Archive for the ‘記事’ Category
取手市白山小学校から「ありがとう」
木曜日, 7月 14th, 2011ゆらゆらと 稲と風鈴
水曜日, 7月 13th, 2011稲が気持ちよさそうに揺れていました
東日本大震災:被災地の子供へ、児童が応援短冊-戸頭西小~毎日新聞20110713~
取手市戸頭の戸頭西小学校(泉恵之校長、児童数247人)で12日、東日本大震災で被災した福島県南相馬市の子供たちに送るため、取手市内の児童たちが書いた応援メッセージ入りの短冊を「虫かご風鈴」にぶら下げた。
同市新取手の元市議、長内治雄さん(76)が「南相馬市の子供たちを励まそう」と、麦わらで虫かごを手作りし、応援メッセージを書くよう小中学校などに依頼。同小や白山小など3小中学校の児童・生徒が、被災地に思いをはせ、約300枚の短冊を書き上げた。
戸頭西小の4年生45人は「何ごともあきらめないで」「いっしょにがんばろう」などと書いた。同小には南相馬市から3人が避難し登校している。児童たちは「避難して来ている友達にも元気になってもらいたい」と話していた。この約300個の風鈴は今月末に被災地へ届けられる。
マチュピチュ遺跡発ライトアップ
土曜日, 7月 9th, 2011断捨離
金曜日, 7月 8th, 2011紫音 ~常陽新聞20110707~
友人から届いた携帯メールに「断捨離」という言葉が出てきた。「大震災によって自然の前では如何にちっぽけな存在であることを思い知らされた」とあり、「あたり前に生きられることに感謝したい。身も心も人生も断捨離して残りの人生を悔いなく生きたい」と記されてあった。
恥ずかしながら、「断捨離」という言葉を知らなかった。クラターコンサルタントのやましたひでこ氏の提唱する生活術という。ヨガの「断業」「捨行」「離行」という考え方を応用し、人生や日常生活に必要なモノを断ち、捨てることでモノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようとする考え方だそうだ。クラターとは英語でガラクタのことで、住まいのガラクタ、頭の中のガラクタを取り除く手伝いをしてくれるのだそうだ。
震災直後は仕事場も自宅も資料や生活用品が崩れ、倒れ、散らかり放題で足の踏み場もなかった。何とか日常生活が送れる範囲まで片付けるというか、四隅にモノを押しのける形で居場所を作った。2ヶ月が経過した時点で、あまり上に重ねないように少しずつ片付けようと声を掛けたが、一向に進まない。家では食事と寝るスペースがあればと落ちついてしまっている感もある。
生活に追われながら日常生活に不要なモノを選別するのは難しいもの。だが、自分自身がガラクタにならないためにも頭の中を切り替え、再起動させるため、断捨離は必要なのかも。
「丼希望」のアンテナを立てていたら、今すぐ使えそうな食器を沢山いただきました
有難うございます
物は増やさず整理していこうと言う姿勢のはずが。。。
お一人様用Kaya欲しいなぁ 脱ヱアコン睡眠ハエ対策(爆)
アースワンの支援物資マッチングシステムがTVで取り上げられていました
茨城新聞創刊120周年
火曜日, 7月 5th, 2011茨城春秋 2011年7月5日(火)
小紙が創刊されたのは1891年のきょう7月5日。明治維新から24年、社会の風景と価値観が一変し、新しい秩序を模索して世の中が混沌(こんとん)としていた時代だ
そんな世相を背景に、創刊号が掲げた「発刊の趣旨」は県民を荒波に浮かぶ航海者に、小紙をその水先案内人に見立て、文明という港にたどり着くまでは倒れてもともに進み続けると宣言した
それから120年目の今年、先人も経験したことのない災禍が東日本を襲い、県内にも深い爪痕を残した。大震災と原発事故を境に社会の価値観は大きく揺らぎ、県民の心も暮らしも嵐の海を漂流する小舟のように揺れた
