取手ひなまつりへようこそ

2月 19th, 2016

取手市商工会女性部メイン会場当番デー

こちらの立体的なタペストリーが素晴らしくって

みなさん

感動されていました。

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お昼タイム

Panda☆Cafécaféで一休み

「ボルシチと紅茶メロンパン・・・珈琲ください」

珈琲1杯 100円です。

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とりで旅行センター

手作り木目込みお雛様と花嫁様に会いに来てね~

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TORIDE MUSEUM 15日間だけの美術館

2月 18th, 2016

TORIDE MUSEUM 15日間だけの美術館

郷土作家が描く 取手の絵はがき販売しています。

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アート団地 取手市戸頭

2月 18th, 2016

茨城新聞 20160208 つながる

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蔵遊び in 田中酒造店 取手

2月 18th, 2016

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ひなまつりに想う

2月 18th, 2016

茨城新聞 20160218

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手で皮がむけちゃう モモカブ

2月 18th, 2016

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今日も💨

2月 17th, 2016

市役所の取手ひなまつり

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そして今日の河津桜

だいぶ咲いてきました。

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夕方まぶしかったなぁ

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23年前の2月19日日立市のシンボル倒壊

2月 17th, 2016

茨城新聞いばらき春秋 20160217

通称三作山(さんさくやま)。
常磐道日立中央IC近くの山にかつて大煙突がそびえ立っていた。高さ155・7メートル。
日立市のシンボルだった
その煙突が倒壊したのは23年前の2月19日。
今年もその日が近づき、JX金属の担当者に煙突まで案内してもらった
細く険しい山道を登ると、煙突が立つ敷地は思いのほか狭かった。
100年以上がたつコンクリートは赤黒く変色し、所々剥げ落ちていた。
54メートルほどの高さになってしまったとはいえ、間近で見ると周囲約38メートルの煙突は圧巻で、人力で造った先人の強い意志を感じた
大煙突の歴史は工都発展の歴史と重なる。近代化の過程は公害による数々の悲劇を生んだが、日立市では会社と地元民が共に悩み、苦しみながら公害対策の先駆けとなる大煙突を建設し鉱山の煙害拡大を防いだ
新田次郎氏の小説「ある町の高い煙突」は強者の論理が幅を利かせた時代に問題解決に当たった人々の良心と誠意を描いている。
その歴史の一こまはやがて市民の誇りとなった
翻って考えれば、現代の地方再生の鍵も人々が誇りを取り戻すことにほかならない。
いまも現役で白煙を上げる煙突が、そう語っているようにも思えた。

「­そして未来へ」第74回国民体育大会イメージソング

2月 17th, 2016

茨城新聞動画ニュース 20160217


2019年に本県で開催する第74回国民体育大会県準備委員会の第8回常任委員会が1­6日、水戸市内のホテルで開かれ、大会のイメージソングと、歌に合わせたダンスが初め­てお披露目された。また、日本体育協会が東京五輪に向けた導入対象として示した9種目­のうち、開催地が決まっていなかった3種目の会場などを決めた。

イメージソングは昨年4~6月に募集し、285件の応募があった。選定の結果、愛知県­立芸術大大学院1年の兒玉苑香(そのか)さん(23)=岐阜県出身=が作詞作曲した「­そして未来へ」に決まった。

歌詞は「さあ、空に羽ばたけ 未来が君を呼んでる 夢をつかもう」というフレーズから始まり、水戸市在住のシンガー・ソングライター、磯­山純さんが歌う。県女子体育連盟が子どもからお年寄りまで踊れるよう、難易度の異なる­5パターンのダンスを制作し、披露した。

兒玉さんへの表彰式もあり、兒玉さんは「この曲を聞く方々に元気や希望を届けられたら­うれしい」とあいさつ。イメージソングとダンスは幅広く学校の授業や運動会などで活用­される。

このほか、五輪の選手強化に向け、日本体協が導入を求めていた9種目のうち、オープン­ウオータースイミングが潮来市、トランポリンが稲敷市、自転車トラックの女子が取手市­、同ロードの女子がつくば市で開催されるなど3案を決めた。

人間としての尊厳

2月 16th, 2016

女の気持ち 忘れぬ言葉 

毎日新聞2016年2月16日 

 どうしても忘れられない言葉がある。

 3年前に92歳で亡くなった母の、担当医の言葉である。

 2012年10月、母は「胆管がんの疑いがある」と言われ、さらに「高齢のため、精密検査はできない」と言われた。

 医師は明らかに高齢の患者への医療処置はしたくない、というふうだった。

 やっかいな患者は早く退院させたいふうでもあった。

 この若い医師には、年寄りの命はそれほど重いものとは思えなかったのであろう。

 あるいは、もっと若い患者に情熱を注ぎたかったのかもしれない。

 人間には寿命がある。

 だから家族は延命治療を望まない。

 望むのはただ、苦しみやけだるさを軽減してあげたい、それだけである。

 医師が病室に入って来た時、家族は、このけだるさについて尋ねた。

 すると医師は、いきなり言った。

 「この人はいつ死んでもおかしくないのです」

 医師の目の前には、患者である母が、ベッドに横になっていたのに。

 高齢の患者には人間としての尊厳は無用である、と言わんばかりの口調であった。

 母はこの医師にとってはもはや人間ではなかった。

 このような医師がこれからますます増えるのか。

 背筋が寒くなってきた。