アリオの竹結びと竹あかり

6月 25th, 2017

水あかりで活躍するCHIKAKENが竹あかりワークショップと点灯式を行いました。

子どもたちが作り上げた素敵な竹あかり

ですが、周囲が明るすぎて雰囲気が伝わりません。

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大活躍のお二人に5年ぶりに再会ご挨拶できました。

キャンドルイベントのアイディアをいただいていますm(__)m

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CHIKAKENの作品写真です。

 

取手美術作家展 取手ウェルネスプラザ開催中

6月 25th, 2017

取手美術作家展
3人が制作の裏話や作品への思い語る 彫刻家・渡辺正勝さん、木目の方向で光に変化 

毎日新聞2017年6月25日 

 取手駅西口にある取手ウェルネスプラザ(取手市新町2)で開催中の「取手美術作家展」で24日、作家が自作を解説するギャラリートークがあった。洋画、彫刻と書の3人が制作の裏話や作品に込めた思いを語った。

 同市戸頭の彫刻家、渡辺正勝さん(73)はケヤキの木彫「小野の里」を説明。小野小町の伝説がある土浦市小野地区の水車に着想を得たという。「木目の通りにやる(削る)と光る。目の方向によって光り具合が違う面白さがある」と話していた。トークには市民約50人が参加、熱心に質問する人も。同展には38人が計52点を出品、28日まで。入場無料。

常磐道SA セデッテかしま

6月 24th, 2017

相馬野馬追の幸せのいす、みーつけた!IMG_0234

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こちらで買える

B級グルメ浪江焼きそばもおいしいですよ~

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ペギー葉山さんの遺骨は、取手市の大鹿山清浄院弘経寺に納められた。

6月 23rd, 2017

ペギー葉山さんのお別れの会 弔辞を読んだジュディ・オング「大好きでした」

サンケイスポーツ 2017.06.22

 4月12日に肺炎のため83歳で死去した歌手、ペギー葉山(本名・森シゲ子)さんのお別れの会が22日午前11時から東京・内幸町の帝国ホテル「孔雀の間」で開かれた。

 生前、所属していたキングレコードや太田事務所などが主催。遺影は2010年1月発売の「夜明けのメロディー」撮影時のもの。祭壇は故人の代表曲「ドレミの歌」にちなみ、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の世界観を表現し、子供たちのシルエットなどがオブジェで飾られた。

 故人と親交が深かった歌手や音楽関係者、ファンら約800人が献花。2歳のときに父の仕事の関係で台湾から来日して以降、公私ともに親交のあった歌手で女優、ジュディ・オング(67)らが弔辞を読んだ。

 「ペギーさーん」と遺影に呼びかけたジュディ。「大好きでした」と続けた。そして中学生のとき、ペギーさんと共演したステージを振り返り「なかなか(仕事で)学校に行けなくて、楽屋でご主人(俳優の故根上淳さん)から歴史を教えていただきました。ですからペギーさんには、ご主人の教え子のように接していただきました」と語った。

 弔辞の途中、♪ケ・セラ・セラ なるようになる…とアカペラでペギーさんの代表曲「ケ・セラ・セラ」の一節を熱唱。急死した故人をしのぶとともに「天国でもたくさんの人を歌で幸せにしてください」と呼びかけた。弔辞の後の囲み会見でも、「『人生は楽しく生きるのよ』と教えていただきました。私のおしゃれの基本もペギーさんです」と感謝の思いがあふれた。

 ほかにも「学生時代」「南国土佐を後にして」など数々の名曲を残し、品のある情感豊かな歌声で親しまれたペギーさん。この日参加した歌手は口々にペギーさんの後輩思いの温かい人柄をしのび、「歌い継いでいきたい」と誓った。ペギーさんは女優としてもTBS系「ウルトラマンタロウ」(1973~74年)で、ウルトラの母の声とその人間体「緑のおばさん」を演じたことでも知られた。

 遺骨は先月27日、2005年に死去した夫、根上さんの永眠する茨城県取手市の大鹿山清浄院弘経寺に納められた。

南部毎日会 寄付など12万円 マラソン事務局に贈る

6月 23rd, 2017

南部毎日会 寄付など12万円 マラソン事務局に贈る 

毎日新聞2017年6月23日 

 県南地域などの毎日新聞販売店でつくる県南部毎日会(小沼一雄会長)は21日、今年4月の「第27回かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソン」(土浦市、かすみがうら市、毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社など主催)で参加者らから寄せられた寄付(2万1534円)や協賛金(10万円)計12万1534円を大会事務局に贈った。

 大会会長の中川清・土浦市長は「広報車両の提供や運転など協力を頂き本当にありがたい。大切に使わせていただきます」と話した。

取手市議会、いじめ防止推進を決議

6月 23rd, 2017

茨城新聞 2017年6月23日(金)

