女の気持ち 自然のおきて
毎日新聞2019年8月26日 東京朝刊
今年の夏は猛暑続きで、北国岩手でもエアコンなしの職場はキツかった。お寺の札所勤めは外掃除も大事な仕事なのは分かっている。だが、一通り終えると汗みずくになり、着替える場所もなく、扇風機の風を浴びながら途方に暮れる。
ある朝のこと。いつもの場所を掃き始めると、アブラゼミが1匹転がっていた。役目を終えたものとみえる。ほうきで掃き寄せようとすると、羽をバタバタさせて「まだ生きてるのに」と言わんばかりだ。「ごめんごめん」と心の中でわびながら草の上に置いてやる。
長い暑い一日を終えて帰ろうとしたとき、あのセミはもうむくろとなり、アリがたくさんたかっていた。すでに胴体はほぼなくなり、羽が残っているだけだった。
自然界の仕組みは厳しくも理にかなっている。輪廻(りんね)と言ったら大げさになるかもしれないけれど、こうして何もかも無駄にはならず、またもとの自然界へ返っていく。
ところが、人間は自然界の頂点に立っているのだと勘違いして、処理できないさまざまなものをつくり出してしまった。プラスチックごみは目に余る。そして放射性物質は果たして制御されていると言えるだろうか。動植物、そして母なる地球に謝らずにはいられない。
お寺の境内は小さな生き物たちのすみかである。毎日のように接していると虫でさえいとおしくなり、自然のおきてに逆らうようなことをしてはいけないと改めて気付かされる。