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被災地に着物を送ろうプロジェクト

日曜日, 7月 15th, 2012

被災地に着物を送ろう

そう呼びかけるお手伝いをしているのは、守谷市にある和服さくらさん

ブログより転用させていただきました。↓

気仙沼 たかはし 店主 高橋和江
昨年発生しました東日本大震災にて多くの方が被災し、大変苦しい生活を強いられることとなりました。しかし、そんな明日も知れぬ状況の中でも、津波によって汚されてしまった着物の修繕をしたいと、弊社の店舗には連日たくさんのお客様がいらっしゃいました。その時、かなりの方がご家族など大切な方の面影をその着物に映し出していることに出合いました。
その傍ら、津波によって着物道具一式をすべて流されてしまい、もう着物を着る機会は無い、と落胆されていらっしゃる方のなんと多いことか…。当店のスタッフもそのひとりです。ある日彼女がつぶやいた『…私はもう一生着物なんて着られない…』の言葉は私の胸に刺さりました。
私は震災から半年ほど経ったある日、そのスタッフに私の着物や帯を差し出しました。それも年中着られるように、季節ごとの着物と帯を、です。その時の彼女の驚き様と言ったらありません。途端に彼女の顔が満面の笑と変わり、さっそく草履を新調したのには驚き、心から嬉しく思いました。
その時強く感じたのは、きっと始めの一枚があれば、また前向きな気持ちになれる方もたくさんいるのではないか…ということです。
今やそれは確信に変わりました。
着物の力を最大限に使い、この未曾有の状況の中で少しでも元気になっていただくために皆様のタンスで眠っているお着物を差し出してはいただけないでしょうか。
本来着物が持つ人と人、世代と世代をつなぐ力と、日本人の着物に対する底知れぬ愛着心をここに再発見しつつ、被災地を通して着物文化の発展に貢献していけたらと考えております。
敬具

気仙沼 たかはし 店主 高橋和江

昨年発生しました東日本大震災にて多くの方が被災し、大変苦しい生活を強いられることとなりました。しかし、そんな明日も知れぬ状況の中でも、津波によって汚されてしまった着物の修繕をしたいと、弊社の店舗には連日たくさんのお客様がいらっしゃいました。その時、かなりの方がご家族など大切な方の面影をその着物に映し出していることに出合いました。

その傍ら、津波によって着物道具一式をすべて流されてしまい、もう着物を着る機会は無い、と落胆されていらっしゃる方のなんと多いことか…。当店のスタッフもそのひとりです。ある日彼女がつぶやいた『…私はもう一生着物なんて着られない…』の言葉は私の胸に刺さりました。

私は震災から半年ほど経ったある日、そのスタッフに私の着物や帯を差し出しました。それも年中着られるように、季節ごとの着物と帯を、です。その時の彼女の驚き様と言ったらありません。途端に彼女の顔が満面の笑と変わり、さっそく草履を新調したのには驚き、心から嬉しく思いました。

その時強く感じたのは、きっと始めの一枚があれば、また前向きな気持ちになれる方もたくさんいるのではないか…ということです。

今やそれは確信に変わりました。

着物の力を最大限に使い、この未曾有の状況の中で少しでも元気になっていただくために皆様のタンスで眠っているお着物を差し出してはいただけないでしょうか。

本来着物が持つ人と人、世代と世代をつなぐ力と、日本人の着物に対する底知れぬ愛着心をここに再発見しつつ、被災地を通して着物文化の発展に貢献していけたらと考えております。