取手市議会、いじめ防止推進を決議 市、7月にも支援チーム

2015年、取手市内の中学3年生だった中島菜保子さん=当時(15)=が日記に「いじめられたくない」などと書き残して自殺した問題で、市議会は定例会最終日の22日、議員提出議案の「いじめ防止対策推進に関する決議」を全会一致で可決した。

決議案は、落合信太郎氏=公明=ら市議4人が提出。落合氏らは提案理由を「市内中学生自死に関し、教育委員会や議会として反省すべき点がある。同じ対応を繰り返さないため」と説明した。決議案は市が進めているいじめ防止条例制定に向け、「市議会としての意見を伝え、子どもたちの理想的な教育環境の実現に向けてまい進する」などとしている。

藤井信吾市長は最終日の冒頭あいさつで「教育行政への信頼を大きく損なわせた。一刻も早い問題解決に向けて対応を進めていきたい」と改めて陳謝。政策推進課や子育て支援課など市長部局の職員で構成する新たなチームを編成し、今後、教育行政について、それぞれの専門的な立場から支援する体制づくりを明らかにした。

政策推進課によると、今月中に6人程度の人選を済ませ、遅くとも7月中には支援チームを立ち上げるという。

石巻市 粋な榮寿司さん

6月 22nd, 2017

大型バスで昼食したお寿司屋さん。

石巻は、大漁場を抱えているのに

何故か 団体が利用できるお寿司屋さんがないとのこと?

添乗員さんと石巻観光協会が探してくださった榮寿司さん

美味しいだいみょうチラシをいただきました。

女将さんのはからいで

「バスの中で召し上がってください」

何と、たくさんの太巻きを用意してくださったのです。

おもてなしが、うれしかったです。

また、伺いたいお寿司屋さんです。

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石巻と言えば

日和山公園です。

何度も何度もTVに登場した場所ですね。

復興が進んでいるとはいえない光景でした。

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ここの桜は、桜の名所別撰100選にもなっています。

南三陸を訪ねて

6月 21st, 2017

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東日本大震災直後から

時を告げる時計は止まったまま
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20mの高台にあった中学校は、戸倉地区の避難場所でした。

1回目の津波で、校舎1階近くまで押し寄せてきました。

「次はもっと大きいのが来るぞ」

校舎に避難していた人たちが、より高い裏山へと駆け込みました。

2回目の津波は22.6m

校舎1階は、水没。

校庭にいた人たちは、流されて

校舎から裏山に逃げる途中で流されてしまった人もいる。

誰もが予想しなかった

南三陸町志津川湾の津波の高さ。

 

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校舎は、公民館に

校庭は、戸倉中学校応急仮設住宅となっています。

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戸倉中学校同窓会長である

語りべ 後藤一磨さんのお話を伺いました。

ご自身も家を無くされたそうです。

防災とは

防波堤をつくることより

ここに防災意識をもって行動すること。

人は、大自然に生かされている。

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語りべの動画を張り付ける予定です。m(__)m

南三陸町志津川湾

6月 21st, 2017

南三陸町志津川湾の巨大防潮堤建設現場

町の人からは、防潮堤の悪評が聞かれました。

「海の様子がわからない」

「防潮堤があることで安心してしまう人が出てくる」
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仮設商店街

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南三陸町防災対策庁舎
南三陸の防災庁舎、補修完了 3カ月ぶりに姿現す

産経新聞 2017.02.15
東日本大震災の津波で宮城県南三陸町職員ら43人が犠牲になり、当面の間、県有化されている同町の防災対策庁舎が15日、補修工事を終えて約3カ月ぶりに姿を現した。昨年11月の着工以来、建物を覆っていた工事用シートの一部が取り外された。数日内にシートや足場を完全撤去する。

工事は可能な限り、現状保存を目指して県が実施。鉄骨に付着した海水の塩分を除去してさび止めを施し、震災直後の色に近い赤色で塗装。折れ曲がった鉄骨も固定された。

庁舎を震災遺構として保存するかについて、町民は「保存」「解体」で意見が二分しており、震災から20年となる平成43年の3月10日まで県が保有して維持・管理し、議論を続けることになっている。県の担当者は「県有化の期間が終わるまで、遺構としての価値をなくさないように管理していきたい」と説明した。

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登米市(とめ)登米町(とよま)明治村

6月 20th, 2017

アカマツの接ぎ木の跡ですね。DSC06252

みやぎの明治村 教育資料館

明治21年の建造物とは思えない。

懐かしさでいっぱい。

仙北鉄道に揺られ、杉並から500人の児童が疎開していた。

・・・・

1945年3月9日の卒業式を終えそれぞれの家路に・・・

3月10日の東京大空襲・・・

 

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