66)が平和の尊さについて講演。詩の朗読や演奏の後、全校児童が合唱した。児童がこのピアノで伴奏する貴重な体験をした。

 同小で演奏されたのは80年前に製造されたヤマハのアップライトピアノ。爆心地から約3キロの民家にあり、爆風による傷が残る。矢川さんはこのピアノを含めて広島で被爆した6台を修復し所有。全国各地で音色を奏で、昨年のノーベル平和賞授賞式でも演奏された。「被爆ピアノは全国で約2000回のコンサートに呼ばれ、平和の種まきをしている。平和の尊さを考える良いきっかけになると思う」と語りかけた。

 歌手の南寿あさ子さんがベートベンの「悲愴」を演奏。児童の合唱では、同小6年の渡辺友莉乃さん(12)と5年の梅津くるみさん(11)がこのピアノで伴奏した。梅津さんは「平和だからみんな笑顔でいられる。戦争はしてはいけない」と話していた。

 演奏会は来年に撮影が計画されている映画「被爆ピアノ」の支援団体と、映画監督の五藤利弘さん(50)が主催した。

高齢者の就労企業支援 取手市

木曜日, 12月 13th, 2018

茨城新聞 2018121320181213-i

田中酒造店やねうら画廊で絵画展「やねうらの猫たち」開催中

水曜日, 12月 12th, 2018

絵画展 画家の傍嶋さん、猫描く 取手・屋根裏の画廊 
毎日新聞2018年12月12日 地方版

 取手市取手2の「田中酒造店」2階「やねうら画廊」で、同市在住の画家、傍嶋賢さん(39)の絵画展「やねうらの猫たち」が開かれている。画廊は文字通り屋根裏を活用した空間。階段を上ると、さまざまな表情の猫たちが出迎えてくれる。

 イギリス、フランス、ドイツなどの観光名所などが背景に描かれ、これらの国を猫が旅するイメージの20点を展示。傍嶋さんは「屋根裏の猫たちの海外に行ってみたいという願望を描いた」と話す。24日まで(17日休み)。午前10時~午後5時。

NGO未来の子どもネットワーク

水曜日, 12月 12th, 2018

クリスマス
贈り物を 龍ケ崎・困窮家庭の子の支援団体、食料やおもちゃ寄付募る 
毎日新聞2018年12月12日 

 龍ケ崎市の「NGO未来の子どもネットワーク」は25日のクリスマスに、市内の15歳以下の子どもがいる世帯に、食料やおもちゃを詰め込んだプレゼントを届ける。給食のない冬休み中、特に生活が困窮する子育て世帯を支援するのが目的で、プレゼントの箱に詰め込む食料やおもちゃなどの寄付を広く求めている。

 当日は、この団体のスタッフや同市の民生委員・児童委員らがサンタクロース姿となり、市内の15歳以下の子どもがいる100世帯を直接訪問し、プレゼントを手渡す。

 この団体は2013年から、生活困窮家庭の子どもたちを対象にした子ども食堂「いい場所みらサポ」を開いているほか、給食のない週末や、夏、冬休み期間中、食品を詰め合わせた「宅食配」を届けている。代表理事の笠井広子さん(59)が昨年クリスマス、車で子どもを自宅に送ったところ、親がいない真っ暗な家に入るのを見て、クリスマスプレゼントを発案した。

 配達先となる100世帯は、学校を通じて生活保護や就学援助を受ける計約600世帯宛てに希望を募り、申し込みを受けた。

 笠井さんは「生活に精いっぱいでサンタからプレゼントが届かない子どもたちがいっぱい食べられるよう、食べ物を出し合ってほしい」と寄付を呼びかけている。

 寄付を求める食品は、お菓子や缶詰、レトルト食品などで、消費期限来年1月末までのもの。おもちゃも受け付ける。子どもネットの事務局は同市城ノ内3の2の2、(0297・62・8932)。

追悼アカウント

日曜日, 12月 9th, 2018

セカンドステージ
デジタル終活 手続き知り死後交流の場に
毎日新聞2018年12月9日 東京朝刊

日常のさまざまなできごとを会員制交流サイト(SNS)に記録している人は多い。死後も公開するか、あるいは削除するか。利用者本人の遺志が大切だが、家族には故人と「会える」場になる。生前に必要な手続きを知っておきたい。

生前の思い出残す

「本日、主人が永眠しました。辛(つら)い闘病生活でしたが、本人も家族も精一杯頑張りました」。2013年12月26日、パート従業員の高橋裕美さん(50)は、出版社社員だった夫・信頼さん(享年48)のフェイスブック(FB)に投稿した。