敬具

さあこれからだ 新聞記事より

日曜日, 5月 20th, 2012
さあこれからだ:/30 あったかな心、つながる=鎌田實
毎日新聞 2012年05月19日 東京朝刊
心温まる話をしよう。
福島県石川郡平田村に、一般財団法人「震災復興支援放射能安全研究所」が設立された。田舎には場違いの研究所だが、次の世代を担う子どもたちを守るため、全身の内部被ばくを測定できるホールボディーカウンターや、食品や母乳の放射線量を検出できる高機能の検査機器が設置されている。
研究所は昨年10月中旬から今年3月末までの約5カ月半で、1万4111人の内部被ばくを検査してきた。来月には2台目のホールボディーカウンターを導入する。これまで日本では検査できなかった、小さな子どもの検査をできるようにしたいという。
ホールボディーカウンターは、1台で1億円を超す高額な機器だ。ぼくが21年間支援を続けているベラルーシ共和国のベトカという放射能汚染地域では、人口1万9000人の町にホールボディーカウンターが2台あったが、福島県には約200万人の県民がいるのに、ホールボディーカウンターはわずか10台ちょっとしかなく、ケタ違いに少ない。
そんななかで、民間の小さな研究所が2台ものホールボディーカウンターを設置した。18歳以下の子どもの内部被ばくの検査料は、なんと無料という。なかなかできることではない。
何でこんなことが、田舎の研究所でできるのか。実は、小さな、あったかな「気持ち」が、次々に連鎖を起こした結果なのだ。
研究所を設立したのは、医療法人誠励会。ひらた中央病院をはじめ、老人保健施設や老人ホーム、四つのデイサービスセンター、二つの診療所を経営している。福島第1原発事故以降、原発から30キロ圏内の施設や病院にいた寝たきりのお年寄りを、総力を挙げて受け入れてきた。
グループの病院には当時、120人近い患者が入院していたが、さらに169人、行き場所のない病気や障害をもったお年寄りを受け入れたのである。
昨年7月までの5カ月間は、戦場のようだった。リハビリ室などを仮の病室にし、待合室にベッドを置いたりした。もう限界と思いながらも、次から次へとやってくる患者を受け入れた。ピーク時は、スタッフの睡眠時間は1日2〜3時間という過酷な状態になった。
「困難に直面している人がいるのに、自分たちが手を差し伸べないわけにはいかない」
地域貢献のための、純粋なボランティアのつもりだったという。
この窮状をマスコミが報じた。医師や看護師や介護の専門家、一般の市民がボランティアとしてはせ参じた。その数は約400人。3カ月間もボランティアを続けてくれた看護師もいた。近隣の住民たちもお米や野菜を持ってきて、食事の手助けを買って出た。
「人の手が欲しいと思っているときに、全国から多くの人が応援に駆けつけてくれた。忘れることができない感動だった」という。全国から義援金も集まった。
これに対して、病院側がとった行動はすごい。
「30キロ圏内の障害老人たちを支えることができたのは、全国のたくさんの人たちの応援のおかげ。私たち医療法人の収入にしてはいけない」
あったかい。なかなかできないことだ。高額なホールボディーカウンターなどの機器を導入し、研究所を設立した熱い志に、ぼくは心を揺さぶられた。
財団の名誉理事長になってほしいと依頼された。通常はこういう話はお断りしているのだが、ぼくにできることなら一肌脱ぎたいと思った。忙しいぼくの健康を気づかう妻は「これ以上ボランティアするのは無理よ」と心配してくれた。それでも、一肌でも二肌でも脱ぎたいと思ったのだ。
これまで研究所で内部被ばくの検査をした人のうち、1キログラム当たり20ベクレル以上の内部被ばくが認められた人の割合は、10月1・24%、11月1・64%、12月1・84%、1月1・13%、2月0・45%、3月0・06%と、著明に減少している。
軽度の内部被ばくがあって再検査をした人は、18歳以下では92人いた。干し柿や山菜やイノシシの肉などが原因として考えられた。干し柿はチェルノブイリにはないので、新たに注意が必要だと思った。
食事の注意をすると、90人は明らかに放射線量が減少し、このうち84人は検出限界を下回った。ほぼゼロと考えていい。2人は横ばいだが、生活環境や習慣を見直しながら、3回目の検査を予定している。大人で20ベクレルを超えた14人は全員、再検査で放射線量が明らかに減った。
内部被ばくをしても、汚染されていない食品を食べていると、チェルノブイリでは90日で正常化すると言われた。この研究所には福島全県から患者が受診に来ているが、その多くは1〜2カ月間で正常化している。結果を怖がって検査を避けようとする人がいるが、見えない放射線に対処するためには、きちんと測定することが大切だ。
放射線とのつきあいは長期戦になる。放射線の「見える化」が大事だ。健康診断、内部被ばくの測定、食品の放射線測定を徹底しながら、子どもの命を守っていかなければならない。
民間の志のある研究所の取り組みは、原発事故という絶望のなかにともった、小さな明かりだ。この小さな明かりをともし続けるには、人の力も、資金も必要だ。次世代の子どもたちを守るためにも、この明かりを絶やさぬよう、多くの人たちに応援してほしい。