小紙も発行の危機に直面した。震災翌日から3日間は4ページに縮小した紙面づくりを余儀なくされた。戦後これほどの苦境に立たされたことはない
読者の皆さんにはご不便をお掛けしたが、「新聞が届くことがこんなにありがたいと思ったことはありません」(常陸大宮市、大森行男さん)といった胸に染みる声を数多く寄せていただいた
くしくも創刊号と同じ4ページの紙面。薄っぺらだが、荒海を漂う航海者と水先案内人の原点が凝縮された宝と自負している。(本)
デスク日誌 2011年7月5日(火)
あすを見据える120年
茨城新聞はきょう、120歳になった。紙齢4万1838号
▼長い歴史の数分の一にすぎないが、記者として紙面づくりに関わってきた。もともとはスポーツ記者志望。“就活”の結果、某スポーツ紙から内定をもらったが、一般紙に行きたくなり、故郷の茨城新聞社を急きょ受験した。自分を含め同期は3人で、記者になったのは1人。残ったのも1人
▼日立、水戸を経て、土浦には志願して来た。「茨城新聞百年史」によれば、社は1906年に土浦に出張所を設けた。こちらも105年
▼会社への帰属意識の低い“スチャラカ社員”だが、記事を通じて地域を良くし、新聞の評価を高めたいという気持ちは人一倍強い。次の100年とは言わず、あすの紙面が充実するよう、県南地域からいい記事を発信したい。(土浦つくば支社・仁平克幸)
多くの現場を歩き人々の声を聞き、紙面を通じ真実を「伝」えて下さい^ ^*
Dr.中川のがんの時代を暮らす
月曜日, 7月 4th, 2011~毎日新聞20110619~
中川恵一・東京大病院放射線科准教授、緩和ケア診療部長
1 放射線とともに
新連載「がんの時代を暮らす」の第1回です。東日本大震災のため、スタートが2カ月半遅れましたが、読者からの相談にも答えるなど、今までなかったスタイルも取り入れ、より生活に密着したものにしたいと思っています。
震災前の3月初め、新連載のタイトルを決めるのに随分悩みました。しかし、皮肉なことに、今まさに「がんの時代」を迎えたような様相です。福島第1原発事故による被ばく問題で、日本中が「パニック状態」に陥っているように見えます。
現実には、首都圏の空気中の放射線量は、ほぼ平時に近い数字に戻っています。マスクや長袖の服を着ける必要はなく、洗濯物を外に干してもよいレベルです。原発自体の「火消し」は予断を許さないようですが、今、新たに放出されている放射性物質はほとんどありません。福島県を含め、大気中にある放射性物質の量はゼロかほんのわずかになっています。
しかし、福島第1原発から60キロも離れた福島市でも、毎時1マイクロシーベルトくらいの空間線量率が計測されています。この環境に1年間ずっといると、9ミリシーベルト弱の外部被ばくを受ける計算になります。この放射線は、事故発生から3月半ばまでに原発から放出された放射性セシウムが原因となっています。空気中に放出された放射性物質は、風に流されて遠くまで移動し、雨に溶けて土などの表面にしみ込みました。そして、ここから放射されるガンマ線が、住民に被ばくをもたらしているのです。
当初注目されていた放射性ヨウ素は、8日ごとに半分に減りますから、すでにほとんど存在しません。しかし、放射性セシウムのうちセシウム137は半分に減る半減期が30年と長く、60年たっても今の4分の1も残ります。放射線とともに暮らしていかなければならない長い時代が始まりました。連載の最初は、このような環境で暮らすことについて考えていきます。
~毎日新聞20110703~
2 福島と関東の放射線量
放射線とともに暮らす時代、読者から届いた質問に答える形で、私たちが知っておくべきことを確認したいと思います。
◆質問1
◇福島県郡山市で、布団や洗濯ものを外に何時間干せるのか? マスクや長袖シャツは必要か?
