まるで合宿所状態です。
本日よりスポーツニッポン新人販売店研修が始まります。
賑やかですよ。
久しぶりに13人分の夕食を準備しました。
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本日よりスポーツニッポン新人販売店研修が始まります。
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TONEGA VISHONさん制作 笑顔のゆめあかり3.11」「が完成しました。
あなたの笑顔もここにあるかもしれません。
と~っても素敵な映像です。
ほどよく絶妙とりでにも紹介されています。
いばらき魅力見つけ隊
キリンビール取手工場一番搾りツアー 緻密な工程で上質な味わい
毎日新聞2018年4月10日
桜も散って暖かくなってきたこの季節、やはりビールを飲みたくなる。キリンビール取手工場(取手市桑原)に出かけ、「キリン一番搾り おいしさの秘密発見ツアー」に参加した。さわやかでいて繊細な「一番搾り」が造られる緻密な工程を知り、醸造家たちのこだわりを実感できた。
取手工場は1970年に操業開始。年産約50万キロリットルで、全国9カ所ある同社の工場で最大の製造能力を誇る。敷地の広さは26・5ヘクタールで東京ドーム約5・5個分。高さ20メートルの発酵・貯蔵タンクが百数十本も林立する情景は圧巻だ。
記者を入れて5人の参加者を案内してくれたのは、「一番搾り」と同じ1990年生まれのツアーガイド、永原咲子さん(28)。参加者の笑顔に働きがいを感じているといい、週に2、3日、「一番搾り」をたしなむという。
「一番搾り」の材料は麦とホップ、そして水だ。麦芽とホップの現物を手に取って確かめてみた。二条大麦をいったん水に浸して発芽させた後、乾燥させて麦芽を作る。試食用の麦芽をかむと香ばしい。麦芽は色合いと味わいを作る働きがあるという。そしてホップの真ん中にある黄色い部分からはビール独特の香りが漂う。ホップが「ビールの魂」とされるゆえんだ。
さあ、いよいよ仕込み室に入る。麦芽を煮ると、でんぷんが糖分に分解(糖化)され、甘いおかゆ状のもろみができる。これをろ過したのが麦汁だ。
「一番搾り」は最初に搾って出た麦汁だけを使っている。一般的なビールはさらにもう1回搾った二番搾りまで使うという。両方の麦汁を飲み比べてみると、明らかに味が違う。一番の方が甘みがあり、ジュースのようだ。永原さんが「麦のおいしいところが引き出され、上質な味わいになります」と笑顔で話した。
それにしても、甘い麦汁がどうして苦いビールになるのだろう。疑問はすぐ解消された。そこからホップを加えて煮込み、苦みと香りを出す。ここまで約11時間。その後、タンクの中でホップかすなどを沈殿させて分離した後、さらに別のタンクに移し、酵母を加えて約1週間かけて発酵させる。酵母が糖分を食べてアルコールと炭酸ガスが出るのを待つのだ。そこからさらに1~2カ月間も貯蔵・熟成する。最後の工程は瓶・缶へのパッケージングだ。1分間で2000本詰める缶詰ラインはまるで急流の川のようだ。
ツアーは試飲(20分、3杯まで)も含めて70分間。午前9時半▽10時半▽11時半▽午後1時半▽2時半▽3時半--の1日6回。申し込みは2人以上。月曜と年末年始は休館。予約専用受付(0297・72・8300)
白菜の花を収穫しました。
菜の花ってみんな似ているね。
早くもスナップエンドウ収穫 in ベランダ
静かすぎる 縁日です。
中3自殺 取手市教育長が就任会見 「誠実に取り組む」
2018年4月7日(土)
取手市教育長に就任し、会見に臨む伊藤哲氏=取手市藤代取手市教育長に就任し、会見に臨む伊藤哲氏=取手市藤代
2015年に取手市立中3年だった中島菜保子さん=当時(15)=が自殺した問題について、新たに市教育長に就任した伊藤哲(さとし)氏(60)が6日、記者会見を開き、「問題を捉え直して誠実に取り組む」と抱負を述べた。引責辞職した前教育長の後任として、1日付で就いた。
伊藤氏は「長年ご心労ご心痛をおかけしていることを深くおわび申し上げる」と遺族に陳謝。これまでの市教委の対応について「重大な過ちだった」との認識を示した上で、「県が設置した第3者委員会の結果を真摯(しんし)に受け止め、再発防止策について着実に実施する」と述べた。
3月の保護者会で当時の担任が体調不良で欠席したため、遺族側が担任が出席する場を設けるよう求めていることに対し、「担任は保護者会への出席は困難だという医師の診断がある。現時点ではっきり示せない」と話した。
手づくりのあったかい入園式でしたね。
茨城新聞 いばらき春秋 20180406
雑誌「青鞜(せいとう)」創刊の辞に「元始、女性は太陽であった」と書いたのは、女性運動の先駆者、平塚らいてうである。そのらいてうが戦時中、取手市小文間の地に疎開し5年間暮らしたことを、県南を担当して初めて知った
東京から小文間に移り住んだのが1942年。日米開戦の翌年のことで、すでに言論・思想は統制されていた。小貝川の土手下に小さな2階家を借り、農耕生活を始めた
小文間は小貝川と利根川に挟まれた地域で、「ことに大利根の河原をおおう夕焼雲の変化の美しさはここに来てはじめて知る雲の美しさでした」と自伝に書いている
心血を注いだ婦人参政権運動は戦後になって結実する。46年4月10日に行われた総選挙で、初めて女性の参政権が行使され、39人の女性代議士が誕生した。これを記念して49年、国はこの日を「婦人の日」と定め、後に「女性の日」と改めた。今年も記念日が巡ってくる
らいてうは小文間の地で新憲法公布を見届け、47年春に帰京する。〈花近き梅をのこして居をうつす〉。小文間での生活は充電期間になったのかもしれない
戦後は一貫して平和と民主主義を希求したらいてう。改ざん、隠蔽と劣化する政治を見たならば、どんなメッセージを発しただろう。
一日署長 交通事故なくして 小1の8人が首長にお願い 取手署で
毎日新聞2018年4月6日
取手署と取手地区交通安全協会(小川一成会長)は5日、小学1年生8人に「一日警察署長」を委嘱した。8人は制帽をかぶり、署長の椅子に座るなどして気分を味わった。
今年で33回目。同署管内の取手市4人、守谷市と利根町各2人の計8人が務めた。
一日署長たちはその後、取手、守谷市役所と利根町役場でそれぞれの首長に「決まりをよく守って交通事故に遭わないようにします。交通事故をなくすようにしてください」とお願い文を朗読した。