さあこれからだ あったかな心、つながる=鎌田實 ~毎日新聞20120519~

心温まる話をしよう。

福島県石川郡平田村に、一般財団法人「震災復興支援放射能安全研究所」が設立された。田舎には場違いの研究所だが、次の世代を担う子どもたちを守るため、全身の内部被ばくを測定できるホールボディーカウンターや、食品や母乳の放射線量を検出できる高機能の検査機器が設置されている。

研究所は昨年10月中旬から今年3月末までの約5カ月半で、1万4111人の内部被ばくを検査してきた。来月には2台目のホールボディーカウンターを導入する。これまで日本では検査できなかった、小さな子どもの検査をできるようにしたいという。

ホールボディーカウンターは、1台で1億円を超す高額な機器だ。ぼくが21年間支援を続けているベラルーシ共和国のベトカという放射能汚染地域では、人口1万9000人の町にホールボディーカウンターが2台あったが、福島県には約200万人の県民がいるのに、ホールボディーカウンターはわずか10台ちょっとしかなく、ケタ違いに少ない。

そんななかで、民間の小さな研究所が2台ものホールボディーカウンターを設置した。18歳以下の子どもの内部被ばくの検査料は、なんと無料という。なかなかできることではない。

何でこんなことが、田舎の研究所でできるのか。実は、小さな、あったかな「気持ち」が、次々に連鎖を起こした結果なのだ。

研究所を設立したのは、医療法人誠励会。ひらた中央病院をはじめ、老人保健施設や老人ホーム、四つのデイサービスセンター、二つの診療所を経営している。福島第1原発事故以降、原発から30キロ圏内の施設や病院にいた寝たきりのお年寄りを、総力を挙げて受け入れてきた。

グループの病院には当時、120人近い患者が入院していたが、さらに169人、行き場所のない病気や障害をもったお年寄りを受け入れたのである。

昨年7月までの5カ月間は、戦場のようだった。リハビリ室などを仮の病室にし、待合室にベッドを置いたりした。もう限界と思いながらも、次から次へとやってくる患者を受け入れた。ピーク時は、スタッフの睡眠時間は1日2〜3時間という過酷な状態になった。

「困難に直面している人がいるのに、自分たちが手を差し伸べないわけにはいかない」

地域貢献のための、純粋なボランティアのつもりだったという。

この窮状をマスコミが報じた。医師や看護師や介護の専門家、一般の市民がボランティアとしてはせ参じた。その数は約400人。3カ月間もボランティアを続けてくれた看護師もいた。近隣の住民たちもお米や野菜を持ってきて、食事の手助けを買って出た。

