忘れたいのに
毎日新聞2019年7月11日 東京朝刊
私は断捨離の達人。手紙も写真も一度見たら即ゴミ箱行き。靴やバッグ、アクセサリーの類いにも執着はない。婚約指輪と結婚指輪さえ、とっくの昔に買い取りサービスで換金してしまった。
クローゼットの洋服も数えるほどだ。「3年着なかった服は二度と袖を通さない」という風説が私の持論で、潔く処分すると気持ちがすっきり。「いつか着るかもしれない」の「いつか」は永遠にやってこないと確信している。
「思い出の品を捨てられない」という悩みをよく耳にするが、子供時代の思い出の品を見る機会など20代から今に至るまで特になかった。あえて見たくもない、というのが本音だ。30代の娘の子供時代の作品なども残しているのはほんの少しで、娘本人も見たがらない。私の経験からすると、これからも見る機会はなさそうだ。物をため込む生活を続けると、いざという時に周囲に多大な迷惑をかけるだろう。必要最小限の物だけを残し、すっきり生活していきたい。
ついでに過去の忘れたい記憶もこの際、きれいさっぱり処分したい。とはいえ、頭の中の断捨離はままならず、やっかいだ。今のところ、これが私の最大懸念事項。ものは試しと忘れたい項目を紙に書き、びりびりに破いて捨ててみたが効果なし。それどころか、書き出した記憶がさらに頭に焼き付いてしまった。老い支度を着々と進めて心身とも身軽な高齢者になるのが目標だが、今のところ実現にはほど遠い。
が、今のところ実現にはほど遠い。