春らんまん。桜咲き、桜散る
茨城新聞 20180403
3年前、本欄にこうつづった。「人生を折り返すと、桜を見て悲しくなることがある。あと何度見ることができるのか」
今、あらためて思う。毎年咲くのは桜だけではない。偕楽園の梅、国営ひたち海浜公園のネモフィラ、県フラワーパークのバラ…いずれも見事だ。それでも、日本人にとって「花は桜」。人間、花見ができるのもせいぜい100回。限りがあるからこそ、感傷に浸るばかりでなく、その年その年の桜をしっかり心に刻もうと
神社仏閣を訪ねれば、「健康」に加えて「安らかな往生」を祈るようになった。あらゆるものをありのままに受け入れ、散り際は桜のように、惜しまれつつ潔く。依然として煩悩の塊であり、あくまでも「こうありたい」という理想だが
多くの企業、官公庁できのう、入社式、入庁式が行われた。希望に胸膨らませている新人も多いことだろう。初々しい彼らの姿にはるか31年前の自分を重ねた。例えるなら新人は苗木、若木。これから酷暑や厳寒、風雨といった試練を経て、花開く
それに対し中高年は老木。とはいえ、長年かけて地中深く張り巡らせた根が、大地をがっちりつかんで幹を支える。もう一花、いやしぶとく二花、三花咲かせたい。