「人の手が欲しいと思っているときに、全国から多くの人が応援に駆けつけてくれた。忘れることができない感動だった」という。全国から義援金も集まった。

これに対して、病院側がとった行動はすごい。

「30キロ圏内の障害老人たちを支えることができたのは、全国のたくさんの人たちの応援のおかげ。私たち医療法人の収入にしてはいけない」

あったかい。なかなかできないことだ。高額なホールボディーカウンターなどの機器を導入し、研究所を設立した熱い志に、ぼくは心を揺さぶられた。

財団の名誉理事長になってほしいと依頼された。通常はこういう話はお断りしているのだが、ぼくにできることなら一肌脱ぎたいと思った。忙しいぼくの健康を気づかう妻は「これ以上ボランティアするのは無理よ」と心配してくれた。それでも、一肌でも二肌でも脱ぎたいと思ったのだ。

これまで研究所で内部被ばくの検査をした人のうち、1キログラム当たり20ベクレル以上の内部被ばくが認められた人の割合は、10月1・24%、11月1・64%、12月1・84%、1月1・13%、2月0・45%、3月0・06%と、著明に減少している。

軽度の内部被ばくがあって再検査をした人は、18歳以下では92人いた。干し柿や山菜やイノシシの肉などが原因として考えられた。干し柿はチェルノブイリにはないので、新たに注意が必要だと思った。

食事の注意をすると、90人は明らかに放射線量が減少し、このうち84人は検出限界を下回った。ほぼゼロと考えていい。2人は横ばいだが、生活環境や習慣を見直しながら、3回目の検査を予定している。大人で20ベクレルを超えた14人は全員、再検査で放射線量が明らかに減った。

内部被ばくをしても、汚染されていない食品を食べていると、チェルノブイリでは90日で正常化すると言われた。この研究所には福島全県から患者が受診に来ているが、その多くは1〜2カ月間で正常化している。結果を怖がって検査を避けようとする人がいるが、見えない放射線に対処するためには、きちんと測定することが大切だ。

放射線とのつきあいは長期戦になる。放射線の「見える化」が大事だ。健康診断、内部被ばくの測定、食品の放射線測定を徹底しながら、子どもの命を守っていかなければならない。

民間の志のある研究所の取り組みは、原発事故という絶望のなかにともった、小さな明かりだ。この小さな明かりをともし続けるには、人の力も、資金も必要だ。次世代の子どもたちを守るためにも、この明かりを絶やさぬよう、多くの人たちに応援してほしい。

星に願いを…小惑星に「岩手」「宮城」「浜通り」

木曜日, 5月 10th, 2012
星に願いを…小惑星に「岩手」「宮城」「浜通り」
東日本大震災で大被害を受けた地域を応援しようと、日本や米国の天文学者らが10個の小惑星に「岩手」「宮城」や「浜通り」(福島)など被災地にちなんだ名前を付け、国際天文学連合・小惑星センターに登録された。
国立天文台が9日、発表した。正式登録はアルファベット表記。他は「青森」「栃木」「茨城」「千葉県」「陸前高田」(岩手)「中通り」「会津」(福島)。
また大震災翌日の最大震度6強の地震で被害を受けた「栄村」(長野)と「津南町」(新潟)も小惑星の名前として登録された。

星に願いを…小惑星に「岩手」「宮城」「浜通り」 ~スポニチ20100510~

東日本大震災で大被害を受けた地域を応援しようと、日本や米国の天文学者らが10個の小惑星に「岩手」「宮城」や「浜通り」(福島)など被災地にちなんだ名前を付け、国際天文学連合・小惑星センターに登録された。

