Archive for 6月 21st, 2017

南三陸を訪ねて

水曜日, 6月 21st, 2017

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東日本大震災直後から

時を告げる時計は止まったまま
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20mの高台にあった中学校は、戸倉地区の避難場所でした。

1回目の津波で、校舎1階近くまで押し寄せてきました。

「次はもっと大きいのが来るぞ」

校舎に避難していた人たちが、より高い裏山へと駆け込みました。

2回目の津波は22.6m

校舎1階は、水没。

校庭にいた人たちは、流されて

校舎から裏山に逃げる途中で流されてしまった人もいる。

誰もが予想しなかった

南三陸町志津川湾の津波の高さ。

 

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校舎は、公民館に

校庭は、戸倉中学校応急仮設住宅となっています。

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戸倉中学校同窓会長である

語りべ 後藤一磨さんのお話を伺いました。

ご自身も家を無くされたそうです。

防災とは

防波堤をつくることより

ここに防災意識をもって行動すること。

人は、大自然に生かされている。

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語りべの動画を張り付ける予定です。m(__)m

南三陸町志津川湾

水曜日, 6月 21st, 2017

南三陸町志津川湾の巨大防潮堤建設現場

町の人からは、防潮堤の悪評が聞かれました。

「海の様子がわからない」

「防潮堤があることで安心してしまう人が出てくる」
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仮設商店街

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南三陸町防災対策庁舎
南三陸の防災庁舎、補修完了 3カ月ぶりに姿現す

産経新聞 2017.02.15
東日本大震災の津波で宮城県南三陸町職員ら43人が犠牲になり、当面の間、県有化されている同町の防災対策庁舎が15日、補修工事を終えて約3カ月ぶりに姿を現した。昨年11月の着工以来、建物を覆っていた工事用シートの一部が取り外された。数日内にシートや足場を完全撤去する。

工事は可能な限り、現状保存を目指して県が実施。鉄骨に付着した海水の塩分を除去してさび止めを施し、震災直後の色に近い赤色で塗装。折れ曲がった鉄骨も固定された。

庁舎を震災遺構として保存するかについて、町民は「保存」「解体」で意見が二分しており、震災から20年となる平成43年の3月10日まで県が保有して維持・管理し、議論を続けることになっている。県の担当者は「県有化の期間が終わるまで、遺構としての価値をなくさないように管理していきたい」と説明した。

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