現在、原発からの放射性物質の放出はほぼなくなっており、福島県の大半の地域でも大気中の放射性物質は検出されていません。郡山市内の空間放射線量は、およそ1時間当たり1マイクロシーベルトと、依然として高いレベルにありますが、大気中に放射線を出す放射性物質が漂っているわけではありません。3月に原発から放出され、雨に溶けて土などにしみ込んだ放射性セシウムから出る「ガンマ線」が原因です。空気中に放射性物質がないわけですから、布団や洗濯ものに放射性物質が付着することはなく、外に干しても大丈夫です。マスクや長袖も必要ありません。
◆質問2
◇今やホットスポットとして有名になった千葉県柏市で、2歳の息子を外で遊ばせて大丈夫か?
現在、柏市の公園などでの線量は、高いところでも1時間当たり0・5マイクロシーベルトくらいです。この環境に24時間ずっといた場合、内部被ばくも含めた年間の被ばく量は5~6ミリシーベルト程度になります。屋内の線量は屋外よりずっと低くなるため、実際の被ばく量は、この値よりかなり低くなります。小さなお子さんでも普通に遊ばせてよいと思います。ただ、土を口にしたり、土ぼこりを吸い込むのは避けましょう。
地表に存在するセシウムの量は、風や雨といった天候のほか、地形や地面の性質によって左右されます。福島第1原発から60キロも離れた福島市の空間放射線量が、20キロ圏の福島県南相馬市より高いのは、原発から同県飯舘村を通り福島市へ向かった「風」の影響です。同じように、東京都の金町浄水場まで放射性物質を運んだ風の「通り道」に柏市がありました。
東京でも葛飾区、足立区など北東の地域で、線量が高い傾向があります。福島から風に乗って運ばれた放射性物質が、西に向かいながら、雨に溶けて落ちていったからです。ただし、東京の線量は、ローマ、ロンドン、香港など、多くの都市を下回るレベルです。
次回は、7月17日日曜日くらしナビに掲載予定です
こども美術館列車2011 TX
土曜日, 7月 2nd, 2011「こども美術館列車」作品を募集 ~産経新聞20110702~
つくばエクスプレス(TX)を運行する首都圏新都市鉄道(東京都台東区)は1日、例年実施している開業記念イベント「こども美術館列車2011」の作品募集を開始した。今年は、東日本大震災で被災した地域が一日も早く復興し元気になるよう、テーマには例年の「つくばエクスプレス」の他、「夢や希望のある新しい街」を加えた。
募集期間は31日まで。応募対象は小学6年生までで、1人1点。応募方法は、TX各駅の案内カウンターか定期券発売所で配布している専用用紙に作品を描きTX各駅まで持参する。
作品は8月24日~9月10日、専用列車「こども美術館列車2011」(1編成)に全応募作品から150点を展示して運行。それ以外の作品はTX駅構内に展示する。
8月24日には列車内に作品を展示した人の中から4組をTXこども一日駅長として「こども美術館列車発車式」に招待するほか、震災で大きな被害を受けた三陸鉄道の支援も行う予定。
塚原卜伝(つかはら・ぼくでん) ドラマ化
金曜日, 7月 1st, 2011「塚原卜伝」ドラマ化決定 ~常陽新聞20110701~
鹿嶋市ゆかりの伝説的剣豪、NHKで
NHK広報局は30日、鹿嶋市ゆかりの剣聖・塚原卜伝をテーマにしたBS時代劇「塚原卜伝」の制作を開始すると発表した。同市は2007年度から5カ年計画で、大河ドラマ化を目指して全国キャンペーンを展開してきた。大河ドラマには至らなかったが、運動の成果としてドラマ化が実現した。
