取手避難所が今月末で閉鎖 ~常陽新聞2011.05.20~
南相馬市への帰宅者は2割
東京電力の福島第1原発の事故で、同県南相馬市などから120人が避難していた
取手市白山の取手競輪場選手宿舎の避難所が5月末で閉鎖となる。
19日現在の避難者は半数の57人。閉鎖後は、
4割が取手や龍ケ崎市内の民間アパートや雇用促進住宅、
URの集合住宅などに転居し新しい生活を始めるほか、
4割が次の避難先となる水戸や日立、つくば市などのホテルや旅館に移る。
南相馬市の自宅に帰宅できるのは2割にとどまるという。
同原発から20㌔圏内に自宅がある無職、佐藤誠治さん(69)は、
長男と2人で、次の避難先の水戸市内のホテルに移る。
事故当初、次男夫婦も含め家族7人で南相馬市内の避難所に避難していたが、
次男夫婦は新潟県内に避難し、家族は今もばらばらだ。
佐藤さん自身、避難所を転々とし、次の水戸のホテルが7カ所目となる。
事故後、長男は勤め先を解雇され、まだ次の仕事が見つかっていない。
現在、南相馬市内に建設中の仮設住宅に入居を申し込んでいるが、
いつ入れるのか分からない。
佐藤さんは「自分の家があるのに、いつ帰れるのか分からないのが一番不安」と話す。
取手競輪場で避難者の世話をする南相馬市職員の早川光彦さんによると、
帰宅する2割は、職場が再開した人と、60歳を超えた高齢者という。
小・中・高校生の子どもをもつ家族は全員が、
取手や近隣市に民間の賃貸住宅を借りて転居する。
避難所では食事なども無料で提供されたが、転居後は家財道具を自分でそろえ、
食材も自分で購入しなくてはならない。
東電から100万円の補償金と、日本赤十字から40万円の義援金が支給されたが、
「先が見えない中、経済的にも精神的にも大変」と早川さんは心を痛める。
避難所の閉鎖により、2カ月間、互いに支え合って生活してきた
120人はばらばらになる。
早川さんは「避難者に情報が行き渡らなくなるのが心配だ」と課題を話す。
国民健康保険証の期限が切れたときの手続きはどうするのかなど、
今後は市のホームページ(HP)で情報をチェックし、
必要書類などはHPからダウンロードして手続きをしなくてはならないという。
しかし津波でパソコンが流されたり、自宅に機器を置いてきたままの避難者が多く、
「これからは近くの公共施設のパソコンで各自が情報を取ってほしい」
と呼び掛けているという。
一方、受け入れてくれた取手市に対し「仕事探しから、
保険・年金の相談、市民ボランティアの協力まで、大変良くしていただいた」と強調。
2カ月を超える避難生活の中、ダンボール紙1枚で隔てられた
福島県内の体育館に避難している避難者の中には、
ストレスが高じ、けんかが絶えない避難所もあると伝えられる中、
トラブルなくやって来られたのは取手市のおかげだとし、
「将来、取手市職員になりたい」と言うようになった
中学3年生の女子生徒もいると明かす。