男の気持ち 先送り
毎日新聞2018年12月13日
老いの坂をあえぎあえぎ上ってきたら、耳は遠くなる、目はかすむ、足はぐらつく、排せつもスムーズとはいかなくなる、物忘れや判断ミスも多くなる。そこであっちこっちに医者通い。国の財政の貸借対照表の負債の部に少なからざる額を計上させている。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
子どもはみな独立し、認知症の妻も近くグループホームに入所する予定で、用なし半兵衛となる。用なしに体の不調が加わり生きる意欲がうせてきた。それなら医者通いをやめて死を待てばよさそうだが、生来の臆病者で死に際の苦しみ痛みに耐える根性がない。薬を飲んでヒクヒクと生き永らえ、死が来るのを先送りしている。
先送りといえば、頭のいい国会議員の先生方は借金財政に目をつむり、もっぱらばらまき行政に精を出し、孫子の代に借金のつけを送っている。だから頭の悪い小生だって、「薬漬けで死を先送りしているのはやむを得ないのだ」と、へりくつをこねている。
死に際の痛みを避けることができる安楽死を認めてもらえれば、と思う昨今である。18歳に選挙権を与えているのだから、80歳を過ぎたら「長生きに免じて安楽死権を付与してくれたら」と思うことしきり。
終わりよければ全てよし、と言うが最期になって死に際の痛みに苦しめば全てよし、とはならない。何はともあれ、安楽死を認める法律ができればいいなあ……と思いながら、ボーッと生きている。