原作は時代小説家・津本陽さんの作品「塚原卜伝十二番勝負」。主演は堺雅人さん。脚本は山本むつみ、高山直也さん。演出は佐藤峰世、福井充広さん(NHKエンタープライズ)、制作統括は一柳邦久さん(NHKエンタープライズ)、鹿島由晴さん(NHKドラマ番組)。
放送は第1回が10月2日のBSプレミアムで、午後6時45分から7時58分までの73分間。連続7回で、2回~最終回は午後6時45分~7時28分までの43分間。
収録は7月15日に緑山スタジオで行うほか、7月26日~8月7日まで、鹿嶋市やワープステーション江戸でロケを行う。
卜伝は戦国時代、鹿島に生まれ、幼少時代から鹿島中古流の太刀を学んだ。17歳で武者修行の旅に出て、生涯数多の真剣勝負や合戦に臨んで一度も負傷したことがなかったという伝説的な剣豪で鹿島新当流の開祖。波乱万丈の死闘をくぐり抜け、鹿島神宮に千日間参ろうして「一つの太刀」を会得したとされる。将軍足利義輝や伊勢国守北畠具教にも剣を教えた。今まであまり映像化されたことのない卜伝の青年期を中心にドラマ化される。
同市では大河ドラマ誘致に向け、07年度から5カ年計画で取り組んでおり、今年度が最終年度だった。
同市の内田俊郎市長は「市観光協会、鹿島神宮、鹿島新当流をはじめ、各団体のご協力を得て全国キャンペーンを推進してきた結果が実を結び、こうした結果が表れたことは非常にうれしい。塚原卜伝を通じて、鹿島神宮をはじめとする悠久の歴史・文化を全国に発信し、今後のまちづくりの原動力としたい」とのコメントを発表した。
剣豪卜伝ドラマ化、10月からNHKBS ~茨城新聞20110701~
「まちづくりの力に」と鹿嶋市長
NHKは30日、今秋放送のBS時代劇の第3シリーズに、鹿嶋市出身の剣豪の伝説的な真剣勝負を描く「塚原卜伝」を制作すると発表した。同市は2007年から大河ドラマ化を目指して全国的なPR活動を行ってきただけに、内田俊郎市長は「成果がこうした結果に表れ、うれしく思う。悠久の歴史・文化を全国に発信し、今後のまちづくりの原動力にしたい」と喜びのコメントを出した。
時代劇「塚原卜伝」は、全7回の連続ドラマで、10月2日からBSプレミアムで毎週日曜午後6時45分〜7時28分(初回は7時58分まで)の放送予定。
主役の卜伝を演じるのは、映画「ゴールデンスランバー」の好演などさまざまな作品で主演を務める堺雅人さん(37)。連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を手掛けた山本むつみさんと高山直也さんが脚本を担当する。原作は津本陽さん著「塚原卜伝十二番勝負」。収録は7月15日から始まり、26日以降は同市内やつくばみらい市のワープステーション江戸などでの県内ロケも予定されている。
同市では「塚原卜伝全国キャンペーン推進委員会」が07年に発足。署名活動や知事への要望書、キャラクター作成、関連グッズ販売など各地でさまざまなPRを続けてきた。
今回は目標としていた「大河ドラマ」ではなかったが、活動5年目で念願のドラマ化決定に関係者からは喜びの声が聞かれた。市観光協会の笹本勝己会長は「大成功だと思う。素晴らしい役者に出てもらうことに決まり、全国の放送で取り上げてもらえるのは本当に価値がある」と語り、石津久事務局長も「このドラマ化をきっかけに鹿嶋を元気づけていきたい」と話した。
同市は発表を受けて市役所庁舎に横断幕と立て看板を設置し、市民にドラマ化決定をアピールした。同推進委は今後も大河ドラマ誘致活動を続けていく方針。
塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)
