石原慎太郎 金より先のものがあるはずなのに
2012.9.3 03:08 (1/4ページ)[日本よ]
私は気象学についても海洋学についてもずぶの素人だが、最近国内外で頻発している異常気象、集中豪雨や豪雪についてなぜ専門家たちがわかりきったことを表明しないのか不思議でならない。それとも私が思っていることは所詮素人の憶測の域を出ないのだろうか。
とてつもない災害をもたらしている豪雨や豪雪は、要するに温暖化によって世界中の氷が溶けて海へ流れだし、海水の量が格段に増加してしまったせいに違いない。これはまぎれもない事実で、先年訪れた赤道に近いツバルのような砂州で出来た国はもう半ば海に沈みかけているし、その近くのフィジーなどという国も海岸線は海水の上昇で浸食され、マングローブの林も水没しつつある。
地球の自転での遠心力が一番強くかかる赤道の下で海水が他のどこよりも膨らむのは自明のことだが、そこでの海水の量の著しい増加は、地球の温暖化による北極や南極の氷だけではなしに、世界の高山ヒマラヤやアルプスの氷も溶けに溶けつづけて、その水は海に流れ込み水位を増している。
フランスの観光名所の一つローヌ川源泉のアルプスの氷河を一望するローヌの展望台からは、もう眼下に氷河など眺めるべくもない。氷河はとうに溶けきって大西洋に流れ出してしまった。そうした現象は世界中に溢(あふ)れている。
私がヨットレースのために出かける湘南の海でも、月々の大潮の際の水位の高まりは異常で、私のホームポートのマリーナの水底はごく浅いせいで、今までと違って、大潮の際の船の発着は困難になってきている。
NASAのハンセン教授が予告したとおり北極海の氷はあと十年たらずで溶けて消え去り、太平洋と大西洋は航路として繋がり世界の戦略に大きな影響を与えようし、またぞろ北極海の海底資源の発掘に関しての関係国の軋轢(あつれき)が生じようが、ことはとてもそれですむ話ではあるまいに。
つまり世界中で溶けて海に流出した膨大な量の水はその分だけ余計に蒸発し、空にたまってまた雨や雪となり地上に降り注ぐに違いない。ということなら最近の異常気象は決して異常ならざる、通常な気象になりはてたといえるはずだ。というのは素人の暴論だろうか。
人間は誰しも目先の厄介に気をとられその収拾に腐心するが、もっと肝心な基本的なことには気づこうとはしない。それは人間の幼稚さと浅ましさの表示でしかない。
我々が気をとられやすい目先の物事の最たるものとはなんといっても金、つまり経済であって、今日の世界的な不況、特にEU経済の混乱には世界中が周章狼狽(ろうばい)のありさまだが、確かに不況は失業や貧困をもたらし、人々の生活を破壊もしようが、異常をきたした気象の方がもっと根源的に人間の存在を脅かし経済をも破壊しかねないはずだ。
我々が作り出した過ぎたる文明の所産としてもたらされた自然の循環の大きな狂いが温暖化として表れ、この地球という生命体に溢(あふ)れた宇宙でも稀(まれ)なる星を宇宙時間からすれば瞬間的に、地球時間からすればわずか百年ほどで根底的に破壊し、折角(せっかく)育まれてきた生命を失わしめるだろうと、宇宙物理学者のホーキングは東京での講演で予告していたが。その予告を私はおよそ四十年ほど前に聞いたのだが。
それにしても一頃世界の話題だった温暖化の問題は今にいたればいたるほどその実感は強まりつつあるのに、かつてはさまざま論じられていた地球温暖化問題は一体今どこにいってしまったのだろうか。今、誰がそれを本気で考えているのだろう。今年もどこかの国で先進国の首脳が集まってのサミットなる会議が開かれようが、過去の三年間この問題がその場で深刻に討論されたということはほとんどありはしない。この三年間で印象的だったのは、この問題についての討論の成果について各国のスポークスマンがその度口を濁し、「まあ半歩は前進した」といっているが、三年間三度の首脳会議での討論の進歩が、合わせても一歩半というのはほとんど無に等しい。
そして昨年末のダーバンでの温暖化対策の世界会議での結論は、世界最大のCO2の排出国のアメリカ、シナ、インドという国々が反対を唱えたために、出された結論なるものは、四年後に新しいルールを作りさらに五年後にそれを実行に移すという、なんとも間の抜けた馬鹿々々しいものでしかなかった。これがこの問題に対する現代の人間たちの英知の結晶かと思うと空恐ろしい。
その代わりに当節、世界中の人間たちが腐心しているのは目先の金の問題でしかない。しかしその一方で通常化した異常気象は今後もさまざまな水害に加えて大陸型の農業を旱魃(かんばつ)によって破壊し、大きな災害をこの地上にもたらしつづけるに違いない。この地球で今現在、所詮は金の問題でしかない経済の不振について懊悩(おうのう)する人間は多くとも、自らの存在、自らの人生を救うために、氷が溶けて海に流出する水を防ごうとしている人々を私はほとんど知らない。
七月の九州での重なる豪雨災害で家を失った老婦人が、破壊されつくした家の前で呆然(ぼうぜん)と、「自然の力にはかないませんから」と呟(つぶや)くように慨嘆している姿を見たが、人間の力の及ばぬ自然を狂わせてしまっているのが、当の人間自身だということを、責任の転嫁の幅が巨(おお)きすぎて私たちは認識出来ずにいるようだ。
金、経済という目先の欲望が実は自らの存在を根底的に損なうという宇宙の摂理を私たちはいつ誰のために悟り直すことが出来るのだろうか