国立天文台が9日、発表した。正式登録はアルファベット表記。他は「青森」「栃木」「茨城」「千葉県」「陸前高田」(岩手)「中通り」「会津」(福島)。

また大震災翌日の最大震度6強の地震で被害を受けた「栄村」(長野)と「津南町」(新潟)も小惑星の名前として登録された。

陸前高田市長さんからのメッセージです

木曜日, 5月 3rd, 2012

被災地に訪れることをためらわず「ぜひ来てほしい」

復興に向けて頑張っている市民の姿を見てもらうことが地域活性化につながる

陸前高田市

毎日新聞より

20120501s

毎日新聞 希望新聞から

火曜日, 3月 20th, 2012
希望新聞:東日本大震災 被災者から感謝の手紙 「つるし雛」作り楽しい日々
原発事故で福島県浪江町から避難し、同県桑折町の仮設住宅で暮らす女性らが、希望新聞にニーズ情報を提供するNPO法人・花見山を守る会(高橋真一代表)を通じて、読者の支援に対する感謝の気持ちを手紙で寄せてくれました。仮設住宅の入居者は、手芸サークルなどを作って入居者間の交流をはかっており、女性らは全国から送られた布で手芸を楽しんでいるそうです。
■手紙の要旨
仮設住宅に入居して早くも1年になろうとしています。全国の皆様からたくさんの布の支援をいただき、お陰様で素晴らしい「つるし雛(びな)」「さるぼぼ」を作ることができました。本当にありがとうございました。
つらいことも忘れ、落ち込んだ気持ちに花が咲き、楽しい日々を過ごしています。サークルを作って皆様の思いを橋渡しし、新しい友達、絆もできました。できあがったかわいい「つるし雛」「さるぼぼ」を見ては心和んでいます。
皆様からのプレゼントとメッセージに涙しました。私たちも前向きに笑顔を絶やさないよう、周りの人たちと助け合って頑張ります。皆様の思いと私たちの思いは形となっています。感謝申し上げます。

希望新聞

東日本大震災 被災者から感謝の手紙 「つるし雛」作り楽しい日々

原発事故で福島県浪江町から避難し、同県桑折町の仮設住宅で暮らす女性らが、希望新聞にニーズ情報を提供するNPO法人・花見山を守る会(高橋真一代表)を通じて、読者の支援に対する感謝の気持ちを手紙で寄せてくれました。仮設住宅の入居者は、手芸サークルなどを作って入居者間の交流をはかっており、女性らは全国から送られた布で手芸を楽しんでいるそうです。

手紙の要旨

仮設住宅に入居して早くも1年になろうとしています。全国の皆様からたくさんの布の支援をいただき、お陰様で素晴らしい「つるし雛(びな)」「さるぼぼ」を作ることができました。本当にありがとうございました。

つらいことも忘れ、落ち込んだ気持ちに花が咲き、楽しい日々を過ごしています。サークルを作って皆様の思いを橋渡しし、新しい友達、絆もできました。できあがったかわいい「つるし雛」「さるぼぼ」を見ては心和んでいます。

皆様からのプレゼントとメッセージに涙しました。私たちも前向きに笑顔を絶やさないよう、周りの人たちと助け合って頑張ります。皆様の思いと私たちの思いは形となっています。感謝申し上げます。

人の温もりを感じています

火曜日, 2月 28th, 2012

おかげさまで・・・

ゆめあかり3.11への賛同者が増えています

有難いことです

中学の恩師もゆめあかり応援し隊です

紙袋購入してくれた他

「家でできたハッサクと和性グレープフルーツよ」

恩師の家の庭のハッサク

人と人とのつながりがうれしいHappyRecipe管理人です

ゆめあかりカフェへの賛同協力者も10社となりました

有難いですね

東北 夢の桜街道発売日

金曜日, 2月 24th, 2012

さくら

楽しみにしていた本に出会えました

復興への祈りを捧げる桜の札所として選定された八十八カ所の桜めぐり旅

八十八カ所 誰が選んだんかなぁ

^ ^*なら 選びきれない(笑)

ミッドタウン和紙キャンドルガーデン

月曜日, 10月 17th, 2011

今週末、ミッドタウン和紙キャンドルガーデンが行われました

気になっていたイベントがYouTubeで紹介されていました

ゆめあかりの参考になるところはないかと チェック(笑)

六本木経済新聞によれば

東京ミッドタウン(港区赤坂9)の芝生広場などで10月15日・16日、和紙キャンドル約3000個をともす「和紙キャンドルガーデン~東北の力・世界の力」が東日本大震災復興支援イベントとして行われる。企画・運営は「多摩大学村山貞幸ゼミ 日本大好きプロジェクト」(多摩市)。