1489〜1571年。戦国時代の剣豪。文献などによると、鹿島神宮の神職・卜部吉川家に生まれ、後に塚原城主・塚原家の養子に。生涯3度の全国修行で各地の門弟を指導。1度目の全国修行の後、鹿島神宮に千日こもって秘法「一の太刀」を会得した。真剣試合19回、戦場に37回出陣したが無敗。討ち取った敵は212人と言われる。卜伝の剣技は県指定無形文化財「鹿島新当流」として現在も継承される
地元の米粉使用 龍ケ崎のクレッセント
金曜日, 7月 1st, 2011地元の米粉でフランスパン ~常陽新聞20110701~
龍ケ崎のクレッセントが開発
龍ケ崎市松ケ丘のパン屋「パン・アトリエ クレッセント」=福島俊史店主(47)=がこのほど、地元産コシヒカリの米粉を使用したフランスパンを開発した。
同市塗戸町の横田農場が生産した米粉4割と、カナダ産小麦粉6割を混ぜた粉を使用。小麦粉だけのフランスパンと比べて、もちもちして軽い食感があり、低カロリー。一方、米粉は水分が抜けやすいため、小麦粉だけのフランスパンと比べ時間が経つと形がつぶれやすいなどの難点もあるという。
同店の近くに開店した和食レストランから「和食の惣菜に合う米粉のパンをつくってほしい」と依頼があったのをきっかけに挑戦した。福島店主はこれまでも、牛久市女化で栽培された国産小麦ユメシホウを使ったパンを販売するなど、地産地消にこだわったパン作りに挑戦している。
米粉フランスパンは、小麦だけのフランスパンより1割ほど高い1本280円で販売。ほかにピザ風にしたタルティーヌなど5~10種類販売している。
『歌留多』かるたで取手を紹介
火曜日, 6月 28th, 2011かるたで取手の魅力紹介 ~常陽新聞2011.06.28~
見所84カ所、定年退職の男性ら制作
定年退職した取手市の男性らが、現役引退後に4年間かけて市内を歩き回り、地域の魅力を計84枚のかるたにまとめた。第1弾として、そのうち16枚を冊子「歌留多(かるた)で訪ねるわが町とりで」(A5判、カラー、39㌻)にして発行し、和歌と絵、解説、地図などで見所を紹介している。
発行したのは60代から80代の元サラリーマンでつくる「16(いちろく)創年の会」(上田征生会長、会員20人)。
メンバーは全員が他県出身で、現役時代は住まいのある取手から都内に通勤していたという。定年退職後の2004年(平成16年)に旧藤代町(取手市と合併)主催の地域再発見講座「男性学講座」を受講した受講生らが、講座修了後に会を設立した。
自分が住むまちを知らない、まちに知り合いがいない―などからまず地域を知ろうと、06年から毎年、古道や城址などテーマを決めて市内を歩き回った。4年間かけて、歴史のある建物、豊かな自然、すばらしい景観が眺められる場所など84カ所を「まちの見所」として選定し、かるたにした。
かるたは07年から毎年、20枚前後をA3判の作品にしてJR藤代駅のギャラリーで紹介。今回冊子にした16枚は、07年に駅ギャラリーに展示したものだ。
冊子には、かるたの歌と絵のほか、歌を詠んだときの作者の気持ちや、歴史やいわれ、地図なども紹介してある。
平将門ゆかりの四国相馬霊場の一つ、長禅寺は「晴れ晴れ参拝 霊場古刹(こさつ)の長善寺」、江戸時代に参勤交代で行き交う大名の宿場だった取手本陣は「本陣のロウバイ香る池のふち」、小貝川の洪水から家族の命や財産を守るため、母屋より数㍍高く築いた塚の上に建てられた蔵兼避難所の民家の水屋(みずや)は「大水に備えて高し水屋かな」などと歌われている。
残り68枚についても今後随時冊子にしていく計画。同会は「散歩やウオーキングのときなどに携帯して役立ててもらえれば」などと話している。
「16創年の会」(左から)永島豪郎さん、川崎勇次さん、山下勲さん