石原慎太郎 金より先のものがあるはずなのに ~産経新聞20120903~
私は気象学についても海洋学についてもずぶの素人だが、最近国内外で頻発している異常気象、集中豪雨や豪雪についてなぜ専門家たちがわかりきったことを表明しないのか不思議でならない。それとも私が思っていることは所詮素人の憶測の域を出ないのだろうか。
とてつもない災害をもたらしている豪雨や豪雪は、要するに温暖化によって世界中の氷が溶けて海へ流れだし、海水の量が格段に増加してしまったせいに違いない。これはまぎれもない事実で、先年訪れた赤道に近いツバルのような砂州で出来た国はもう半ば海に沈みかけているし、その近くのフィジーなどという国も海岸線は海水の上昇で浸食され、マングローブの林も水没しつつある。
地球の自転での遠心力が一番強くかかる赤道の下で海水が他のどこよりも膨らむのは自明のことだが、そこでの海水の量の著しい増加は、地球の温暖化による北極や南極の氷だけではなしに、世界の高山ヒマラヤやアルプスの氷も溶けに溶けつづけて、その水は海に流れ込み水位を増している。
フランスの観光名所の一つローヌ川源泉のアルプスの氷河を一望するローヌの展望台からは、もう眼下に氷河など眺めるべくもない。氷河はとうに溶けきって大西洋に流れ出してしまった。そうした現象は世界中に溢(あふ)れている。
私がヨットレースのために出かける湘南の海でも、月々の大潮の際の水位の高まりは異常で、私のホームポートのマリーナの水底はごく浅いせいで、今までと違って、大潮の際の船の発着は困難になってきている。
NASAのハンセン教授が予告したとおり北極海の氷はあと十年たらずで溶けて消え去り、太平洋と大西洋は航路として繋がり世界の戦略に大きな影響を与えようし、またぞろ北極海の海底資源の発掘に関しての関係国の軋轢(あつれき)が生じようが、ことはとてもそれですむ話ではあるまいに。
つまり世界中で溶けて海に流出した膨大な量の水はその分だけ余計に蒸発し、空にたまってまた雨や雪となり地上に降り注ぐに違いない。ということなら最近の異常気象は決して異常ならざる、通常な気象になりはてたといえるはずだ。というのは素人の暴論だろうか。
人間は誰しも目先の厄介に気をとられその収拾に腐心するが、もっと肝心な基本的なことには気づこうとはしない。それは人間の幼稚さと浅ましさの表示でしかない。
我々が気をとられやすい目先の物事の最たるものとはなんといっても金、つまり経済であって、今日の世界的な不況、特にEU経済の混乱には世界中が周章狼狽(ろうばい)のありさまだが、確かに不況は失業や貧困をもたらし、人々の生活を破壊もしようが、異常をきたした気象の方がもっと根源的に人間の存在を脅かし経済をも破壊しかねないはずだ。
我々が作り出した過ぎたる文明の所産としてもたらされた自然の循環の大きな狂いが温暖化として表れ、この地球という生命体に溢(あふ)れた宇宙でも稀(まれ)なる星を宇宙時間からすれば瞬間的に、地球時間からすればわずか百年ほどで根底的に破壊し、折角(せっかく)育まれてきた生命を失わしめるだろうと、宇宙物理学者のホーキングは東京での講演で予告していたが。その予告を私はおよそ四十年ほど前に聞いたのだが。
それにしても一頃世界の話題だった温暖化の問題は今にいたればいたるほどその実感は強まりつつあるのに、かつてはさまざま論じられていた地球温暖化問題は一体今どこにいってしまったのだろうか。今、誰がそれを本気で考えているのだろう。今年もどこかの国で先進国の首脳が集まってのサミットなる会議が開かれようが、過去の三年間この問題がその場で深刻に討論されたということはほとんどありはしない。この三年間で印象的だったのは、この問題についての討論の成果について各国のスポークスマンがその度口を濁し、「まあ半歩は前進した」といっているが、三年間三度の首脳会議での討論の進歩が、合わせても一歩半というのはほとんど無に等しい。
そして昨年末のダーバンでの温暖化対策の世界会議での結論は、世界最大のCO2の排出国のアメリカ、シナ、インドという国々が反対を唱えたために、出された結論なるものは、四年後に新しいルールを作りさらに五年後にそれを実行に移すという、なんとも間の抜けた馬鹿々々しいものでしかなかった。これがこの問題に対する現代の人間たちの英知の結晶かと思うと空恐ろしい。
その代わりに当節、世界中の人間たちが腐心しているのは目先の金の問題でしかない。しかしその一方で通常化した異常気象は今後もさまざまな水害に加えて大陸型の農業を旱魃(かんばつ)によって破壊し、大きな災害をこの地上にもたらしつづけるに違いない。この地球で今現在、所詮は金の問題でしかない経済の不振について懊悩(おうのう)する人間は多くとも、自らの存在、自らの人生を救うために、氷が溶けて海に流出する水を防ごうとしている人々を私はほとんど知らない。
七月の九州での重なる豪雨災害で家を失った老婦人が、破壊されつくした家の前で呆然(ぼうぜん)と、「自然の力にはかないませんから」と呟(つぶや)くように慨嘆している姿を見たが、人間の力の及ばぬ自然を狂わせてしまっているのが、当の人間自身だということを、責任の転嫁の幅が巨(おお)きすぎて私たちは認識出来ずにいるようだ。
金、経済という目先の欲望が実は自らの存在を根底的に損なうという宇宙の摂理を私たちはいつ誰のために悟り直すことが出来るのだろうか。