Posts Tagged ‘震災’
住宅地除染事業終了 取手市
金曜日, 10月 31st, 2014未投函はがきを提供して下さい
火曜日, 10月 7th, 2014未投函はがき 提供呼び掛け 県東部青年毎日会 毎日新聞 20141007
新聞販売店主らでつくる県東部青年毎日会(桑原克利会長)は、
東日本大震災で保護者を亡くした遺児の就学・進学を支援するために
毎日新聞社と毎日新聞東京社会事業団が創設した
「毎日希望奨学金」に参加している。
同会は募金活動の一環として、
書き損じなど未投函(とうかん)はがきの提供を呼び掛けている。
はがきを提供される方は、
同会事務局(〒310−0041水戸市上水戸2の4の26、毎日新聞水戸西部販売店)に
郵送か直接お持ち込みください。
問い合わせは同会事務局(029・224・6605)。
原発事故後放射性雲拡散状況 取手市
土曜日, 9月 6th, 2014福島原発事故 1週間後にも放射性雲 東北、関東へ拡散
毎日新聞 20140905夕刊
原発事故後2回の放射性プルーム拡散
東京電力福島第1原発事故後、上空に巻き上げられた放射性物質の雲状の塊
「放射性プルーム(放射性雲)」が、これまで知られていた
2011年3月15〜16日に加え、約1週間後の20〜21日にも、
東北・関東地方に拡散していく状況が、原子力規制庁と環境省による
大気汚染監視装置のデータ分析から裏付けられた。
1回目の放射性雲の影響で高くなった空間線量に隠れて、
2回目の放射性雲が見逃されていた地域もあった。
専門家は「データは住民の初期被ばく量を正確に見積もるのに役立つ」とみている。
放射性雲の拡散はこれまで、「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)を使った
コンピューター計算に各地の空間線量や航空機による観測データを突き合わせて推定してきた。
今回、環境省が各都道府県に設置している自動車の排ガスなどを常時監視する装置に着目。
東京大大気海洋研究所や首都大学東京などに依頼し、
大気中に浮遊するちりを1時間ごとに捕まえたろ紙を9都県約90カ所の測定局から回収して、
3月12〜23日分の放射性物質濃度を調べた。
その結果、福島市の一つの測定局では15日夜、
放射性セシウム137と134の濃度が1立方メートルあたり最大計45.5ベクレルを計測した。
16〜19日も、原発から放射性雲が出続けていた考えられるが、
西風で太平洋側に運ばれたため、大気中濃度は上がらなかったらしい。
その後、風向きが変わり、20日午後3時に同計104.1ベクレルに高まり、
その状況は21日朝まで続いた。
雨が降った15日は放射性物質が地表や家屋に沈着し、
空間線量が1時間あたり20マイクロシーベルト程度まで急上昇したため、
放射性雲が飛来したことが広く知られているが、雨が降らなかった20〜21日は、
既に高くなっていた空間線量計の値が目立って上昇しなかったため、
放射性雲が見過ごされてきたと考えられる。
関東地方では、15日と21日の2回、帯状に高濃度の放射性雲の拡散が確かめられた。
特に21日朝は茨城県南部や千葉県北東部で放射性セシウム濃度が急上昇。
その後、東京湾北東沿岸部へと南西に移動した。
その間、雨で沈着し、各地で「ホットスポット」と呼ばれる
局地的に線量の高い場所を作ったとみられる。
熊野那智大社で「那智の火祭」
火曜日, 7月 15th, 2014産経新聞 チャイム 20140715
世界遺産登録10周年を迎えた熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)で
14日、例大祭「
133mの落差を誇る那智の滝の前で迫力の乱舞を見せた。
『ラ・コアラ』のコンサート in 『バラくら』2014
金曜日, 5月 23rd, 2014チャリティOpen Garden『バラくら』2014が
2014.5.12から5.23まで、取手市駒場『バラくら』で開催されました。
満開のバラの香りに包まれて、ハーモニカ愛好会『ラ・コアラ』のコンサートが始まりました。
憂楽帳 不確かな基準
金曜日, 4月 11th, 2014憂楽帳 不確かな基準 毎日新聞 20140411夕刊
「基準って、意味ないですよね」
東日本大震災で福島県郡山市から東京都内に自主避難中の女性(50)が先月、震災3年を前にこぼしていた。
原発近くで暮らし続けた時の健康への影響は、国がどんな基準を示そうと、それを信じる人と信じない人がいる。
「結局は、個人の考え方。だから避難者同士でも話題にしにくいんです」
原爆症の認定問題を連想する。広島、長崎で浴びた放射線の量が国の認定基準で
「問題なし」とされた人も、高齢になってがんなどを発症する。
その中には被ばくとの因果関係がないケースもあるだろうが、否定するのは被爆者の人生から目を背けた気がしてならない。
担当記者だった時は「基準を改めて健康影響を幅広く認めるべきだ」との内容の記事を何本も書いた。
だが、これを福島の未来に当てはめると、住む人の不安を一層あおる結果になりかねない。
確実な「基準」をたぶん誰も示せない中、どうすれば安心につながる情報を伝えられるのか。
そのつど立ち止まり、悩みながら報道するしかない。
5月11日取手市桜が丘自治会館にて甲状腺エコー検査
金曜日, 3月 28th, 2014震災3年 風化させない いつまで続くの
木曜日, 3月 27th, 2014風化させない 震災3年
当事者編 5 福島県双葉町から取手市に避難、田村和子さん 毎日新聞 20140327
◇この状態いつまで続くの 田村和子さん
自宅の福島県双葉町は東京電力福島第1原発に近く、構内放送や作業員のラジオ体操も聞こえました。震災当日、孫の萌ちゃん(9)の幼稚園バスが家の前に着いた時、大地震に見舞われ、腰が抜けました。その夜は、夫、長女夫婦、孫3人で双葉中学校体育館で過ごしました。
その後、「放射能が漏れているから家に戻れない」と言われ、避難先を転々としました。震災前、東電は「原発は安全。事故は起きない」と言っていました。それがこんなことになるなんて。東電にはおごりがあったのではないでしょうか。
「放射能はどこまで飛ぶのか」「この先どうなるのか」と恐怖で泣くしかありませんでした。震災直後の3月下旬には妹のいる取手市に避難しましたが、長女の夫は福島県南相馬市に単身赴任しています。
取手では避難者交流団体の「取手・南相馬・双葉・浜通りの集い」に参加しています。震災鎮魂イベントで、たまたま孫の萌が書いたキャンドル入りの紙袋を見つけました。「みんなで力を合わせて、みんなの声を東北にとどけたい」と書かれていました。当時はすごくおびえていたのに、子どもなりにいろいろ考えていたのだと思いました。
3年がたっても原発事故は収束していません。それなのに、なぜ原発再稼働の議論が出てくるのかが分かりません。双葉町では地区の町民大会に参加したり、湯治に行ったりしました。まとまりのあった町がバラバラになってしまった。古里に戻りたくても戻れません。この状態はいつまで続くのでしょうか。