 日本大好きプロジェクトは多摩大学の学生が2008年に日本の伝統文化を伝承していくために始めたもので、幼稚園や保育園、高齢者施設などに訪問して伝統文化の講座などを行ったり、和紙キャンドルを使ったイベントを行ったりするなどしている。

 「3月11日の東日本大震災発生後、4月には被災者を勇気づけるため被災地を訪れたが、がれき撤去などの作業に手一杯でキャンドルイベントなどをする状況ではなかった。しかし、何度か訪れるうちに被災地の方も復興へと気持ちが向いていっているのがわかり、7月に宮城県の青龍寺と東京の増上寺でキャンドルイベントを開催することができた。宮城県で開催した際に青龍寺の住職さんから『東北がどん底から這(は)い上がっていることを世界に発信してほしい』と言われ、今回のイベントにつながった」と、同プロジェクト広報班リーダーの私市将治さんは話す。

 メーン会場となる芝生広場は「KIZUNAエリア」と名付けられ、日本の伝統的な文様である「七宝」の形にキャンドルを配置。中心部に東北の方々にメッセージを書いてもらった和紙キャンドルを置き、その周りに日本各地、世界各地の方に書いてもらったキャンドルを配置することで東北を中心として日本そして世界へと広がる「絆」を表現する。他に、ミッドタウン・ガーデンの道沿いには東北の方々のメッセージキャンドルを並べた「KIBOUエリア」、外苑東通り入口水景付近には東北の花や木をイメージした色の和紙で作る照明が水面を照らす「TOHOKUエリア」が展開される。

 同プロジェクト広報班の古賀希美さんは「震災から時間がたつうちに、『何かできることはないか(サポート)』から『一緒にやっていこう(ジョイン)へ』と考えが変わっていった。それで、東北の人たちにメッセージを発信してもらおうということになり、このような形になった。キャンドルから東北の人たちの底力を感じてほしい」と話す。

 開催時間は17時~21時、雨天・荒天中止。当日、来場者にメッセージを書いてもらい和紙キャンドルとして配置する企画も予定する。

七方まり模様に願いを託して

今年の写真

2010年の様子

放射性セシウム 本日の毎日新聞紙面より

木曜日, 8月 25th, 2011

~毎日新聞20110825~

東日本大震災:五霞で収穫玄米、セシウム不検出 

 県は24日、五霞町の1地点で21日に収穫された玄米を本調査した結果、放射性セシウムは不検出だったと発表した。また、取手市の3地点で19日に採取した玄米を予備調査した結果でも、セシウムは検出されなかった。

一方

東日本大震災:堆肥から基準超の放射性セシウム

 取手市シルバー人材センター製造・販売
 
取手市は24日、同市寺田の市シルバー人材センター(理事長=藤井信吾市長)で製造・販売した堆肥(たいひ)から、国の暫定基準値(1キロ当たり400ベクレル)を超える659ベクレルのセシウムが計測されたと発表した。堆肥は市内の一般家庭で剪定(せんてい)された植木を集めて製造。5月16日に399袋▽同21日に133袋▽6月15日に215袋--の計747袋が、1袋10キロ入り、300円で個人に販売されたという。

 市は栃木県の腐葉土から高濃度のセシウムが計測されたことから、4日に常総市の検査会社に検査を依頼。その結果、セシウム134が283ベクレル、同137が376ベクレル検出されたという。市は「健康に影響ない」としているが、売れ残った堆肥約15トンをビニールシートで覆い、同市長兵衛新田の同センター作業場で保管している。

 藤井理事長は「高濃度ではないが、流通しないよう管理する。東京電力本店に損害賠償を請求する」とコメントした。市は今後の対応について、広報紙や市ホームページで告知する。