信頼さんは13年11月初旬、海外出張中に体調を崩し、帰国後に入院。病状は一進一退が続き、思わしくなかった。「夫の友人、知人に伝えなければ」と考えた裕美さんは、信頼さんが最近、「FBで高校時代の友人とつながった」と喜んでいたのを思い出した。裕美さん自身も「たくさんの人とつながれる」と信頼さんに勧められてFBを始め、友達とのやりとりを楽しんでいた。

信頼さんのページに入院したことを書き込み、誰でも読めるように、ウェブ上で投稿を見せる範囲を「公開」にした。FBは投稿ごとに、その投稿を見せる範囲が選べる。

すぐに心配や励ましのコメントが寄せられ始め、亡くなった時の投稿に対する友人らからの書き込みは248件に上った。コメントのほか、それぞれが信頼さんと撮った写真を投稿したり、仕事の思い出を振り返ったり、多くの友人、知人がFB上で悼んだ。

亡くなって今月で5年。命日や誕生日に、信頼さんをしのぶ投稿は続いている。信頼さんは生前、裕美さんが作った弁当や夕食の写真をうれしそうに投稿していた。過去の出来事がランダムに自分のページに表示されるFBの機能を通じて、信頼さんの投稿が思いがけず、裕美さんの目に触れることもあるという。裕美さんは「夫が生きていた証しのように感じる。時々でも皆さんに思い出してもらえたらうれしい。いつか孫が生まれたら見せたい」と話す。

このようにFBは利用者の死後もアカウント(登録情報)を維持できる。ただし名称は「追悼アカウント」に変わり、利用者名の頭に「追悼」の文字が付く。追悼アカウントは「亡くなった人の思い出を共有する場」として07年に始まった。亡くなった利用者の家族や友人らが、追悼アカウントへの移行を申請できる。

追悼アカウントになると、故人がFBに載せていた写真や投稿は公開され続ける。友達は追悼アカウントのページに投稿できるが、ログイン(利用者としてサービスを使うこと)は誰もできない。

生前に本人が追悼アカウント管理人(追悼アカウントの世話をする人)を指定していた場合、管理人は友達リクエストに応じたり、プロフィール写真を更新したりできる。ただし、過去の投稿や写真の削除はできず、故人と誰かの個人間のやりとり(メッセージ)を読むこともできない。

日本で追悼アカウントの管理人を生前に指定できる機能が使えるようになったのは、信頼さんが亡くなって約1年半後の15年5月だ。「死後のことなんて考えていなかったと思う」と裕美さんは振り返る。葬儀の希望などを冗談交じりに話し合ったことはあったが、パソコン、スマートフォンについては聞いていなかった。機器は亡くなった時のままにしている。裕美さんは言う。「家族としてはパソコンの中を見たい気持ちはある。でも、本人は家族に知られたくないことがあるかもしれない。これで幸せだったかもしれませんね」。裕美さん自身も病気で余命を知ったらFBで伝え、死後のアカウント管理は娘に頼むつもりだ。

削除はFBに要望

故人のアカウントを削除したい時はどうするか。故人との家族関係を証明する書類などを添えて、FBの専用フォームで要望する。故人が投稿したデータのダウンロードを希望する場合も同じ。ただし、故人が事前にデータの削除を希望していた場合は、本人の遺志が優先される。

同様のしくみは他のサービスにもある。グーグルも利用者が亡くなった場合などを想定し、アカウントを無効にしてメールや写真の保存といったサービス全般の利用をやめる条件を、利用者本人が生前、設定できる。

設定はパソコンでもスマホでも可能で、グーグルの「アカウント無効化管理ツール」のページで行う。このツール名で検索しよう。ただし、連絡用の携帯電話の番号を登録することが必須。アカウントを無効化していいか、最終的に確認するための連絡手段の一つになっている。

アカウントの無効化は、一定期間サービスを使わなかった場合に対象となる。期間は3カ月、6カ月、12カ月、18カ月の4区分から選ぶ。設定した期間の1カ月前に、携帯電話へのショートメールと登録されたメールアドレスによって、無効化していいか利用者に連絡が届く。

必要書類を用意

アカウントが使われていない旨を自動で知らせる設定や、利用者以外にメールや書類をダウンロードできる人などを設定することもできる。設定した一定期間サービスを使わないと、自分のアカウントを削除できる設定もある。

家族らが故人のアカウント削除やデータの取り出しを申請する場合は、専用フォームでグーグルに連絡する。死亡証明書などが必要になる。

ツイッターには利用者の死亡を想定したサービスはないが、家族らの希望によってアカウントを削除できる。専用フォームから申請すると、故人の死亡証明書や申請する人の身分証明書など、必要な書類について知らせるメールが届く。